サッカージャーナリスト・後藤健生は、取材を通じて多くの人を知る。だが時には、相手から記憶に留め置かれることもあるのだ。…
サッカージャーナリスト・後藤健生は、取材を通じて多くの人を知る。だが時には、相手から記憶に留め置かれることもあるのだ。時にはその相手が、芸能人であることも…。
■チェンマイでの思い出
そういえば、「あ、後藤さん!」という台詞には他にも覚えがあります。ちょっと待って。今の言葉、プレイバック、プレイバック……♪。
そう、あれは、1998年の秋のこと。場所はタイ北部のチェンマイでした。ワールドユース選手権(現、U-20ワールドカップ)出場権を懸けた第30回アジアユース選手権(次回からUー20アジアカップ)が開かれていました。
清雲栄純監督率いるUー19日本代表は小野伸二や稲本潤一、本山雅志といったいわゆる「黄金世代」がいる素晴らしいチームでしたが、この大会ではグループリーグ、決勝戦と韓国に2度敗れて準優勝に終わってしまいました。
ちなみに、韓国にはその後も長く日本の宿敵となったイ・ドングク(李東国、後に「同国」と改名)がいて、日本が1対2で敗れた決勝戦でも決勝点を決められてしまいました。
なお、日本チームはその後、監督がA代表とオリンピック代表を率いていたフィリップ・トルシエに交代。翌年4月にナイジェリアで開かれたワールドユースでは決勝進出を果たすことになります。
■レストランで倒れた日本人女性
大会が開かれたチェンマイは、タイ北部にある古都で、海抜300メートルということもあって気候が穏やかで、城壁に囲まれた美しい都市です。巨大都市バンコクに比べるとすべてが小ぢんまりしていて、交通渋滞もほとんどなく快適な滞在でした。そして、そのチェンマイ郊外のホテルに泊まって、毎日、ホテル前にいるトゥクトゥクに乗って、風に吹かれながら一面の田んぼの中をスタジアムまで往復するという非常に気持ちの良い10日間でした。
そんなある日、いつものようにスタジアムから帰って来て、ホテルのレストランで食事をしていたのです。すると、近くのテーブルで食事をしていた日本人女性2人組が立ち上がったと思ったら、その1人が突然意識を失って倒れてしまったのです。もう1人の女性が介抱しており、レストランの従業員も駆け寄ってきました。
介抱している方は看護婦さんだそうで(今では「看護師さん」と言う方が普通ですが、20世紀では「看護婦さん」の方が一般的でした)、「今は動かさない方がいい」というので、僕はレストランの従業員たちに英語でそれを伝えました。あとは、「看護婦さん」にお任せするしかありません。
■思わぬ日本代表との縁
しばらくすると、倒れていた女性が目を覚ましました。そして、第一声でこう言ったのです。
「あ、後藤さん!」
これまた、ビックリですよ。
「ああ、僕の顔を知っているということは、この人たちもサッカー関係で来た人たちなんだな」と思っていると、その倒れていた人が看護婦さんだと言う女性に対して、こう呼びかけたのです。
「T原さん」
「え、『T原さん』というと、もしかしたら……」
そう、その看護婦さんだという女性は、なんと日本チームの9番のT原選手のお母さんだったのです。