北京パラリンピックが4日に開幕。前回の平昌大会で5個のメダルを獲得した女子座位の村岡桃佳(トヨタ自動車)が今大会も活躍している。競技初日の5日の滑降で金メダルを獲得し、幸先いいスタートをきると6日のスーパー大回転でも金メダルを獲得した。難…
北京パラリンピックが4日に開幕。前回の平昌大会で5個のメダルを獲得した女子座位の村岡桃佳(トヨタ自動車)が今大会も活躍している。競技初日の5日の滑降で金メダルを獲得し、幸先いいスタートをきると6日のスーパー大回転でも金メダルを獲得した。
難コースでも現地で調整し、見事最初の種目から金メダルを獲得した村岡桃佳
最初の滑降では、先にライバルのアナレナ・フォルスター(ドイツ)が好タイムでゴール。続いてスタートした村岡は丁寧かつ攻めの滑りで終盤までスピードを落とさず、フォルスターのタイムを上回ると、最後まで抜かれることなく頂点に立った。
「どうしても今日、金メダルを獲りたかった」
フラワーセレモニーを終えた村岡は、うれしさと安堵感が入り混じった表情を見せながら、しみじみと語った。スタート直後の急斜面にはじまり、90度に曲がるカーブなど他にはない難コース。男子座位で銅メダルを獲得したパラリンピック6大会目の森井大輝(トヨタ自動車)が「最初に来た時はスタートから度肝を抜かれた」と言うほどの難易度で、女子座位はエントリーした7人中3人がゴールできなかった。村岡も「想像していたよりハードなコース」と語っており、試合前の3日間のトレーニングランでは初日に転倒を経験した。
だが、ここから村岡の修正力が光った。「滑降はトレーニングランから気持ちを作り上げていく種目」と言うように、2日目はまずは完走を目指し、3日目は改善点を滑りに反映させて1位でフィニッシュ。日を重ねるごとに滑りをブラッシュアップさせ、難コース攻略の糸口をひとつずつ見つけていった。コーチ陣とも本番のライン取りを入念にチェックしていくなかで、「行ける、勝ちたいという気持ちが自然と芽生えた」という。
難コースへの恐怖心や不安はあったが「守りの滑りでは勝てない」と、信条である攻めの滑りにフォーカスした。高速で駆け降りチェアスキーがはじかれやすい状況でも、鋭いターンを次々と決めた。その結果、開幕戦で手にした金メダル。「自信になる。明日からのレースも、ちょっとだけ安心して臨めるかな」。そう話すと、ようやくプレッシャーから解放されたのか、笑顔に変わった。
村岡にとって、今回の北京パラリンピックはアルペンスキーと陸上の「二刀流」の最終章である。彼女の北京大会までの道のりを振り返る。
前回の平昌大会では5種目すべてで表彰台に上がり、名実ともに日本のエースとなった村岡。彼女が掲げた次なる目標、それは4年後の北京大会を見据えつつ、その前に夏季競技である陸上に挑戦するというものだった。彼女にとって陸上は、スキーと同様に特別な存在である。というのも、4歳の時に横断性髄膜炎で車いす生活になった村岡が、さまざまなスポーツに取り組むなかで、最初に出会った車いすスポーツが陸上だったからだ。その後、中学2年でアルペンスキーの魅力に触れて本格的に始めることにしたため陸上からは離れたが、「少し心残りがあった」と言う。
平昌大会が終わったあと、村岡は自分の気持ちに正面から向き合った。そこで心を突き動かしたもの、それが「もう一度、陸上に真剣に取り組みたい」という気持ちだったという。もちろん、大好きなスキーを辞めるつもりはなく、あくまで見据えるのは北京である。そのゴールまでの4年間でどうすれば陸上を目指せるのかというプロセスを大事にした。
かくして、2019年5月に陸上への挑戦を表明した村岡。だが、「二刀流」の現実は言葉で表現するより、そして自身の想像より、はるかに厳しいことだったと打ち明けている。スキーは斜面をくだることで自然にスピードが生まれるが、陸上はゼロの状態からスピードを生み出していく。百も承知のことであるが、チェアスキーとレーサーでは動作も使う筋肉もまったく異なる。「当初は準備運動についていくのも苦労した」と村岡は振り返る。
うまくいかない悔しさを糧に練習に打ち込む日々。持ち前の根性を発揮して、レーサーで走り切る筋力と体幹を鍛えた。結果を左右するスタートの漕ぎ出しにも磨きをかけ、100mの日本記録を塗り替えるまでに実力をつけた。そして、東京パラリンピックの代表に選出され、女子100m(T54)で6位入賞を果たした。ゴールした瞬間のすがすがしさと高揚感を、村岡は「一生忘れないと思う」という言葉で表している。
大会後にスキーに復帰したが、不安がなかったわけではない。夏の東京大会はコロナ禍で開催が1年延期になり、冬の北京大会までの期間はわずか半年。村岡が陸上に取り組んでいる間、フォルスターをはじめスキーのライバルたちはW杯を転戦してさらに競技力に磨きをかけ、自国開催の中国の選手も台頭していた。
ただ、久しぶりに雪上に立ったとき、意外な発見があった。滑りの力強さを感じたのだ。最初からクロストレーニングを意識して取り組んでいたわけではなかったが、陸上で培った体幹は、結果的にスキーのターンの安定性やキレのよさにつながっていた。「スキーに向けてのトレーニングだけでは得られなかった身体の使い方や筋力が身についたと感じた。思わぬ副産物だった」と村岡。加えて、新しい世界を経験することで視野が広がり、気持ちの面でもスムーズに移行できたことも大きかった。
今年1月、トレーニング中に転倒して右ひじの靭帯を損傷するケガを負った。そこから不屈の精神で這い上がり、「二刀流」の集大成である北京パラリンピックに間に合わせた。今大会は5種目すべてにエントリーする予定で、まずは初戦で金メダル獲得と、最高のスタートを切った。開会式前日の3日に25歳の誕生日を迎えた雪の女王は、ここからどう飛躍していくのか。そのパフォーマンスに注目が集まる。