北京五輪の17日間が終わった。日本は冬季五輪で最多となる18個のメダルを獲得。選手たちの活躍は、コロナ禍で暗くなった世の中を明るくしてくれた。 そのなかでもスピードスケート日本チームは、大会前に掲げていた「金メダル3個を含むメダル7個と入…

 北京五輪の17日間が終わった。日本は冬季五輪で最多となる18個のメダルを獲得。選手たちの活躍は、コロナ禍で暗くなった世の中を明るくしてくれた。

 そのなかでもスピードスケート日本チームは、大会前に掲げていた「金メダル3個を含むメダル7個と入賞12」の目標にはメダル数が届かなかったものの金メダル1個、銀メダル3個、銅メダル1個のメダルを獲得し、入賞13と好成績を残した。



最後の1000mでは圧倒的な強さで金メダルを獲得した高木美帆

 昨季は新型コロナ感染拡大で、選手の国際大会への派遣を中止。また、W杯開幕戦直前合宿のPCR検査で陽性者が出て、数人が開幕戦を欠場する誤算があった。さらに、本大会でも北京入りしてから、精神面の主柱であるヨハン・デヴィットヘッドコーチが、PCR検査で陽性となってしまい、リンクに来られなくなるなどの事態も起きた。

 そういった状況でも「金メダルは確実」と思われていた高木美帆(日本体育⼤学職員)の女子1500mと、連覇を狙った女子チームパシュートが優勝を逃した結果は、銀メダルを獲得したにもかかわらず、本人たちを含め日本チームにとってショックだった。だからこそ、そこから気持ちを立て直し、女子の個人最終種目となった女子1000mで高木美帆が獲得した金メダルの価値は大きい。

 高木美帆の成績だけを追うと、初戦の3000mで6位、7日の1500mで銀メダル、13日の500mでも銀メダル、15日のチームパシュートも銀メダルと続き、17日の1000mでは金メダルを獲得した。

 1500mとチームパシュートと同じ銀メダルでも、500mは自己ベストを更新する37秒12という記録を出し、高木美帆にとって大きな自信になっていた。

 今季のW杯では3戦3勝の1500mとは違い、1000mは3戦1勝、2位2回と、世界記録保持者のブリタニー・ボー(アメリカ)に負け越していたが、唯一勝利した第3戦のソルトレークシティ大会で出した、自身2度目の1分11秒台に入る1分11秒83は高木美帆に自信をもたらしていた。

【短距離でも発揮した天才ぶり】

 2日前のチームパシュートの6周2本を含め、1000mは今大会7レース目で疲労は内蔵にもきていた。500mの日からリンクに復帰したデヴィットコーチからは「疲れても滑りを変えないこと」と指示されていた。スタート前にフォーカスしていたのは「500mと同じようにスタートを決めること」という1点だった。

 さらに同走のアウトレーンは、1000mW杯ランキング4位のアンジェリーナ・ゴリコワ(ROC)で、前半から飛ばす選手だったことも幸運だった。スタートから相手を目標にして滑り、600mまでは500mのバックストレートをイメージした、「力強いけど伸びのある滑りをする」ことだけを考えられた。そこまでの1周を全選手最速の26秒88で滑った高木美帆は、「いい滑りを意識するだけだった」というラスト1周も持久力の高さを見せつけ、全選手最速の28秒71でカバー。ゴールタイムは五輪記録を大幅に更新する1分13秒19で圧勝した。

「疲労が溜まったこの局面で、『2周だったら頑張れる』と思えたのは大きかったと思います。これがもし4周だったら、すごい恐怖心と戦うことになったと思いますが、2周ならいけるという謎の自信があったので最初から攻めていけました。最終種目が1000mでよかったですが、これも時間をかけて多種目を滑ってきた積み重ねの成果だと思います」

 このレースまでにチームパシュートを含めて銀メダル3個を獲得していた高木美帆。レース後に「今朝、姉の菜那から『銀4個でも快挙らしいよ』と言われたのを今思い出しました」と笑った。

 高木美帆の短距離2種目の金と銀は、彼女の天才ぶりがさらに発揮される、新たな一歩。それが、日本チームを救う結果になった。

 残念だったのは500mで五輪連覇を狙い、1000mも今季W杯1勝挙げて総合2位につけていた小平奈緒(相澤病院)がケガのため、本調子で臨めなかったことだ。長野市が大雪になった1月15日に右足首をねん挫し、1週間ほど氷から離れ、そのあとの1週間は、靴は履けたがまったく滑れなく、「絶望的だった」という状態で北京入り。

 それでもレースに出られるまでは戻してきたものの、戦えるところまではいかず、500mは17位、1000mは10位という結果に終わった。

 故障するまでは調子も上がってきて、500mでは12月のW杯カルガリー大会で出した36秒7~8をイメージして五輪に臨めるほど好調だった。

 それもねん挫で無に帰したが、「今、この瞬間、自分が乗り越えようとしている姿を見てもらうことが、五輪に参加していることの意味かなと思いました」と戦い抜いた。彼女が万全だったなら日本チームの流れも大きく変わったかもしれないだけに、 無念の故障だった。

 また、男子500mでは新鋭の森重航(専修大)が銅メダル獲得と結果を出したが、金メダルを期待された新濱立也(高崎健⼤職員)の不調は残念だった。500mはスタートのミスでスピードに乗れず20位。メダルの可能性があった1000mも前半でスピードを上げられず21位という結果に終わった。五輪初出場の難しさを味わう結果となった。

【日本スピードスケートの未来】

 ただ、これからの日本チームを見れば、2018年平昌五輪がメダルゼロに終わった男子は、平昌大会後に新濱の急成長で500mが勢いづいたことで、村上右磨(高堂建設)や松井大和(シリウス)ら世界のトップで戦える選手が出てきていた。また、今季は森重という新星も出てきて明るい状況だ。

 1000mと1500mで今大会は入賞者ゼロだった。W杯開幕前のPCR検査で陽性者が出たことで、メダル獲得の可能性があったチームパシュートは本大会への出場権を逃し、最多で9枠になる男子出場の総枠も7に止まってしまった。今季、開幕戦の全日本距離別選手権の1500mや1000mで一気に頭角を現してきた学生勢が代表に入る余地がなくなってしまった影響もある。彼らの今後の成長が期待できるだけに、短距離とともに男子の次は明るい。

 一方の女子は、今回の出場8選手中6名が前回経験者で、メダルや入賞を狙える主力もその6名のみという状況で、世代交代がうまくいっていない。特に500mは一番若い高木美帆でも27歳で、小平と郷亜里砂は35歳と34歳だ。

 また、チームパシュートのメンバーも今季は1500mで世界のトップに肉薄した佐藤綾乃(ANA)は25歳だが、高木菜那(日本電産サンキョー)と押切美沙紀(富⼠急⾏)は29歳。高木美帆や佐藤は次の五輪も主力として戦ってくれるだろうが、それを追撃する若手の台頭も必要不可欠になる。これからはトップの強化とともに、ジュニア世代からの育成強化にも力を入れなくてはいけない状況になっている。

 メダル量産という役割は果たしたスピードスケートだが、次へ向けては新たな課題が生まれた。