中日二軍監督片岡篤史インタビュー 前編 今季から中日の二軍監督を務める片岡篤史。一軍監督に就任した立浪和義とは、PL学園…
中日二軍監督
片岡篤史インタビュー 前編
今季から中日の二軍監督を務める片岡篤史。一軍監督に就任した立浪和義とは、PL学園時代に同級生として苦楽をともにし、甲子園春夏連覇を成し遂げたチームメイトでもある。
旧知の仲である立浪が監督に就任すると知った時や、高校時代以来となる同じユニフォームを着る気持ち、低迷するチームをどう再建していくかなどを聞いた。

中日の一軍監督として1年目のスタートを切った立浪監督 photo by Sankei Visual
***
――中日の二軍監督への就任が決まった時、立浪監督とはどんな言葉を交わしましたか?
片岡篤史(以下:片岡) 直近の10年間でAクラスが2回とチームが低迷している状況で、「基本的な部分の立て直しと、選手の底上げが必要だ」と。そこで、「その肝になる二軍の監督をやってもらって、選手たちを鍛え上げてほしい」と言われました。
――長年のつき合いゆえに、立浪監督の長所も短所も把握されていると思いますが、どんな指揮官になっていくか想像できますか?
片岡 立浪監督は22年もの現役生活を送りましたけど、その間に中日の監督を務めたのは、星野(仙一)さん、高木(守道)さん、山田(久志)さん、落合(博満)さんの4人ですよね。現役生活が長いわりにあまり多くないと思いますし、引退してからの12年という時間はすごく長くて、その間にもいろいろな出会いや経験を通して学んできたはずです。そう考えると、新しい監督像を作っていくのではないかと思います。
――PL学園時代以来、30数年ぶりに同じユニフォームを着ることに対して、率直にどんな思いですか?
片岡 僕らの時代のキャプテン(立浪はPL学園3年時の1987年にキャプテンを務めた)が監督になったということが感慨深いですし、同級生では立浪監督だけなんですよ。そういう意味では僕らの代表ですし、嬉しかったですね。
高校時代のチームメイトをはじめ、同級生はみんな応援してくれています。立浪監督と15歳で初めて出会った時は「ともに頑張って(甲子園で)、日本一になろう」と思いましたが、今度は「(中日の)選手たちに頑張ってもらって、日本一になろう」というところが、当時との違いですね。
立浪監督からの要望
――いつかは同じチームで、という気持ちはどこかにありましたか?
片岡 それはありました。立浪監督も、どう思ってるかはわかりませんが、多少はあったと思いますよ。引退してからの10数年、その間に私はコーチもしていましたし、お互い野球の話をすごくしてきましたからね。「彼が監督になった時は......」と、心のなかで準備はしていました。
――高校時代から互いをよく知るおふたりの間には"阿吽の呼吸"があると思います。一軍と二軍とで具体的にどう連携していくのでしょうか。
片岡 まだシーズンが始まってないので何とも言えない部分はありますが、お互いに試行錯誤を繰り返していくことになると思いますし、やっていくなかで都度、いい方向に修正していければいいなと。
立浪監督には"柔軟性"があります。チームの生え抜きでずっとやってきたということもあって、自分の考えをしっかり持っているんですけど、その一方で人の意見を聞く耳も持っています。引退してからの12年間で丸くなりましたしね(笑)。ただ、表面的に丸くなった一方で、高校時代から"キャプテンの厳しさ"も持っているところが、僕らが知っている「立浪和義」という人間なんです。
――二軍監督の片岡さんには、どんな要望を伝えられていますか?
