2月4日に開幕する北京オリンピック。スノーボードクロスは2月9日 女子競技、10日 男子競技、そして12日 新種目 混合団体が行われる。そのスノーボード/スノーボードクロスチームのヘッドコーチ 五十嵐幸太さん。2009年現役引退後コーチに転…

2月4日に開幕する北京オリンピック。スノーボードクロスは2月9日 女子競技、10日 男子競技、そして12日 新種目 混合団体が行われる。そのスノーボード/スノーボードクロスチームのヘッドコーチ 五十嵐幸太さん。2009年現役引退後コーチに転向し後進の育成に力を注いできた。第1回はスノーボード黎明期にプロを目指した経緯を伺った。

――五十嵐さんがスノーボードを始めたのは、いつですか?

五十嵐幸太(以下 五十嵐):スノーボードを始めたのは19歳です。元々、スキーを3歳からやっていました。小学校時代、両親がスキー場によく連れて行ってくれました。

中学生になりスキー部とサッカー部両方に所属。中学総体でアルペンスキーの大会に出場しました。高校でもスキーを続けましたが、大会にはほとんど出場しませんでしたね。ただ19歳でスノーボードに出会ってからは、今に至るまでずっとのめり込んでいます(苦笑)。

――1990年代前半はスキーブームでしたよね。映画「私をスキーに連れてって」の大ヒットやスキー用品のCMを多く見た記憶があります。ある時、ゲレンデで「板の上に座っている人がいるぞ?」と思ったらスノーボーダーでした(笑)。

五十嵐:スキーヤーの時はゲレンデの途中で座っているスノーボーダーが危なく感じました(苦笑)でも初めてスノーボードに乗った瞬間にハマったんです。次の日には「スノーボードのプロになる」と決めていましたから(笑)。

――気持ちの切り替えが速いですね!プロになると決めてどうしましたか?

五十嵐:2シーズン連続で山形蔵王のペンション村に住み込みのアルバイトに行き、毎日滑り倒しましたね。

――毎日はすごいですね。オフシーズンである夏はどう過ごしましたか?

五十嵐:冬、滑りに集中するため、ひたすら夏はバイトしてお金を貯めました。それを2,3年繰り返しましたね。23歳の時、JSBA(日本スノーボード協会)の東北大会を勝ち抜いて全国大会に出場したんですよ。その時、プロ資格を満たす6位入賞。ただ「プロ資格」を手に入れても、何をして良いのか分かりませんでしたけど(苦笑)。

その後10年間、PSA(プロスノーボーダーズ アソシエイション)の理事も担当しました。日本国内にはスノーボードの連盟が2つ存在します。一つがJSBA、そして一つは文部科学省所管のSAJ(全日本スキー連盟)です。

23歳の頃、私の目標はオリンピックでした。ただ出場するためにはSAJに加盟する必要があります。加盟後、2005年に強化指定選手に選ばれナショナルチームとして世界を転戦する生活が始まりました。

――19歳までスキーをしていた五十嵐さんがスノーボードの虜になったキッカケはなんですか?

五十嵐:当時19歳の日本人スキー選手の中でレベルは高い方ではありませんでした。「ただスキーが好き」なだけでしたね。

でも初めてスノーボードを乗った瞬間、身体に電流が走ったんですよ。スキーを履いた時には味わえなかった感覚。「1番になれる」と勝手に思いました。続けていくうちに上手いスノーボーダーが沢山いることを知りましたけど(苦笑)。

それにスノーボードとの出会いは、「新しい世界を切り拓いていくワクワク感」がありました。だから「これだ」と確信し没頭しましたね。

――新たなことへの挑戦は何歳になってもワクワクしますよね。特にこれまでなかった新しい競技ならなおさらです。

五十嵐:でも社会的にスノーボード自体があまり良く思われてなかったですね。スノーボードが禁止されているゲレンデもありました。元々スキーをやっていたので気持ちは理解できます(苦笑)。

自分一人の力では何もできないことをたくさん経験しました。それでも頑張れたのは「スノーボードという新しいスポーツの魅力を伝えなければいけない」という想いからですね。

――シーズンを重ねる毎にスキーショップのスノーボードコーナーの割合が増えていきました。すごい勢いでスノーボード人口が増えたように感じます。

五十嵐:でも最初の頃はいろいろと苦労がありました。そんな時に頼りにしたのが「MSサーフ」というショップでした。現在は閉店してしまいましたが、仲の良い7,8名のチームメイトがいて、毎週のように一緒に滑るのが楽しかった。楽しみながら上手くなっていった記憶しかないですね。その頃のチームメイトとは今でもやり取りしていますよ。

2001年からヨネックスさんのサポートを受けるようになりました。このチームヨネックスのメンバーが日本全国にいたんですよ。国内の練習場所も地元仙台ではなく長野や新潟で練習することが多くなり、チームヨネックスのメンバーと過ごすことが多くなりました。

2003年ごろから海外に行き始めました。あの頃は2006年のトリノオリンピックを目指して活動していたのです。

そして2005年にナショナルチームに入り、そのメンバーと世界を転戦し一緒に過ごすことが多くなった。世界に行くようになって「想定外の苦労」をしました(笑)。

<第2回に続く>

五十嵐幸太 / イガラシ コウタ 宮城県出身
日本選手団 スノーボード/スノーボードクロスチーム ヘッドコーチ
実績
2001年 JSBA東北地区大会 SX 優勝
2006年 FIS ニュージーランド選手権 SX優勝
2007年 FIS 世界選手権 SX日本代表
2009年現役引退後、全日本スキー連盟コーチに就任。

取材・文/大楽 聡詞
写真提供/五十嵐幸太