) 2008年、映画『スリーカウント』をきっかけにプロレスデビューした志田光。子供の頃からずっとエースのような立ち位置で、やればなんでも器用にできていた。しかしプロレスはひと筋縄ではいかない。「プロレスだけが全然向いてないんだな......…

 2008年、映画『スリーカウント』をきっかけにプロレスデビューした志田光。子供の頃からずっとエースのような立ち位置で、やればなんでも器用にできていた。しかしプロレスはひと筋縄ではいかない。「プロレスだけが全然向いてないんだな......」と、もがき苦しんだ。



インタビューに答える志田

 2012年1月、さくらえみが退団したことをきっかけに、藤本つかさとともにアイスリボンを引っ張っていかねばならなくなった。その時、志田は「チャンスだ」と思った。そしてプロレスを心底、楽しいと思えるようになったという。

「それまでは、スポーツとして楽しかったというか。勝ったら嬉しいとか、学生時代にやっていた剣道が単純に楽しいみたいな感覚だったのが、クリエイティブなことと混ざることで、『プロレスだから楽しい』ということに気づけた。そこで初めて、プロレスが自分のものになったんじゃないかと思います」

 観客の反応に意識が向き始めたのもこの頃だ。この技を出したらどうなるんだろう? この流れにしたらどうだろうか? マイクでこんなことを言ったら、お客さんはどんな反応をするだろう?――すると、観客の反応も変わってきた。プロレスは観客あってのスポーツ。あらためてそう気づかされたという。

 2014年1月、アイスリボン退団を発表。3月からフリーとなる。退団の理由として「自分のためだけにプロレスをやりたい」と話している。

「アイスリボンではコーチもして、次の世代の子たちを育てていたけど、OZアカデミーさんなどに参戦すると、私が一番下で、一番なにもできなかった。アイスリボンと他の団体の差を感じて、『まだ私が私のためにできることってあるよな』と思ったんです。団体内での限界を感じたのはありますね。社長に正直に話したら、『俺もお前くらいの歳でまったく同じことを考えて会社をやめたから、応援するよ』と言ってくださいました」

コンプレックスだったお尻を武器に

 フリーになってから、お尻に字を書くなどして"尻職人"と呼ばれるようになった。2014年8月に開催した初の自主興行のタイトルは、「おしり列車でGO!~新宿FACE線編~」。コンプレックスだった大きいお尻を前に出すことで、インパクトを残そうとした。

「コンプレックスって自分が思っているだけで、傍から見たら長所だったりするじゃないですか。そういうのも力に変えたくて、勇気を持ってやっていこうと思いました。『私はここがチャームポイントです』って、自分で言っちゃえばそうなる。力づくですよね」

 志田がセクシーな路線にいくことに、違和感を覚えるファンも少なくなかった。一方で、女子プロレスラーを"女"として見ている男性ファンもいる。志田自身は、そういう目で見られることにまったく抵抗がないという。

「まずは見てもらわないと意味がない、と思ってるんですよ。目に留まらないと、存在していないことになってしまう。実際に見てもらえればプロレスがどういうものかもわかるし、楽しいなって思ってもらえる自信がある。ひとつのきっかけにすぎないし、きっかけはなんでもいいと思います。そういう目で見られるのも、それはそれで楽しんでもらえているので。自分がやったことを楽しんでもらえるって最高じゃないですか」

男と女の埋められない差

 2017年2月、レギュラー出演していた「魔界」の会社化に伴い、「MAKAI」所属となる。尻職人のキャラクターをやめて再スタートしようと、4月、自主興行のタイトルを「第五回尻神教シンポジウム~尻神教解散興行~」とした。

 その大会でノアの丸藤正道とシングルマッチを行ない、1分48秒で失神負けする。

「向かい合った時にすごく怖くて。女子相手だから手を抜くとかも一切なく、『丸藤』だったんですよ。プライドを見せつけられた気がしました。それまで私はフリーで必死にいろんな団体に出て、絶対にオファーは断らなかった。とにかくいろんな人の目に留まるということを大事にしてたんですけど、丸藤さんと向かい合って、『志田光というものをきちんと持って貫いていく時期になったんだな』と思いました。そうしないと次のステージには行けないんだなって」

 2018年10月、志田光10周年記念興行「Revenge」で丸藤と再戦する。壮絶な闘いになった。丸藤は容赦なく志田の胸元に強烈なチョップを連発。顔面に蹴りを食らわせ、志田を追い込んでいく。しかし志田はやられてもやられても立ち上がる。丸藤の余裕の表情が、次第に崩れていく――。しかし激闘の末、丸藤が必殺技「虎王」の2連発で勝利した。