片岡 厳しさといいますか......髭とか茶髪とか身だしなみをきっちり整える方針を打ち出していますよね。もちろん今の時代、それだけを聞くとさまざまな意見はあるでしょう。でも、「低迷しているチームを変えていかなければいけない」という気持ちの表われだと思うんです。
立浪監督の話のなかで「仕事」という言葉がよく出てくるんですけど、それは好きとか嫌いとかではなく、「仕事」として全うしなきゃいけないということだと思います。厳しさには、練習の厳しさ、チームの規律を乱すことに対する厳しさ、プロ野球でやっていく厳しさを教えなあかん、ということもあると思います。そういった基本的な意識づけにしても、起用法にしても、一軍と二軍でビジョンをしっかり共有していければと思っています。
ファンの"立浪ドラゴンズ"への期待
――二軍の監督にはどんなことが求められると考えていますか?
片岡 自慢するわけじゃないんですけど、僕は現役時代に二軍の経験があまりないんですよ。ケガ以外で二軍の経験がなくて、二軍のキャンプもケガした時の1回だけです。だから、僕自身も周りを見ながら日々勉強をしていかなければいけません。
監督という立場で判断しなければいけないことはたくさん出てくると思いますし、すぐに結果が出ることに越したことはないんですけど、二軍はそうではない側面もあると思います。18歳の選手とベテランの選手を一緒に見なきゃいけない場合もあると思いますし、また、中堅の選手のモチベーションを上げていかなければいけません。そういう意味で、「言葉の力」がすごく大切になってくると思います。

立浪監督とはPL学園時代の同期である中日の片岡二軍監督
――過去に二軍の監督を務められた方に意見を聞くことはありますか? 特に日本ハムの後輩でもある小笠原(道大)現巨人二軍打撃コーチは、2016年から2019年まで中日の二軍監督を務めていましたね。
片岡 小笠原と話す機会はありましたよ。言われたのは、「名古屋の夏は暑いので本当に気をつけてください」と、あいつにしては珍しく冗談めいたことを言っていましたね(笑)。コーチをさせていただくにあたり、時代の流れを感じなければいけないし、今の若者に合う指導法も模索していかなければなりません。そのためには選手一人ひとりをしっかり観察して、性格や行動を把握する必要があります。
いいものはどんどん取り入れていきたいですね。一方で、先ほど話したような身なりだったり挨拶だったり、基本的な部分も伝えていかなければいけないと思っています。
――引退から12年の歳月を経て生え抜きのスター選手が監督になったということで、ファンの期待の高まりを感じていると思います。そんな立浪さんと二人三脚で挑むシーズンへの意気込みを聞かせてください。
片岡 二軍監督に就任が決まって、昨年の秋季キャンプから名古屋に行っていますけど、立浪監督へのファンの期待はひしひしと伝わってきます。僕が解説者の時代に名古屋でタクシーに乗ると、「片岡さん、立浪監督を早く見たいよ」という話をよく聞きましたし、一軍監督になった今は「やっと立浪監督になり、またドラゴンズを本気で応援できます!がんばってください」と声をかけていただいたりします。
一軍監督への就任が決まった時、「やっときたか」という彼の第一声がありましたけど、それはファンの方々も同じ思いだったんじゃないかと。ただ、昔からなんですけど、彼は浮かれたりすることがありません。高校時代に春・夏の甲子園で勝ち進んでいる時も、「本番はこっからや」みたいなことを言って、キャプテンとしてチームメイトを鼓舞していました。何より、彼は落ち込んでいるところや弱みを高校時代から全然見せなかった。
彼が高卒で中日に入団した時の監督が星野さんで、当時の星野さんは若くて厳しかったと思いますが、そのなかでも高校を出て1年目からレギュラーでやっていました。そういう精神的な強さがあるからこそ、小さな体でもプロ野球であれだけの成績を残せたと思うんです。
これからどんな指揮をとって、どんな監督になっていくか僕らも楽しみですし、僕も二軍監督として立浪監督やファンの期待に応えていきたいですね。ファンは贔屓にしている選手を、自分の子どもの成長を見るような目で見てくれていますし、一軍で活躍する姿を見たいと思っているでしょう。そういう選手をひとりでも多く育てていくことが、自分の使命だと思います。
(中編:石川昂弥らは「全国区のスター選手になってもらいたい」>>)