櫻坂46田村保乃「バレーボールな青春」インタビュー@前編アイドルグループ櫻坂46の中心メンバーとして活躍する田村保乃さん。昨年、自身初の写真集を発売し、シングル曲のセンターを務めるなど人気急上昇中だ。そんな田村さんはアイドルデビューする前の…

櫻坂46田村保乃「バレーボールな青春」
インタビュー@前編

アイドルグループ櫻坂46の中心メンバーとして活躍する田村保乃さん。昨年、自身初の写真集を発売し、シングル曲のセンターを務めるなど人気急上昇中だ。そんな田村さんはアイドルデビューする前の学生時代、バレーボール一筋のスポーツ少女だったという。そこで今回のインタビューのテーマは、田村さんの「バレーボールな青春」。前編ではバレーを始めたきっかけから、朝から晩まで練習漬けの高校時代の話までたっぷりと語ってもらった。



幼少期から大学までバレーボールをしていた櫻坂46田村保乃さん

●バレーボール漬けの学生時代

ーーバレーボールを始めたのは、どんなきっかけだったのでしょうか?

田村保乃(以下、田村) 幼稚園の年長の時に、2歳上の兄が友達とバレーボール教室に行くのについていって、きっとおもしろいと思ったからだったんだと思います。なぜバレーを始めたのか覚えてないくらい小さな頃からやっていました。小学生の時は地域のスポーツ少年団で、中学・高校も当然のようにバレー部を選びました。中学生の時は友達を誘って入部したんだったかな。小学校の少年団で一緒にやっていた子と一緒に入りました。

ーー子どもの頃、身長は高いほうでしたか? ポジションはどこでしたか?

田村 平均身長くらいでした。ポジションは中学からはアタッカーです。レフトもライトもやっていました。同じチームにはバレーを始めたばかりの子もいたので、経験者の私がアタッカーをするのがチームにとってメリットだったのかもしれません。その頃は、将来の夢はバレーボール選手になることだったんです。

ーー高校時代はどんな部活生活でしたか?

田村 朝起きてご飯を食べて、6時の電車に乗って学校へ行って朝練をやって、夕方から夜は部活をやって帰宅するともう22時くらいで、疲れて寝ちゃって、そうするとまたすぐ朝が来る......。そんな生活を送っていました。ケガばっかりしていたので、22時頃に帰宅したあとに病院にも通っていました。

ーーかなりハードでしたね。楽しかったこと、つらかったことは?

田村 この頃は、「バレーボールは高校まで。燃え尽きよう」と決めていたので、ものすごく集中して取り組んでいました。楽しかったこと......なんだろう......。つらかったことはいっぱいあります(笑)。思い出すのは合宿での走り込みとかです。あれは今思い出してもきつかった。負けず嫌いなので、走り込みでもなんでもとにかく一等賞にならないと気がすまなくて。負けず嫌いは今でもそうですけど、そうなったのはバレーボールがきっかけだったと思います。



高校時代のハードな部活の日々を振り返った田村さん

ーー部活ではボールを使った練習だけでなく筋トレにも力を入れていましたか?

田村 筋トレもハードにやって、ボール練習もやってという感じです。筋トレは今でもしていますよ。ダンスは使う筋肉が違うので、バレー部時代と同じメニューではないですけど。腹筋と背筋と体幹を毎日絶対やるようにしています。あとは、できる時に有酸素運動。時間がある時は2時間とか歩いて帰ったりとか、本当に簡単なことしかしてないんですけど、できるだけするようにしています。

ーーバレーに限らないかもしれませんが、部活でノートを書きますよね。

田村 私も書きました。毎日毎日書きました。何を食べて、どんな練習メニューをしたとか。試合の感想とか。でも本当にギリギリの生活をしていたのでそれを書く時間がなかなかなくて、通学の電車のなかで、眠気でこっくりこっくりしながら書いたりしましたね。

ーーそんなハードな部活を頑張れたのは、何か理由があったりしますか?

田村 バレーボールは大好きなんですけど、やっぱり練習はつらいことが多くて。部活から帰るともうクタクタ。でもちょっとパソコン開いて好きなアイドルのブログを読んだり、動画やミュージックビデオを見たり。YouTubeに上がっている動画は全部見たんじゃないかなっていうぐらい、もう見すぎて、同じ動画を繰り返し見たりもしてました。そういう時間があるから、また頑張ろう、明日も頑張ろうって思えました。アイドルにもっと直接会いに行きたかったんですけど、毎日部活があったのでなかなか行くことができなかった。1日だけでも休めばって思うかもしれないんですけど、その1日休んだらもう取り返すのが大変で、ポジション争いもあるので休めなかったんです。だからアイドルのブログや動画が癒やしでした。当時好きだったのはAKB48さんでした。

●悔しくて今でも忘れられない試合

ーー振り返ってみて、一番印象に残っているのはどんな試合ですか?

田村 高校時代、ひとつあれだけは忘れられないという試合があります。私たちよりも少し強い高校と対戦し、いい試合ができていました。強いチームと対戦すると、なんか実力以上のパフォーマンスが発揮できる時があって、その時がそういう試合だったんですけど......。お互いに29点に乗った時に私にサーブ順が回ってきて、そのボールがたまたま顧問の先生のほうに転がっていったんです。それで先生からボールをもらう時に「頼んだよ」って言われて。私はこの先生が大好きで大尊敬していて、そんな先生に「頼んだよ」って言われたのに、サーブをミスってしまったんですね。試合にも負けてしまいました。あのミスがなかったらなって今でも本気で考えるくらい。20点を超えると流れがあるほうが勝つので、ミスが悔しくて。あの時の先生の言葉とか情景を今でも思い出します。

ーーどんな先生だったのですか?

田村 怖いほうではなかったんですが、厳しかったです。目がすごく大きくてショートカットの先生なんですけど、今でもそういう方を見ると、「その昔、すみません」と思っちゃいます。その先生とは今も連絡を取り合っていて、ライブを見に来てくれたりもするんです。すごく愛のある、バレーボールが大好きな先生です。最近でも先生がたまに体調のことを心配して連絡くれたり、例えば音楽番組があって、見たよって。忙しいのかもと遠慮してくれたりはするんですけど、お母さんに伝えてくれることもあって、それをお母さんから聞いたりするとうれしいです。人として本当に心から尊敬している方です。

●試合中は性格が激変

ーーバレー部時代の田村さんは、どんな雰囲気だったのでしょう?

田村 試合に同じ学校の友達が応援に来てくれることがあったんですが、みんな言うのが、「ふだんと違いすぎて誰かわからない」と。そう言われることが本当に多くて。試合の時は性格が変わってしまうんです。なので、たぶん、今の私からはまったく想像がつかないと思いますし、それをファンの人に絶対見せたくないですね、本当にそれは絶対嫌です(笑)。

ーーたとえばどんなところを見られたくないのですか?

田村 大きな声を張ったり、強い言葉を言ったり、すごく短い髪型だったり......。全然ふんわりしてないですから(笑)。でも、雰囲気で言えばライブの時に近いかなとも思います。

(後編につづく)

【profile】
田村保乃 たむら・ほの 
1998年、大阪府生まれ。幼少期にバレーボールを始め、大学途中までプレー。2018年、坂道合同オーディションに合格し、欅坂46の2期生としてアイドル活動をスタート。2021年には自身初の写真集『一歩目』(小学館)を発売。櫻坂46通算3枚目のシングル『流れ弾』ではセンターを務めた。