 試合後のマイクで、丸藤は言った。「男と女には埋められない差があって、だけどプロレスなら埋められるぞ。リングに立てば同じプロレスラーだ」。

「男女の差ってあると思うんですよ。でも男性も女性も、生きていると『どうすんの、これ?』みたいな壁に立ち向かわなければいけない。だから私は、相手が男子でも女子でも、プロレスを通して壁に立ち向かうところを見せたい。『プロレス大好き!』じゃなかった人生だから。知らない間にプロレスがどんどん私の人生にしみ込んで、一部になっていった人生だから。そういう人生をお客さんに見せたいんです。めちゃくちゃカッコ悪い姿とかも見せちゃうんですけど、それが志田光なんですよね」

夢はハリウッド女優

 2019年4月、アメリカの新団体「AEW」と契約を結んだと発表。MAKAIとの契約も継続し、2団体所属となった。

「最初、MAKAIがあるからAEWはお断りしたんですよ。けど、『続けながらできますよ』と言われて。デビュー10周年で丸藤さんとアジャ(コング)さんとそれぞれシングルをやり、すごくやり切った感があったので、また新しいところでやるのもいいなと思ってお受けしました」



2020年5月から約1年、AEWの王座を維持した志田 photo by AEW

 10歳で英語を習い始めた志田は、流暢な英語を話す。しかしそれでも、言葉の壁は大きかったという。

「やっぱり通訳を通さなきゃいけないし、字幕もつけなきゃいけない。『志田は英語で仕事ができる』と思ってもらえるまでが長かったですね。そこで初めてスタートラインに立ったというか。ようやくみんなと並んだ感じです」

 志田は日本の女子プロレスが世界一だと思っている。プロレスに関しては、最初から自信を持って見せることができた。しかし驚かされたのは、海外の女子レスラーの「魅せる」ことへのこだわりの強さだった。

「メイクに2時間かけるんですよ。少しでも綺麗に映るということに関して、ものすごく気合が入っている。日本の女子プロレスは、技術レベルはものすごく高いです。ただ、海外の選手はみんな自信があるし、自分の強みがなにかをわかっている。そこが大きな差かなと思いますね」

 2020年5月、ナイラ・ローズが保持するAEW女子世界王座に挑戦し、勝利。第3代王者となった(2021年5月に王座を陥落するも、8回の防衛に成功)。翌年3月、挑戦者決定トーナメントを開催することになり、志田は「日本でも開催したい」と会社に提案。雑用をすべて引き受け、日本トーナメントの開催に尽力した。

「日本の女子プロレスって本当にすごいので、観てもらえば『日本スゲー!』ってなると思う。それを見せたかったというのもあるし、日本の女子レスラーたちに『世界に行く道ってあるんだよ』と伝えたかったというのもあります」



プロレス、女優としても大きな夢を抱く

 日本トーナメントには伊藤麻希、VENY(朱崇花)、さくらえみらが出場し、勝ち上がったのは水波綾。アメリカでのトーナメントを勝ち上がった、前王者ナイラ・ローズとの挑戦者決定戦で水波が勝利し、志田と対戦した。志田は水波を破ってベルトを防衛した。

「ゆくゆくは日本だけじゃなく、世界各地でトーナメントを開催したいです。そうすれば世界トーナメントができるわけですし。あとは、今後AEWはいろんな国で公演をしていくんじゃないかと思うので、日本でもやりたいです。サポートして実現したいですね」

「それと......」と、志田ははにかみながら、もうひとつの夢を話してくれた。「アメリカで女優活動をしたいんです」――。「ハリウッドですか?」と聞くと、「ハリウッドに行きたい!」と目を輝かせる。

「そのためにはプロレスで一番にならないといけない。『AEWからだれか呼ぼう』となった時に、一番に名前が挙がるところにいないと呼ばれないと思うので。歴史に名を刻みたいんですよね。結局、私が死んだあとに『あの人、頑張ったよね』って言ってもらいたいだけなんです。私にしかできないことをやっていきたい」

 志田ならどんな夢でも叶えられると思った。もがき苦しみながらも自分を信じ、道を切り拓いてきた志田なら――。

 18歳の時、野球映画『バッテリー』の主題歌に励まされたという。「やりたいことをやる」と決めてスターを目指した志田。あの頃、追い求めていた"ボール"を、彼女はすでに手にしているのだろう。

(vol.1から読む 伊藤麻希>>)

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@shidahikaru