「鼻から息を吸うとアバラが上がっていきますけど、口から息を吹くとアバラが下りてきますよね」 まるでインストラクターのように、流暢な口調で蛭間拓哉(ひるま・たくや)が説明する。言われたとおりにやってみると、口から息を吐くとたしかに肋骨が落ちて…

「鼻から息を吸うとアバラが上がっていきますけど、口から息を吹くとアバラが下りてきますよね」

 まるでインストラクターのように、流暢な口調で蛭間拓哉(ひるま・たくや)が説明する。言われたとおりにやってみると、口から息を吐くとたしかに肋骨が落ちていく体感があった。



今秋ドラフトの上位候補として注目の早稲田大・蛭間拓哉

「そうすると、コアに力がたまっていくんです。僕はボールを待つときにスーッと息を吐きながら呼び込んで、インパクトで『フッ!』と強く一気に吐くのではなく、フィニッシュまでスーッ、スーッ、スーッと常に吐き続けています」

 不思議と話に引き込まれる。バッティングの話を聞いていたはずなのに、いつしか話題は呼吸法になっていた。

きっかけは1本のストロー

 蛭間は4月で早稲田大の4年生になる外野手だ。おそらく2022年ドラフト戦線の最前線を走るひとりになるだろう。

 身長177センチ、体重87キロと圧倒するような体格ではない。それでも左打席から全方向にスタンドインできる長打力と、外野から低い軌道でベースに届く強肩、50メートル走5秒93(光電センサーで測定)の俊足と総合力が高い。

 蛭間の打球は音が違う。金属バットを使った浦和学院高時代から、ひとりだけバットの芯から爆発音が聞こえていた。「インパクトで100の力を伝えたい」と言う蛭間に打撃の感覚を聞いたところ、呼吸法にたどり着いたのだった。

 蛭間が呼吸法の扉を開いたきっかけは、高校3年夏の珍体験だった。

 埼玉大会決勝戦当日の朝、蛭間は自分のスイングに納得できずにいた。負けたら終わりの緊迫した戦いが続き、無意識のうちに体に余分な力が入っていたのだ。すると、蛭間は当時のトレーナーからこんなアドバイスを受けた。

「これをくわえながらバットを振ってみたら?」

 トレーナーから手渡されたのは、細いストローだった。

 試しにストローをくわえながらバットを振ってみると、ちょうどいい力加減でスイングできた。それ以来、蛭間は呼吸を意識するようになったという。

「打席で意識するのは呼吸だけです。手とかに意識を置いてしまうと、余計な力みにつながってしまう。吐いて、吐いて......打つようにしています」

首長アバラ落としで奇跡の一発

 大学進学後、スポーツ科学部で学ぶ蛭間は貪欲に技術改善のためのヒントを探した。そこでヨガの呼吸法を知ったのだった。

 ヨガには「コア」という概念がある。解釈はさまざまだが、一般的には背骨や骨盤を支えるインナーマッスルを指す。蛭間はコアに全身の力をため、インパクトの瞬間に一気に放出するイメージでバットを振っているという。

 打席に入る前に、蛭間はしきりに胸のあたりを上から下へと手でなでる。このルーティンにも意味があるという。

「いくら肩の力を抜いても、胸のあたりに力が抜けていないこともあるので。手でさすってコアに落とすイメージです」

 蛭間はこの動作のことを「首長アバラ落とし」と呼んでいるという。いたって真剣な表情でプロレス技のような名称を告げるので、思わず吹き出してしまった。

 首長アバラ落としによって蛭間が輝いたのは大学2年秋の早慶戦だった。早稲田大は5勝3分、慶應義塾大は6勝2分と無敗同士で迎えた優勝決定シリーズ。11月7日の1回戦では、1対1で迎えた7回裏に蛭間は木澤尚文(現・ヤクルト)から勝ち越しの2ラン本塁打を放り込んだ。

 さらに勝ったほうが優勝となる翌2回戦に、球史に残る一打が飛び出した。1対2と早稲田大がビハインドで迎えた9回表、二死一塁の場面で蛭間に打順が回ってきた。

 蛭間がアウトになった瞬間に、慶應義塾大の優勝が決まる。打席に入る直前、早稲田大の小宮山悟監督は蛭間に「どの球種を張ってるんだ?」と聞いた。蛭間は「外の真っすぐを打ちます」と即答している。マウンドには左腕の生井惇己が立っており、蛭間の脳裏には「センターからライト方向に打つのは難しい」というイメージが浮かんでいた。

 だが、首長アバラ落としを経て打席に入ってしまえば、蛭間が意識するのは呼吸だけ。生井が初球に投じた肩口から入ってくる126キロのスライダーに、蛭間は反応する。高々と舞い上がった打球はバックスクリーンに飛び込んだ。

「あまり記憶がないんです。とにかく、すごい結果になったなと」

目標は三冠王

 3年秋までに放ったリーグ戦通算本塁打数は10本。昨年12月には愛媛県松山市で開かれた大学日本代表候補合宿に参加し、紅白戦で7打数5安打2打点1盗塁の大暴れを見せた。

 2泊3日の合宿期間中、蛭間はさまざまな選手に声をかけ、打撃論を交わしている。同じく左のスラッガーである澤井廉(中京大)は、蛭間から呼吸法を教わり「すごい知識を持っている」と驚かされたという。

 興味深いのは、蛭間がタイプのかぶる澤井を誘い、惜しげもなく技術論を授けていることだ。「敵に塩を送る」という感覚なのか。そう聞くと、蛭間は笑ってこう答えた。

「ライバルという前に『澤井と話したいな』と合宿前から思っていたので。高校時代に練習試合で何度か対戦していてすごいバッターだなと思っていましたし、同じ左投げ左打ちの打者として同じ感覚なのか気になっていたんです」

 合宿期間中、右打者の山田健太(立教大)からはタイミングの取り方を教わり、試してみたところしっくりきたという。話を聞いたすべての感覚を取り入れるわけではないが、「ヒントはどこに転がっているかわからない」と蛭間は考えている。

 最上級生になる今季、蛭間は新たな課題をもって日々の練習に取り組んでいる。

「実力をある程度発揮できれば打点とホームランは出ると思うので、あとは打率を上げるために三振を減らしてフォアボールを増やしたいです。そうすれば、目標の三冠王に近づけると思います」

 主力投手だった徳山壮磨(DeNA2位)と西垣雅矢(楽天6位)がプロ入りし、リーグ戦実績のある投手がいなくなった。2月25日から始まったオープン戦では、投手陣が大量失点を重ねている。それでも蛭間は「オープン戦で打たれたほうが、気づくものがあるので」と強気の姿勢を崩さない。

「首長アバラ落とし」と「呼吸法」によってリラックスした状態をつくり出し、爆発的なインパクトで観衆の度肝を抜く。2022年もそんな打席が増えれば増えるほど、蛭間拓哉の名前はますますクローズアップされていくに違いない。