高校野球の世界には「鬼」がいる。 筆者が高校球児だった昭和の時代には、いたるところに「鬼」と恐れられる指導者がいたもの…
高校野球の世界には「鬼」がいる。
筆者が高校球児だった昭和の時代には、いたるところに「鬼」と恐れられる指導者がいたものだ。愛媛県を例にとれば、宇和島東の上甲正典、帝京第五の一色俊作、松山商業には澤田勝彦。一色は松山商業で全国制覇を果たした名監督、上甲と澤田はその後、日本一にのぼりつめた。

史上初の昭和・平成・令和の3元号で勝利を挙げた、大垣日大の阪口慶三監督
公立の進学校の野球部員だった筆者は、そんな鬼に関する話を先輩や関係者からよく聞かされてきた。広島の強豪校のOBは言う。
「僕の父親が宇和島東で上甲監督の後輩だったので、あいさつに行こうと思ったら、ベンチに来て『〇〇の息子はどれじゃ?』と声をかけられて......オーラというのか、迫力というのか、そういうものを感じた」
練習試合中にもかかわらず、ミスをした主力選手をベンチで絞りあげる姿を見て、震え上がったという。
「うちの監督も容赦なかったけど、それよりも怖かった」
1988年春のセンバツで初出場初優勝を遂げた宇和島東は甲子園常連校になり、その後、済美の監督になった上甲は甲子園で通算25勝を挙げた。宇和島東としのぎを削った帝京第五のOBは言う。
「全国でも名を知られた一色監督のもとで甲子園に行きたいと思った。先輩たちはみんなヤバかったし、嫌な思いもたくさんしたけど、なんとか続けられた。監督に初めて殴られた時は、『やっとオレのことを覚えてくれた』と思って、うれしかったね」
このあたりの心情を部外者が理解するのは難しい。別の高校のOBは自身の体験をこう語る。
「とにかく監督が強くて、監督対選手という図式。『どうにかして監督に対抗したい』と全員が思うから、チームのまとまりもいい。もちろん、監督に殴られた時には『理不尽じゃないか』という思いも少しはあった。明らかに感情的になっている時もあったから。でも、殴るという行為の根っこには『甲子園に行かせてやりたい』というのがあるのが選手たちはみんなわかっていた」
そんな昭和の野球が終わって30年以上が経った。
3元号すべてで勝利した監督
大垣日大(岐阜)の阪口慶三監督は、東邦(愛知)の監督として、1977年夏の甲子園で準優勝、1988年春のセンバツは宇和島東に敗れて準優勝に終わったが、1989年春に日本一になった。彼もまた「鬼」と恐れられた監督だった。
教え子のひとりは言う。
「3時間くらいぶっ通しで監督がノックをすることはよくあった。選手たちは体力がなくなってヘロヘロになって何も考えられなくなっているけど、その時に勝手に体が動いてパッと捕れることがある。
県予選の決勝とか甲子園みたいに『絶対にミスできない』という場面では、守っている人間は当然、緊張してるわけ。その時に、頭で考えたことはなかなかできない。体で覚えるためには、数をこなす必要があって、合理的な練習だけでは難しいと思う。緊張でガチガチになった状態でもいつもどおりにプレーできるように。そういうことを阪口監督には教えてもらった」
365日野球漬けが普通だった時代に、坂口は革新的な取り組みをしていた。
「指導の中身を知らない人には前近代的な"根性野球"をする監督だと思われるかもしれないけど、先進的な部分もあって、あの当時、月曜日は練習が休みだった」
当時から「練習と休養は車の車輪。どちらが欠けても車は走らない」という考えだった。
78歳になっても甲子園を目指す
阪口監督が率いる大垣日大は、センバツ1回戦で只見(福島)を下した。1944年生まれ、77歳の阪口監督は3元号(昭和・平成・令和)すべてで勝利を記録した初めての監督となった。自身の孫である高橋慎のタイムリーヒットで先制し、甲子園通算39勝を挙げたあと、こんなコメントを残した。
「センバツ出場が決まって、記者の人たちにそのこと(3元号勝利)について聞かされましたが、特に意識したわけではありません。(孫のタイムリーヒットには)感激しました。あとで頭を撫でてやります」
3月27日の2回戦。星稜(石川)との一戦では序盤にリードを許した。9回に1点を返したものの、2-6で敗れた。阪口監督の甲子園通算40勝は夏に持ち越されることになった。5月に78歳になるが、闘志はまだ衰えない。
教え子は言う。
「大きく変わったのは、厳しさだけじゃなくなったところ。高校野球にかける情熱は昔のまま。勝負勘みたいなものはいまもすごいと思う」
2018年の夏の甲子園で、大垣日大が金足農業(秋田)に敗れた試合の前のシートノックが思い出される。阪口監督は選手たちを慈しむように、孫の頭を撫でるように、優しい打球を打っていた。内野ノックを打ち終わったあとにブルペンまで小走りで行き、ピッチャーに声をかける――かつて鬼と呼ばれた監督の進化した姿があった。
阪口監督は星稜との試合後にこう語った。
「内外野の守備を夏までに鍛えあげて、甲子園に戻ってくる」