三浦孝太インタビュー 中編(前編:「格闘家一本で」の決意に父・知良が反対した理由>>) 2021年大晦日のRIZIN.3…

三浦孝太インタビュー 中編

(前編:「格闘家一本で」の決意に父・知良が反対した理由>>)

 2021年大晦日のRIZIN.33でプロ格闘家デビューを飾った、"キングカズ"三浦知良の次男・孝太。「格闘家一本で生きていく」と決め、高校卒業後に親元を離れてBRAVEジムの寮に入り、日々の苦しいトレーニングのなかで成長していった。

 そこにRIZIN出場のオファーが届き、悩みながらも承諾。昨年9月にそれを発表して以降は誹謗中傷の声が多くなったが、初めての試合に向けたプレッシャーとどのように戦っていたのか。また、俳優の兄・獠太との気分転換で密かに磨いていた"必殺技"とは。(取材日:2022年1月14日)



デビュー戦でサッカーボールキックを決めた三浦孝太

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――高校を卒業後、シドニー五輪のレスリング日本代表で、プロの総合格闘家としても活躍した宮田和幸氏が代表を務める「BRAVEジム」の内弟子となりましたね。寮生活も含めて格闘技漬けの日々はいかがでしたか?

「高校2年の時にヘルニアを患い、約半年間、激しい運動ができない時期があったんですが、そのリハビリで宮田和幸会長と出会いました。そこからお世話になっています。

 寮に入る前は気づかなかったんですけど、家族みんなで時間を過ごすことや、お母さんが当たり前に作ってくれたご飯のありがたみをすごく感じました。僕は寂しがり屋な部分があるので、そういうことも含めて寮ではつらいこともありましたが、さまざまな人が格闘技に本気で向き合っていることを感じ取れたので、入ってよかったと思っています」

――練習が進み、現役の格闘家とのスパーリングもやるようになったと思いますが、その時はどうでしたか?

「みんなものすごく強くて、最初は毎日ボコボコにやられてました(笑)。力で勝てる人もいなかったので、精神的にキツかったですね。そういう経験をするだろうことは、寮に入る前に想定はしていたんですが、実際にやってみると全然違って。『めっちゃ強い......敵わないな』という感じでした」

【「チャンスを逃す人になるのはよくない」】

――そういう修行生活も、お父さんには報告していたのですか?

「お父さんとお母さん(三浦りさ子)には寮での生活について逐一報告していました。お父さんには『本当に俺は成長してんのかな。あんまりうまくいかない』という弱音を吐いたこともあるんですが、そういう状況に対しては『始めたばかりなんだから当たり前だよ。あまり考えすぎずに格闘技に向き合え』とアドバイスをしてくれました。

 その後も、『自分が強くなっている』という手応えを感じた瞬間はなかったです。それでも時間が経過するにつれて、スパーリングで通用するシーンが少しずつ増えてきました。徐々に成長を感じ、強い格闘家が集まっている場所でトレーニングすることの重要性も実感しました」

――そんななか、昨年9月のRIZIN.30のリング上で、大晦日の大会でデビューすることを自ら発表します。オファーが来た時や、出場を決めた時の気持ちを教えてください。

「それまでの練習で、RIZINに出場している選手やプロの方たちに練習でやられた経験がありましたから、最初にオファーが来た時は『自分がRIZINに出ていいんだろうか。大丈夫かな』という不安がありました。

 そのこともお父さんに相談したんですが、『もしかしたら今回が最後のオファーかもしれない。そのチャンスを逃す人になるのはよくない』という話になって。たくさんの格闘家が出たくても出られない大会に、どういう経緯であれ、声をかけてもらえたっていうのは大きなチャンス。"三浦知良"という名前を使ってこちらから要求するといった悪いことをしたわけではないですし、覚悟を決めました。

 初の格闘技の試合で酷いやられかたをすることもあるだろうし、試合までに『いろんなバッシングがあるだろう』ということは容易に想像できました。だけど、覚悟を決めてチャンスに飛び込んでいかないと、目標とするお父さんのような"スター"には絶対なれない。最初は少し複雑な気持ちがありましたが、出場を決めてから試合までは『もうやるしかない』と腹を括って練習に励みました」

【出場発表後、大バッシング】



出場までの経緯を語った三浦のサムネイル画像

――実際にRIZINの出場が発表されたあとは、さまざまな声があったと思います。プレッシャーもあったと思いますが、どういうふうに受け止めていたのですか?

「SNSは見ないようにしていました。もともと、自分や他の方のSNS、動画サイトなどのコメント欄もあんまり見ないんです。例えば、何かの動画を見ていて『この動画、めっちゃ面白いな』と思っても、コメント欄に『これはヤラセ』といったことが書いてあったら、次回から先入観を持って見ちゃうので。そういうふうに何かを見たり、やったりする前に余計な情報が入ってしまうのがすごく嫌なんです。

 でも、僕が大晦日のRIZINに出ると発表したあと、初めてコメント欄を見てしまって......そこには、想像以上の誹謗中傷、バッシングが書き込まれていました。なかには殺害予告などもあったので、『やっぱり見ないほうがいいんだ』と再認識して、自分についての情報は見ないようにしました。そこからは、試合に対するプレッシャーは感じていたのかもしれないですけど、世間の声を気にして寝られなかった、といった感じではなかったですね」

――初めての試合に向け、最悪な結果になる夢などを見てうなされる、といったことはなかったんですか?

「夢のなかでも戦っているような意識があったのか、汗だくで起きることはありました。それは初めての経験だったので、体が勝手に反応していたのかもしれません。ただ、試合が近づくにつれて、アドレナリンのようなものが出てくる感覚もありました。夜中に武者震いして急に起きちゃったこともありましたね」

――格闘技からちょっと離れて、気分転換のためにやっていたことなどはありましたか?

「週に1回、兄貴がフットサルに連れていってくれました。気分転換という点でも大きかったんですが、もうひとつ理由がありました。

お父さんのようなサッカー選手にはほど遠いですが、僕も高校までサッカーをやっていたので、試合中にチャンスが来たら『絶対にサッカーボールキックを見せたい』と考えていたんです。そのために、キックの感覚をフットサルで忘れないようにしておこうと。実際にサッカーボールキックを決められたから言えることではあるんですけど、週1のフットサルが試合でも生きたんじゃないかと思います(笑)」

(後編:キングカズが勝利直後にかけた「まさか」の言葉>>)

■取材協力:BRAVE GYM