2月11日はノムさんこと野村克也さんの命日だ。2020年に亡くなられて、はや2年がすぎた。筆者は30年にわたり、ノムさ…

 2月11日はノムさんこと野村克也さんの命日だ。2020年に亡くなられて、はや2年がすぎた。筆者は30年にわたり、ノムさんに何度もロングインタビューをするなどお世話になった。

【選手からの年賀状を気にしていた】

 ノムさんと接して感じたのは、究極の寂しがり屋ということだ。閑古鳥が鳴くパ・リーグの"月見草"だったから、セ・リーグの監督時代はダグアウトで記者に囲まれることを好んだ。

「あいつは年賀状もよこさないんや」とボヤき、選手が年賀状をくれるかどうかをすごく気にしていた。

 南海で現役だった時代、新年のあいさつに当時監督の鶴岡一人の自宅を訪ねたら、鶴岡監督を"親分"と慕う選手たちが集まり、新年会が開かれていたが、ノムさんは「体よく帰されて、寂しい思いをした」と語っていた。おそらく、この経験がトラウマになっていたのだろう。

 2009年に楽天のユニフォームを脱いでからは、都内のホテルで毎日をすごした。そこのラウンジでひっきりなしにマスコミの取材を受け、「そんなにワシばかり連投させると、肩を壊しちゃうぞ」と冗談を飛ばしていたが、ユニフォーム時代の華やかさとは比べようがない。

 2010年に尾花高夫氏、2012年に中畑清氏がDeNAの監督に就任した際には「言ってくれれば、ワシがやるのに」と監督就任に並々ならぬ意欲を見せていた。

 だが2012年には77歳となり、いつしか諦観の境地に達したようで、表情が好々爺然と変化していった。「いつ"お迎え"が来てもいい歳だよなぁ」と、若い取材者を困らせて反応を楽しんでいた。

【長嶋監督を挑発し続けた理由】

 それでも王貞治、長嶋茂雄のON話になると、目を輝かせた。

「ワシの現役時代のライバルは王、監督時代のライバルは長嶋だった」

 銀座の店で出くわした王がしばらくすると、「夜間練習をするからお先に失礼します」と中座した。その時、「いつか王に(通算)本塁打を抜かれるだろうと感じた」というのは有名な話だ。それにしてもお酒を飲まないことで知られていたノムさんが、なぜ銀座の店に顔を出していたのだろうか。

「銀座で飲むのは一流プロ野球選手のステータスだった。だから、女を口説きに行っていた。『英雄色を好む』と言うやろ。ワシは先に色を好んで英雄になろうとした。なれなかったけどな(笑)」

 また、こんなエピソードも教えてくれた。

 昭和40年代、両リーグで活躍した各2名に外国の航空会社からヨーロッパ旅行のプレゼントがあった。ある年、セ・リーグからは長嶋、王、パ・リーグから野村、稲尾和久が選ばれた。同年代の選手たちの長旅は楽しかったそうだ。帰りのお土産屋で随行スタッフから「土産屋は何軒か寄りますので、ゆっくり決めてください」との説明があった。

 にもかかわらず、長嶋は「オレはこれでいい」と即決。ノムさんは「チョーさん(長嶋)、いま何軒か寄ってくれると話があったばかりじゃないか」と頭を抱えた。せっかちで忖度するタイプではない長嶋を見て、性格的に親友になれないだろうな......と、その時に思ったという。

 そんなノムさんはヤクルトの監督時代、巨人の指揮を執っていた長嶋を「カン(勘)ピューター」と言って挑発した。だが、本当は長嶋のことが好きだった。「好きな女の子にちょっかいを出す」といった心理に似ているのかもしれない。

 晩年、ノムさんの自宅にはONとの3ショットの記念写真が飾ってあった。ライバルであると同時に、戦友でもあったのだろう。

【サッチーとの"婦唱夫随" の関係】

 ノムさんへのロングインタビューの際、サッチーこと沙知代夫人への30分のグチが最初のルーティンだった。しかし、沙知代夫人は2017年に亡くなった。当然ながら、グチはなくなり、時折、寂しそうな表情を見せていた。

 いまにして思えば、グチは愛情の裏返しだった。現役時代から球界を代表する名選手として名を馳せたノムさんに、言いたいことを言う女性など皆無に等しかった。そんななか、グイグイ引っ張ってくれるサッチーにベタ惚れだった。夫唱婦随ならぬ"婦唱夫随"。ノムさんは根っからの女房役タイプだったのだ。


野村克也監督(写真左)を

「野球の父」と慕っていた新庄剛志

 グラウンドでも、ノムさんに対して気を遣う選手やチーム関係者がほとんどだった。ノムさんも捕手仕込みの観察力、洞察力でそれを察知するため、どうしても距離ができてしまう。それが新庄剛志にはなかった。

「ミーティングを短くしてください」
「ピッチャーをやりたいです」

 ほかの選手なら絶対に言わないようなことを、臆することなく無邪気に言い放つ。そんな新庄が「憎たらしいほどかわいかった」のだろう。

 ある時、ノムさんに「いつも素敵なお召し物ですね。沙知代さんが選ばれるんですか。それともスタイリストがついていらっしゃるんですか」と聞いたことがある。するとノムさんはうれしそうな表情を浮かべこう語った。

「ヴェルサーチなんや。ネクタイはたくさんあるぞ。迷った挙句、いつも同じものを締めてしまう」

 昨年12月、「野村克也をしのぶ会」に参列した新庄が明かした。

「ヴェルサーチは僕が勧めたんです」

 新庄はノムさんを「野球のお父さん」と慕った。父親は、息子が自分の道を歩んでくれるとうれしいものだ。日本ハムの監督に就任した新庄は、選手に自分の考えを記した「新庄ノート」を制作したという。

 このキャンプで話題となったいろいろなポジションを試させるのは、まさにノムさんのやり方の踏襲である。

「僕のことを宇宙人と呼んでいましたが、ノムラ野球+宇宙人野球なら面白いと言ってくれるでしょうね」

 天国でサッチーとともに、新庄監督の活躍を楽しんでいるに違いない。

(文中敬称略)