田中希実の独占インタビュー第1回 東京五輪陸上女子1500メートルで日本人初の8位入賞を果たした田中希実(豊田自動織機TC)が「THE ANSWER」のインタビューに応じた。全3回にわたってお送りする第1回は、自身が持つ「強いランナー」の定…

田中希実の独占インタビュー第1回

 東京五輪陸上女子1500メートルで日本人初の8位入賞を果たした田中希実(豊田自動織機TC)が「THE ANSWER」のインタビューに応じた。全3回にわたってお送りする第1回は、自身が持つ「強いランナー」の定義について。同種目では日本人初の五輪出場。トラックに立つだけでも快挙だったが、決勝まで進み、世界の猛者たちと勇敢に戦う姿が感動を呼んだ。

 153センチの小さな体で表現するその走りには、一体何が詰まっているのか。レース後にトラックに向かい、叫びながらやった一礼に込めた想いとは。ストイックに「強さ」を求める22歳には壮大な理想像があった。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

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「私はもっと強くなりたい。何十年先も記憶に残る選手に」。貪欲な胸の内を体現した3分59秒95のレース。昨夏、ファンは一人の走りに惹き込まれた。

 8月6日、東京五輪陸上女子1500メートル決勝。田中はスタート直後に2番手につけ、レースをつくろうと前に出た。全体がハイペースになり、すぐに2019年世界選手権女王シファン・ハッサン(オランダ)が先頭に上がってきた。準決勝までと異なる展開。153センチのひと際小さな体は集団中央にのみ込まれ、5番手に後退した。

 前も後ろも、右も左も世界の強敵。物怖じなんてしない。細かく、かつ強烈な駆け引きを振り払いながら最後まで食らいついた。世界との距離が遠かった種目で五輪8位入賞の快挙。9位との差はたった0秒17だった。

「最高峰の舞台で無我夢中になれたら結果が出た。リミッターも外れて夢中だった。今となっては本当に夢の中にいるみたい。ずっとフワフワしている感じでした」

 フィニッシュ直後に両膝を崩し、四つん這いでトラックにへばりついた。重い体を裏返し、失った酸素を取り戻そうと全身で呼吸する。電光掲示板を見上げた汗だくの顔には少しの充実感。今、持っているものは使い果たした。

 無観客の国立競技場。テレビ画面越しでも、彼女の熱は電波に乗って伝わった。

 快挙から4か月以上が経った年末、がむしゃらになった大舞台を振り返った。2021年、日本陸上競技連盟がファン投票を募った「あなたの心を最も熱くした選手」で1位に選出。あの走りは、なぜ人の心を揺さぶったのか。自分では言葉にしにくいことを謙遜しながら答えてくれた。

「私もオリンピックを楽しんでいました。人が感動するには、無我夢中になった姿から人間らしさを見つけられたり、自分と共通する部分を重ねたりするのだと思います。逆に『自分にはできない部分を体現してくれている』というのもあって感動するのかなって。誰しも無我夢中になれるものがあると思うんですけど、それを世界の舞台でやったことでいろいろな方の心が凄く動いた部分なのかなと思います」

 感動を与えよう、なんて思っちゃいない。予選で日本記録を塗り替えると、準決勝でも日本女子初の3分台突入となる3分59秒19でさらに記録を更新した。世界で13人しか立てない決勝を走破。快挙のレース直後、田中のあるシーンが話題となった。

レース後の絶叫、一礼に込めた想いとは「強制や“形だけ”になるのは嫌」

 他国の選手と健闘を称え合い、トラックから出る時だった。振り返り、深々と一礼。顔を上げると、思い切り何かを叫んだ。画面越しでは音声が届かない。でも、口は明らかに「ありがとうございましたーっ!」と動いていた。

 ハツラツと、思いの丈を力いっぱいに表現した姿。ここで涙腺が崩壊した人も多かったはず。本命種目の5000メートルは予選敗退に終わり、1500メートルで3本を走った五輪。締めくくったあの一礼には、どんな感情が込められていたのか。

「まずはオリンピックをしっかり開催してくださったことに対してです。いろいろな支えがあってこんな結果を出せる舞台が用意された。『それがあったからこそ、こういう走りができました』と伝えたかったです。2020年にも1500メートルで日本記録をつくることができた競技場で、何回も走る機会があった場所。競技場、テレビで見てくださっている方、大会関係者の方へ『ありがとう』と感謝を込めました」

