J1リーグ歴代最多の191得点の記録をもつ大久保嘉人 昨年、プロサッカー選手を引退した大久保嘉人。 20年続けたサッカー…

J1リーグ歴代最多の191得点の記録をもつ大久保嘉人
昨年、プロサッカー選手を引退した大久保嘉人。
20年続けたサッカーから離れて、最近は「主夫」を始め、いろんな表情を見せているが、もともとピッチ外の表情は優しく、怒らない、4児の父だった。だが、ピッチ内では性格が豹変し、やんちゃで荒々しいプレーを見せた。
大久保曰く、それは違う人格の「大久保嘉人」を演じていたと言う。
なぜ、大久保嘉人を演じなければいけなかったのだろうか。
「その出発点は、俺が初ゴールを挙げた磐田戦にあるんですよ」
大久保は、国見高校から鳴り物入りでセレッソ大阪に加入。開幕から5戦目の磐田戦で初ゴールを決めたが、田中誠と口論になり、両者にレッドカードが出された。
「その翌日の新聞に、どでかく『大久保、初ゴールを決めて即退場』と出ていたんです。これは、すごいな。こういうことでメディアに出してくれるのか、と思ったんです。その時、何か違うことをやれば有名になれる。でも、1回だけじゃ意味がない。だったら、これを続けよう。それで『悪党』と言われたり、批判もされたけど、最後まで違う自分を演じてやろうって思った」
誰も知らない自分をいかに売り出すか。そのために「悪童」になった。キャラクターを演じると実際の自分とのギャップに悩みそうだが、大久保はもともと大の負けず嫌い。父親からも「人に負けるな」と言われて育った。サッカーでは負けたくないという気持ちがそのまま激しいプレーとなって出ていたので、精神的な負担にはならなかった。
だた、周囲からの批判は膨らんだ。
「不思議なことにサッカー選手をやっている時は、批判とか、まったく気にならなかった。言うだけの人はすぐに言ったことを忘れるからね。批判した人が俺の面倒を見てくれるわけじゃないし、稼ぐのは自分。いろいろ言う人には、いつかは見返してやるっていう気持ちでやっていました」
大久保嘉人を演じた結果、104枚のイエローカード、12枚のレッドカードをもらったが、そのキャラクターが確立された。
「イエローや退場で出場停止がなければ、とっくに200得点超えていたと思う。でも、それも残念だと思わない。イエロー、退場も含めて大久保嘉人だと言えるので」
J1リーグ通算最多の191得点、3年連続得点王など、言動だけではなく、記録でも強烈なインパクトを残した。
【FC東京移籍は反対された】
大久保が現役時代を振り返り、一番感謝しているのが「嫁さん」だと言う。
「自分はやんちゃで、移籍の時も自分ひとりで勝手に決めた。俺に振り回されながら文句も言わずに、たまに言うけど(苦笑)、ついてきてくれた。正直、妻がいなければここまでやれていなかったです」
妻・莉瑛さんは全力で大久保嘉人のサッカーをサポートしてくれた。
だが、一度、本気でキレられたことがあった。川崎フロンターレからFC東京に移籍を決めた時だ。フロンターレでの2年目の終わり、FC東京からオファーが届いた。熱烈なオファーに気持ちが揺らいだが、そのことを察した妻が中村憲剛や大島僚太を家に呼んで説得をお願いした。その時は、残留を決めた。そして、4年目のシーズン終わり、またFC東京からオファーが届いた。
「その時は、妻には内緒で、あとはハンコを押すだけになってから、話をしたんですよ。そうしたら『マジでやめて』と言われて。いい選手ばかりだし、憲剛さんとは家族ぐるみで仲がよかった。スタジアムの雰囲気は最高でサポーターから応援してもらっているのに、なぜ?という怒りしかなかったんだろうね(苦笑)。それで、憲剛さんに電話して、『私じゃもう無理。憲剛さんしか止められない』と説得をお願いしたけど、その時はもう遅かった。フロンターレは好きだったけど、子どもの頃からいろんなところでチャレンジしたい気持ちがあったので、その時はFC東京で頑張ろうと思ったんです」
川崎で3年連続得点王になり、プレーヤーとして輝いたが、大久保にとってはシーズンが終われば過去のこと。サッカー選手として、さらに成長するためには、安定はその妨げになると思っていたのだ。
