三浦孝太インタビュー 前編 2021年大晦日の「RIZIN.33」で、プロ格闘家デビューを果たした三浦孝太。日本サッカー界の生ける伝説"キングカズ"こと三浦知良・りさ子夫妻の次男として話題になったが、衝撃の"サ…

三浦孝太インタビュー 前編

 2021年大晦日の「RIZIN.33」で、プロ格闘家デビューを果たした三浦孝太。日本サッカー界の生ける伝説"キングカズ"こと三浦知良・りさ子夫妻の次男として話題になったが、衝撃の"サッカーボールキック"によるTKO勝利でさらに名を上げた。

 偉大な父を追うようにサッカーをやっていたところから、なぜ総合格闘技を始め、RIZINという大イベントでその一歩を刻むに至ったのか。「カズの息子」と言われること、「格闘技一本でやっていく」と伝えた時の両親の反応なども含め、三浦孝太が経緯を語った。(取材日:2022年1月14日)



2021年大晦日のRIZINでの格闘家デビュー戦を、TKO勝利で飾った三浦孝太

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――大晦日の試合が終わっての反響はいかがですか?

「試合前は、Instagramのフォロワーが3000人弱だったのですが、試合が終わったあとにスマホを見たら1万人ぐらいになっていて、『えー!』とびっくりしました。そこから一気に増えていったので、少し戸惑いがありましたね」

――それからフォロワーはどんどん増えていますね(取材時は約11万人。1月30 日時点で52.6万人まで増加)。

「信じられないです。フォロワーは年齢層や性別も確認できるんですけど、以前は7・3ぐらいで男性が多かったのが、試合が終わったら6・4ぐらいで女性のほうが多くなっていて。格闘技とは関係なく『カッコいい』と言ってもらえることもあるんですが、今までそんなふうに言われたことがなかったので、それにも驚いています」

――RIZINの影響力の大きさを感じます。

「そうですね。それまでは試合経験もなく未知数だったんですが、当日は予想以上に試合が楽しかったです。そこで初めて『(格闘技を)やってよかったな』と思いました。勝ったことによって応援してくれる人が増えれば増えるほど、責任も大きくなりますし、もっと努力をしないといけないと思っています」

【どんな人でも、誰かの2世】

――あらためて、格闘技はどういった流れで始めたんですか?

「高校生の時に、サッカーをやりながら趣味でボクシングを始めたんです。その時は『ボクシングの試合に出たい』という気持ちはなく、好きでやっていて『強くなれたらいいな』とぼんやり思っていたくらいです。

 なぜボクシングだったのか、というのはお父さんの影響ですね。漫画の『あしたのジョー』やモハメド・アリ、マイク・タイソンが好きで、僕も小さい時からそれらを見たり、実際に始めるなかで徐々にハマっていった感じです」

――そこから、「格闘家として歩んでいきたい」と気持ちが変わったのはいつ頃ですか?

「小さい頃からお父さんを見てきて、『自分も何かしらでスターになりたい』という願望が芽生えていました。ただ、サッカーでトップに立つということは考えておらず、別の何かを見つけたいと思っていたんです。

 そう思い始めていた頃に総合格闘技の練習を始めて、その魅力にどんどん引き込まれました。総合格闘技はすべての格闘技のなかで一番強いイメージがあったので、『この世界でトップになったら、お父さんに近づけるんじゃないか』と。そこから本気で取り組もうと思うようになりました」

――サッカー界の"キング"の息子として、よくも悪くも子供の頃から注目されたと思います。プレシャーに感じたことはありましたか?

「そこに関しては、悪いようには感じていないんです。お父さんがそれだけすごいことを成し遂げたんだという実感もありましたし、『カズの息子』と言われることを深く考えたことはありませんでした。

 小さい時にお父さんとお風呂に入った際、『どんな人でも、誰かの2世だから』と言ってくれて納得できたからかもしれません。うちは、両親がたまたま表にでる職業ということだけ。例えば親がラーメン屋さんだったら、『ラーメン屋を継ぐの?』と言われるとも思うんですけど、『僕もそれと同じだ』と当たり前のように受け止めてきました」

【高校2年で「格闘技一本に」】

――大晦日の試合後には、リング上から「お父さんとお母さん、小さい頃はいっぱい迷惑かけたにもかかわらず、初めての試合を見に来てくれてありがとう」と感謝を伝えていましたね。

「不良ではなかったですけど、お母さんやお父さんには迷惑をかけてきました。小さい時はカッとなりやすいところがあって、サッカーの試合中でも、相手の選手や審判に感情をぶつけてしまい、お母さんが学校に呼び出されて怒られることもありましたね。

 今思えば絶対によくなかったことですが、勢い任せで"荒く"なってしまっていたんです。そんな性格が自分ですごく嫌になり、『もっと器が大きい人になりたい』という願望が出てききて。どんな職業でも"強い人"はみんな器の大きいイメージがありましたが、僕も格闘技を始めたことによって、優しくなれたというか、少しずつ変われたと思います」



インタビュー中は終始笑顔

――昨年の高校卒業時に、大学に進学せず格闘家一本で行くことを決意したそうですが、その背景を聞かせてください。

「高校2年で将来の自分を考えた時に、格闘技をやりたい気持ちは固まっていました。もちろん大学に行くことはすばらしいことだし、いろんなことを学んで就職する道もあったとは思いますが、僕は格闘技一本に決めました。

 自分の性格的に、目標なく大学へ進んでいたら、きっと遊んじゃっていたと思うんですよね。そうなると4年間のお金、時間ももったいないじゃないですか。だから進学の道を閉ざして、格闘技にどっぷり浸かれる環境を選びました。やりたいことのために、後悔のない選択をしたかったんです」

――その決意をご両親に伝えた時は、どんな反応でしたか?

「お父さんは最初、『大学進学でもいいんじゃないか』という反応でした。プロとして生きる厳しさをよく知っているからでしょうし、僕が最初の試合でケガをして『やっぱり、あんなに痛い競技はやりたくない』と思う可能性もある。『大学に行くのが一番安全』というのは、お母さん、おばあちゃんも共通していました。

 でも、僕が『格闘技に専念したい』という気持ちを伝えていくうちに、少しずつ風向きが変わってきて、『孝太が大学に行くとしたら、何のために行くんだろうね』という話になってきたんです。お父さんは『自分が行ってないから何も言えねえわ』みたいな感じになって、お母さんも『孝太は、大学に行っても途中で辞めちゃいそう。お金がもったいないだけになっちゃうんじゃない?』と意見が一致して、僕の決断を理解してくれました」

――お兄さんの獠太さんも俳優で活躍していますが、それも自身の選択に影響がありましたか?

「兄貴も一生懸命に台本を覚え、表現方法を探るなど芝居に対してストイックに向き合っている姿も見ています。兄貴はテレビや人の前で頑張っているところを見せないので、周囲や世間の方には伝わっていないのかもしれませんが、一緒に暮らしていると努力を決して怠らないことがよくわかります。

 僕も友達に『俳優やったら?』と言われたこともあるんですけど、兄貴を見ていると『自分にはできないな』と感じます。だから僕は『拳で生きてくしかない』というか、兄貴や、お父さんとも同じような高い熱量で、格闘技の道を進んでいきたいです」

(中編:RIZIN出場を発表後、バッシングの嵐>>)

■取材協力:BRAVE GYM