 実はどのレースでもやっている。きっかけは兵庫・西脇工高時代。鉢巻きを取って一礼するのがチームのルールだった。「大事なことだから続けた方がいい」と親の勧めもあり、田中は卒業後も習慣にしている。ただし、決して受動的なものではない。

「自分も強制されるのは嫌だし、体育会系の延長で何も考えずに言われたからやるような“形だけ”になるのも嫌。本当に心からやりたいって思った時は、オリンピックみたいに自然と大声でしっかりできるんです。逆に納得のいかないレースは声が小さい。頭を下げるけど声は出さない、みたいな時もありますね。たまに忘れてしまうこともあったり(笑)。あそこまで大声でやるのは稀かなと思います」

 最後の最後まで本心をさらけ出して行動した。だから、見る者の心が動いた。

頭に描く壮大な理想像「それが自分の中の強い選手のイメージです」

 母・千洋さんは北海道マラソンで2度優勝した市民ランナー。コーチを務める父・健智さんも元実業団選手だ。両親の影響で小学生の頃から走ることが身近にあり、中学から本格的に陸上を始めた。五輪は高校時代から「出られれば出たい」と思う程度。夢や目標として位置づけていたわけではなかった。

 最初に「出たい」と強く意識したのは、5000メートルの出場権が懸かっていた20年12月の日本選手権(長距離)。1500メートルはスピード持久力などを強化する一環として出場を続け、その中で獲得できた権利だった。

 競技人生でずっと重きを置くのは「強くなりたい」という気持ち。当然、五輪8位入賞も最終目標ではない。ゴールはどこにあるのだろうか。

「もっと強くなりたいと言っても、自分の中で最終形態は決めていません。オリンピックでメダルを獲るんだとか、世界ランクで何位の選手になるんだとか、そういう明確なものとはまた違う。『強くなれるところまでなりたい』と思っています。

 高校でも『今の自分より強くなりたい』と思っていたんですけど、結果的にオリンピックに出られるかどうかはわからない。常に今の自分より強くなりたい。それを続けられれば、いつかはオリンピックに出られるかもしれないと思っていました」

 では「強いランナー」とは何なのか。抽象的ながら、頭には絵が浮かんでいた。

「タイムが速い、確実に勝つというのは、誰がどう見ても強い選手。自分もそうありたいとは思っています。でも、タイトルを獲っていなくても人の心に残る選手はいる。誰がどう見ても強い選手にもなりたいし、その中で『ただただ、速かったな』で終わるのではなく、何十年先も記憶に残る選手になりたいです。それが自分の中にある強い選手のイメージです。

 その時々で記憶に残る選手はいますけど、何十年先にも残る選手となったら、やっぱり結果も明確に残しておかないといけない。日本記録もいつかは破られるものですが、有形と無形、両方でちゃんと残る選手になりたいと思っています」

 まだ22歳、卒業論文の提出を終えたばかりの大学4年生。春から新社会人になる年齢だ。類まれな思考には壮大な理想像が描かれている。

「強いランナー」の例に挙げた日本人レジェンドとは「記録がなくても憧れてしまう」

 田中が「強いランナー」の例に挙げたのは、福士加代子(ワコール)だ。五輪は16年リオまで4大会連続出場。かつては複数のトラック種目で日本記録を打ち立て、記録でも、発言でも、走りでもファンを魅了してきた。

 そんなレジェンドの3000メートル日本記録を18年ぶりに破ったのが田中だった。今月30日の大阪ハーフマラソンでラストランを迎える39歳について「あの姿勢に凄く惹かれます。もともとは速い、強いことで注目されていたと思いますが、今はトラック種目の日本記録を全て抜かれても周りは憧れてしまう」と目を輝かせる。

「強く惹かれるものを持っている方。人を惹きつける何かが大事」。自身も、その「何か」を垣間見せたのが五輪だった。

「大きな舞台では無我夢中になれる。オリンピックだからこそ、その心境に至ったと思います。アスリートとして最高の形って、余計なことを考えず、ただただチャレンジ精神を持って楽しむことなんじゃないかなと。オリンピックでそれを見つけられた。今後はその再現性を高めることが大事。タイムを出す過程で何か他にはないことをやるとか、唯一無二の選手になりたいと思います」

「無我夢中」が最大限の結果を生み、人の心にインパクトを与えた。今年は7月に世界選手権(米国)を控える。それもまた「強いランナー」になるまでのピースに過ぎない。人の胸を打つその走りには、無限の可能性が広がっている。

(第2回「記録との向き合い方」は29日掲載予定)(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)