「FC東京に行って活躍できなかったけど、後悔はしていない。そこで自分に足りないものがわかったし、それを次のチームで活かせばいいと思っていた。そうして、引退するまで少しずつですけど、大久保嘉人は大きくなっていったと思うんです」
それもまた大久保嘉人を確立させるためには必要なことだったのだ。
【期待している日本代表の選手】
今年は、ワールドカップイヤーだが、大久保は、2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会に出場している。南アフリカW杯の時は、日本代表への期待感が薄く、現地に入ってから大改革を行ない、システム、スタメン、キャプテンまで変えた。大久保は、その時、4-3-3-の左MFに置かれた。
「現地での練習試合で、俺と松井(大輔)さんと圭佑(本田)が前に入ってプレーしたんです。これでいくぞって監督に言われた時は、もう腹をくくるしかなかった。普通にやっても世界には勝てないんで、これでやるしかない。マジで倒れるまで走るしかないって思っていた」
練習試合後、3人で集まってやるべきことを徹底しようと決めた。
「圭佑には、とにかくキープしてくれと。お前がキープすることで、俺たちが上がって攻撃に参加できる。でも、キープできないとカウンターを喰らって俺たちは守備で下がらざるをえなくなる。そうするとお前が孤立する。大変だが、俺たち3人でやってやろう、そんな話をしました」
W杯初戦のカメルーン戦、本田のゴールは3人の絡みから生まれた。松井がクロスを上げ、大久保と本田が中に入った。大久保の動きが相手DFの動きをつり、フリーの本田が決めた。この1点がなければ「チームは終わっていた」と大久保は言う。
W杯はいつの時も勝つのは難しいが、今の日本代表は今年、開催されるカタールW杯の最終予選の序盤戦、相当に苦しんだ。初戦のオマーン戦、アウェーのサウジアラビア戦に敗れ、2敗を喫した。その後、盛り返し、なんとかW杯の出場権が手に入りそうなところにいる。
「今の代表は、いい選手が多いなって思うけど、あんまりワクワクしない。日本人のよさ、技術や俊敏性とかを活かしたサッカーにはたどり着けていない。あと、苦戦しているのは、アジアの国のレベルが高くなっているのもあると思う。今後、ほかの国が伸びて、追いつかれるようなことになると、W杯に行くのが当たり前じゃなく、予選から苦しい戦いをしいられるだろうね」
チームとして、もうひとつ強さを見せられない日本代表だが、個々に目を向けると、若い選手の活躍が目立つようになってきた。
「碧(田中)と守田(英正)は伸びたな、と思う。特に、碧はここまで成長するとは思わなかった。最初は試合に出られない悔しさを抱えたこともあったと思うけど、試合に出るようになって自信をつけた。今は、動きまわりながら縦パスを常に狙っているし、前に上がってシュートも打てるし、なんでもできる。香川真司もセレッソに入ってきた時は痩せていて、足が遅く、テクニックはあるけどそんなに目立つ選手ではなかった。でも、試合に出ることで自信をつけて、のし上がっていったからね。碧と守田は楽しみですよ」
田中も守田も今や代表に欠かせない選手になりつつある。ただ、元点とり屋としては、点がとれるストライカーの登場も楽しみにしている。
【今後の活動は?】
引退後、大久保はサッカーの試合の解説はもちろんバラエティ番組への出演など、現役時代にできなかった仕事を楽しんでいる。
「今は、いろんなことに挑戦できて楽しい。正直、もう1回サッカー選手やりたいとか思わんもん(笑)。生まれ変わるなら次は、歌手がいい。歌は人を感動させられるし、結婚式とかで歌うと泣けるでしょ」
シンガーになりたいというのがちょっと意外だったが、サッカー選手をやりたいとは思わないというのは、なんとなく理解できた。小さい頃から「負けるな」と父に言われ、張りつめたなか、別人格でサッカーを続けてきたので、気持ち的にはもうお腹いっぱいなのだろう。
ちなみに今、一番やりたいことは 何なのか。
「テレビで芸人さんとかが体を張っている番組に出たい(笑)。激辛とかの挑戦も大丈夫、NGなしで、なんでもやります」
やりたいと思ったことは止められない。川崎からFC東京に行った時のように、大久保は常に違う世界を見てみたいのだ。