サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マ…
サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、「5人の恩人」。
■体育会系学生に勝てた理由
さて、そもそも、何十人もの体育系の学生のなかから、なぜ私がサッカースクールのコーチとして選ばれたのか―。だいぶ後になって知ったのだが、それはある人のおかげだった。Iさんである。彼はスクールを運営する企業の社員で、サッカースクールの担当者だった。
彼は私が書いた筆記試験の回答をとても気に入り、コーチにしたいと思ったという。しかし猛烈に反対する人がいた。後に私が激しく対立することになる「部長」である。彼が私にダメを押した理由は単純だった。「背が低すぎる。子どもたちの間にはいって目立たないからダメだ」。Iさんは必死に部長を説得し、私をコーチのひとりとして採用してくれた。ちなみにその日の試験で採用されたサッカースクールのコーチはあと2人。ふたりとも関東大学リーグ1部に所属する大学のサッカー部員だった。
あのときIさんが私を無理やりコーチにしてくれなければ、私の大学生活はどうなっただろう。法律家になることをあきらめ、明確な目的意識もなく学生時代を過ごし、当たり前のように商社か銀行に就職していただろう。私が大学4年生になった1973年春は、第1次オイルショック(この年の秋から)の直前で、就職先に困ることはなかったのである。その人生がどんなだったか、想像もつかないが。
■W杯決勝を日本に持ち込んだ人物
中学のサッカー部に迎えてくれたTくん、高校サッカー部コーチだったAさん、サッカースクールのアルバイトを教えてくれたKくん、そして少年サッカースクールのコーチとして認めてくれたIさん。彼らの誰かひとりでも欠けたら、私の人生はまったく違ったものになっていただろう。
最近、ときどき、私の人生の「恩人」はいったい誰だっただろうというようなことを考える。さまざまな人が浮かんでくる。本当にたくさんの人の世話になり、なんとかここまで仕事をし、生きてきた。しかし「私をサッカーという世界に引き込んだ人」ということで考えると、上の4人になりそうだ。
おっと、忘れてはならない大事な人を落とすところだった。1966年の夏、ワールドカップ決勝戦の映像を私の目の前に送り届けた人だ。
この番組を見たのは、本当に偶然だった。夏休みの午後、なんとなくテレビをつけたらちょうど番組が始まったところだったのだ。しかし不思議なことに、その後、同じ番組を見たという人に会ったことがなかった。当時の新聞をめくり、テレビ番組表を調べると、放送はたしかにあった。8月7日午後4時半から、TBSで行われたものだった。この大会の決勝戦は7月30日。そのわずか8日後のことだった。
「あの番組を日本にもってきたのは、僕なんだよ」
その言葉に、私はとび上がるほど驚いた。語ったのは故・村田忠男(1932~2009)さん。2002年ワールドカップを前にしたシンポジウムか何かで、私の「ワールドカップとの出合い」を話した後だった。村田さんは、当時日本サッカー協会の専務理事か副会長だったと思う。最終的に共同開催となったが、2002年ワールドカップの日本開催の最大の功労者である。日本サッカー協会内で「時期尚早論」が圧倒的ななか、孤軍奮闘で超党派の「招致議員連盟」をつくり、招致委員会を正式発足させたのが村田さんだった。Jリーグが大きなブームになる前、1991年の6月のことである。
■恩人の信じられない行動力
その村田さんが三菱重工に勤務していた時代、1966年のワールドカップの時期にロンドンに出張し、大会を放映したBBCと交渉して決勝戦のフィルムを持ち帰ったのだという。そしてそれをTBSに持ち込み、ただちに放映してもらった。当時、村田さんは34歳だったはずだ。何という行動力だろう! 日曜の午後、どれほどの視聴率があり、何人が見たか、いまとなっては知ることはできない。しかし少なくともひとり、この番組によって人生を大きく動かされた者がいるのはたしかだ。
もしかしたら、40代より若い人は、気がついたらサッカーをしていたという人が多いかもしれない。しかし1951年生まれの私の若いころには、サッカーはまったくのマイナー競技だった。誰かから後押しをされたり、引っぱり込まれでもしなければ、サッカーをプレーすることも、ましてやサッカーを仕事にして生きていこうなどと思いつくことも、ありえなかった。人生や出会いの不思議、そして私をサッカーの世界に導いてくれた人びとに、あらためて感謝の念を抱くのである。
2009年の12月に永眠された村田忠男さんと、高校時代の同級生たちも知らないまま5年前に亡くなっていたTくんの魂が、安らかに眠られていることを祈らずにいられない。