Jリーグ2022開幕特集武田修宏インタビュー(後)――現在と30年前。何が違うと思いますか。「当時のJリーグには、数多く…
Jリーグ2022開幕特集
武田修宏インタビュー(後)
――現在と30年前。何が違うと思いますか。
「当時のJリーグには、数多くの世界的な選手がいました。サルヴァトーレ・スキラッチ(ジュビロ磐田)というW杯(1990年イタリア大会)の得点王。ドゥンガというW杯(1994年アメリカ大会)で優勝したブラジル代表のキャプテン。レオナルド、ジョルジーニョ(鹿島アントラーズ)という同大会の優勝メンバーもいた。ピエール・リトバルスキー(ジェフ市原)、ドラガン・ストイコビッチ(名古屋グランパス)、もちろんジーコもいましたが、W杯には行けなかったけれども、そうした、それまでテレビで見ていた世界のトップクラスと一緒に試合ができたことはいい思い出です」
――アンドレス・イニエスタが7人も8人もいる感じでしたね。
「いいものを見た。間近で見せてもらったという感じですね。30年経って、時代が変わって、Jリーグは今、大変な時代に入ったと思います。海外の試合はほとんど見られますからね」
――Jリーグのレベルは上がったかもしれませんが、市場価値は下がっている。ロベルト・カルロスに1996年に話を聞いた際、「Jリーグという選択肢は、セリエA、スペインリーグ、プレミアリーグの次ぐらいだ」と、述べていました。
「さらに、当時はレベルが高い日本人選手は全員日本にいましたが、今は海外に行きますよね」

ヴェルディ川崎時代、独特の得点感覚でゴールを量産した武田修宏
――今のJリーグに必要なものは?
「かつてはチームに色がありました。ヴェルディ川崎ならブラジル。横浜マリノスならアルゼンチン。ジェフ市原はドイツ、チームにキャラや個性、スタイルがありました。たとえば祖母井(秀隆)さんがいた頃のジェフ市原は、育成に重きを置いたスタイルを取っていました。
現在なら、ヴィッセル神戸や浦和レッズは、選手を積極的に買うスタイルをもっと打ち出してもいいと思う。一方で、かつてのジェフ市原のように育てて売る育成型のクラブがあってもいい。育てるのか、買うのかも含めて、色を継続させてほしいと思います」
【ストライカーが生まれにくい日本】
――どのクラブも目標はと聞かれると、『優勝』と答えがちです。J1で優勝できるクラブは実際、限られているにもかかわらず。
「現場の指導者は優勝できないことはわかっています。ただ、残留を争うチームと思っていても、優勝を目標に掲げないとスポンサーが集まらないということもある。サッカーをよく知っている人がもう少し上層部にいると、いいのかなと思います。
また、クラブはもちろん、指導者、選手にも色を持っていただきたい。指導者には哲学がほしい。今の時代、打ち出しにくいのかもしれませんが、武田修宏だったら、観衆はドリブルを見にきてるわけではない。ゴール前のこぼれ球を狙う姿ですよ。三浦知良といえば、またぎフェイントとか。ラモスだったらスルーパスとか。お客さんはそうしたものを楽しみにスタジアムに来ると思うんです」
――そういえば、武田さん的なストライカーを最近、特に見かけません。
「環境がそうさせるのかもしれません。岡崎慎司と話をした時、『海外では結果がすべてであるのに対し、日本は内容を重視する』と言ってました。いい形とか、ビルドアップとか。海外は結果でしか判断しない。
僕なんか、子供の頃からサッカーがヘタだったので、とにかく何点とったという数字を出して、結果のなかでしか生きてきませんでした。12歳の時から(年代別)日本代表に選ばれて、点をとって当たり前という中なかでプレーをし、プレッシャーさえも力に変えて、メンタルが強くなり、成長できたと思います。ロマーリオが好きで、ワールドカップの際に待合室でインタビューしたことがあるのですが、「1点には人生を変える意味と意義がある」と彼も言ってました。
その重みを感じる環境が日本にはない。日本では強引に打ってはダメだとか。結果より形でしょう。キーパーコーチっていますけれど、ストライカーコーチもほしいですね。『いいプレーをしても結果が0点ではダメだ』と。そういう話を選手にしてあげることが必要です。『FWは前線から守備をして......』と言いますし、守備は確かに重要ですけれど、それで0点でいいのか。先日、カズさんと一緒にトレーニングしたのですが、1点の重要性について一番考えているのはカズなのかなと、あらためて思いました。
ストライカーは〇か×かなんです。△はない。まあまあはない。称賛されるか、罵倒されるか。時代が変化していくなかで、そういうストライカーをどう育てるか。岡崎は『こちらの選手はエゴイストだらけ』だと言ってましたが、でも点をとれば評価される。やさしくてうまい日本人選手はたくさんいるけれど、エゴイストはいない」
【その瞬間、ふいに涙が出てきた】
――武田さんが一目置く日本人ストライカーは誰ですか?
