「ちょっとでも仙台や県内の企業さんにもお金がまわり、それが、復興の一助(いちじょ)になればなと思っています(羽生結弦)」2018年4月22日、宮城県の仙台市役所では多くのメディアが羽生結弦を温かく出迎えた日。記者会見で発言した羽生からのメッ…

「ちょっとでも仙台や県内の企業さんにもお金がまわり、それが、復興の一助(いちじょ)になればなと思っています(羽生結弦)」

2018年4月22日、宮城県の仙台市役所では多くのメディアが羽生結弦を温かく出迎えた日。記者会見で発言した羽生からのメッセージは、瞬く間に拡散された。

撮影/スタジオアウパ

東日本大震災で甚大な被害を受けた都市の一つ、宮城県・仙台市。震災から10年という節目となった2021年2月21日、東北の人たちを安堵させるニュースが飛び込んだ。

多くのフィギュアスケーターを輩出した「アイスリンク仙台」の一般営業・各スケート教室が再開されたのだ。

2021年2月13日、23時8分に起きた地震により、館内の補修作業を行い、安全確認のため一時営業を中止していた「アイスリンク仙台」。東北のスケーターたちが愛する、正真正銘の本拠地が168時間ぶりの復活を遂げたのだ。

東北の人たちにとって、スケートという競技や氷上のアスリートという存在は、ひときわ特別な想いをはせるという。

国際センター駅に設置された「フィギュアスケート・モニュメント」

「復興の一助(いちじょ)になればなと思っています」

仙台ゆかりのフィギュアスケーター・羽生結弦の言葉は、強く優しい。前人未到のアスリートとして世界各国で数々の偉業を成し遂げた彼を“結弦くん”と呼ぶ、仙台の人たちと羽生結弦の繋がりは永遠だ。

その証に、彼の偉業をたたえるため、2017年4月16日に設置された「フィギュアスケート・モニュメント」は今も杜の都・仙台の街で、人や建物と一緒に時を刻んでいる。

ケヤキ並木が続く、杜の都・仙台のシンボルストリート「定禅寺通」は「羽生結弦選手2連覇おめでとうパレードin仙台」も行われた場所。「七北田公園」は、羽生結弦が幼いころ、トレーニングや学校行事等でよく訪れていた緑豊かな公園として知られているようだ。

日本のフィギュアスケート発祥の地とされ、ほとりには記念碑と水のコントラストが美しい「五色沼」も有名なスポット。

フィギュアスケーターを称える場所が多く存在する、杜の都・仙台。今もなお、東北の復興に勇気と希望を与え続け、永遠に大切にしたい街並みは東北が持ちあわせる宝のひとつだろう。

文/スポーツブル編集部

撮影/スタジオアウパ