「やっぱり釜本(邦茂)さんです。あの時代に202ゴールとっているわけですから。Jリーグ30年、JSLと合わせて約50年の歴史のなかでナンバーワンです。その次は岡崎、カズさん、そして高原(直泰)。決めてほしい時に決めてくれる選手ですね」
――ライバルはいましたか?
「自分でした。武田修宏は武田修宏だから。小学校の時、好きな選手は?と尋ねられた時、自分自身かなと答えていました(笑)。自分には自分の長所があった。プロである以上、負けたくないという気持ちはゴンちゃんやカズさんにはあったけれど、代表などでは、プロフェッショナルという仲間になる。仲間でもあるしライバルでもある。要は自分自身との戦いなんです」
――岡崎はすばらしいですよね。
「滝川第二高校時代から見ていますが、高校時代は中山ゴン選手を目指していたみたいです。年齢とともに成長していった選手です。真面目に向上心を持って、壁にぶつかっても進化していく姿も見ていますし、その結果、欧州で揉まれて、世界のトップリーグであるプレミアリーグで優勝しました。一度インタビューした時、常に『このクラブはどうしたら点がとれるか、結果を出せるか』、クラブの戦術、チームメイトの特徴を考えながら、自分自身も変化、進化していく姿勢を持っていました。試合後のインタビューでの記者対応もしっかりしていてすばらしく、ひたむきさといい、人間性といい、最高じゃないですかね」
――1986年に読売クラブに入って以来、2001年まで現役を続けました。一番思い出に残っている試合は?
「日本代表に入りたい思いで読売クラブに入って、25歳でJリーグが発足してプロ選手になった瞬間ですね。子供の頃からプロができると思ってサッカーをしてこなかったこともありますが、国立競技場で行なわれた開幕戦の現場で、『サッカー続けてきてよかった。自分は劇的な場面にいるんだな』と、つくづく思いました。
開幕戦では国立競技場に歩いて入場していった時、ふいに涙が溢れてきました。いまでこそプロがありますけど、プロがない時代に5年間、日本リーグをやってきたので。特に開幕戦は思い出に残る、感慨深い試合になりました。
もうひとつは、試合ではありませんが、やはり世界のトップ選手と同じピッチで戦うことができたことです。彼らと一緒にプレーしたことは本当にいい思い出です。
W杯でベスト8を狙える国は、いずれも100年以上の歴史がある自国のリーグを持っています。日本はやっと30年です。まだこれからの国だと思います。だからこそ、色、個性、スタイルをもっと追求してほしいと考えます」

【profile】
武田修宏(たけだ・のぶひろ)
1967年5月10日、静岡県生まれ。清水東高校卒業後、読売サッカークラブ(日本サッカーリーグ)入団。Jリーグ創設とともに読売クラブはヴェルディ川崎に改組。三浦知良、ラモス瑠偉、北澤豪らと黄金時代を築く。その後、ジュビロ磐田、京都パープルサンガ、ジェフ市原などでプレー。2001年に現役引退後はタレントとしても活躍中。