昨年10月の世界選手権。団体2種目で銅メダルを獲得した杉本さん(左端) 新体操団体日本代表(フェアリージャパン)で18歳…

昨年10月の世界選手権。団体2種目で銅メダルを獲得した杉本さん(左端)
新体操団体日本代表(フェアリージャパン)で18歳の時に主将となり、7年間、チームを牽引してきた杉本早裕吏(すぎもと・さゆり)さん。昨年11月に現役を引退し、現在は指導者として活動を始め、忙しい日々を過ごしている。
「もっと時間が取れるのかなと思ったんですが、意外とアッという間に過ぎていきます」
笑顔でそう語るが、現役時代はその時間のすべてを新体操に捧げる生活を送っていた――。
【ほぼ1年中合宿。フェアリージャパンの日常】
「私が現役の時、フェアリージャパンは365日中、350日ほど合宿をしていました」
杉本さんは、あっさりとそう語るがこの合宿日数は、他のスポーツでも、まずお目にかかれない。合宿というよりも訓練のための寮生活だ。
「赤羽(ナショナルトレーニングセンター)を拠点にしてみんなで合宿をして、海外で試合がある時はそこから移動して、試合を終えるとまた赤羽に帰ってくる。それを9年間、続けていました」
16歳から24歳まで、同じ年代の女子が友人と遊んだり、デートしたり、楽しんでいる間、杉本さんはアリーナと大会と合宿所を行き来していたのだ。話を聞いているとちょっと息が詰まりそうになる。
「そういう生活を続けられたのは新体操が好きだからです。でも、休みもあるんですよ。その1日をどう過ごすのか、すごく重要でしたね。私は友人とご飯や洋服を買いに行ったりしていました。ただ、心から遊べないというか、翌日の練習のことを考えつつ過ごすので、オフというよりも次のハードな1週間をどれだけ頑張れるオフにするのかっていう時間にしていました」
洋服を買っても、それを着て出かける時間がないので、チームメイトと部屋でファッションショーをして楽しんだ。引退してから杉本さんは夏服が少ないことに気がついた。新体操は、春から夏がシーズンなので、ほとんど休みがない。逆に冬はオフシーズンになるので、休日をもらえることが多い。その結果、冬服ばかり増えてしまったのだ。
「新体操あるあるですね(笑)」
合宿は、女性だけの世界ゆえに韓国ドラマに出てきそうな嫉妬と欲がうず巻くドロドロした世界を想像してしまう。取材でも、「みんな、絶対に仲悪いですよね」と聞かれることが多かった。
「私たちは、女の世界なので、よくそういうことを聞かれるんですが、ギスギスしているかというと、そういうことはないです。競技面ではライバルなので距離を置きますし、自分がメンバーになりたいという欲が表に出てくることはあります。でも、私生活の部分にそういうことを持ち込むことはないですね」
フェアリージャパンの選手は、選考を経て合格した選手のみが合宿に入り、団体生活を送る。能力が高く、評価されて入ってきても団体生活に馴染めなかったり、コミュニケーションをうまく取れずに離脱していく選手もいる。
「団体生活をするうえでは協調性が必要ですし、どうすればお互いに不愉快な気持ちにならずに過ごしていけるのかなど、人の気持ちを考えて行動することが求められます。350日一緒で自由な時間も少ない。簡単な気持ちではフェアリージャパンには入れないですし、私も相当の覚悟を持って入りました」
チームにはいくつか約束事があるが、意外とNGが少ない。たとえば、新体操はウエア映えやメイクが重要なので、日焼けは厳禁かなと思いきや、むしろ海外に行くと積極的にビーチに出ることが多い。
「日焼けは禁止されていないです。少し焼けたほうが引き締まってみえるので、むしろ少し黒いほうがいいかもって感じでした。体重制限もないので、基本的には何を食べてもOKです。恋愛もロシアのコーチがいた時は、『恋愛しなさい』ってよく言われました(笑)。ロシアのコーチには会う度に『まだ、いなの?』と言われていましたけど、そんな機会もないですし、簡単にはできないので、もっぱらドラマを見て、この俳優さんいいなっていうぐらいでした」
【世界選手権で「世界一美しい片手取り」】
長期合宿と1日8時間もの厳しい練習から生まれたのが、技術の高さと美しさに磨きをかけた日本独自の新体操だ。2019年世界選手権、団体種目別のボールで金メダルを獲得したが、その時に世界から「世界一美しい片手取り」と言われた。
「ボールを片手で取ると点数が高くなりますし、演技の美しさにもつながります。でも、ボールを落としたくないですし、ミスしたくないので、多くの国は両手で取りにいったり、多少体勢が崩れてもボールを取りにいきます。私たちは、それでは世界に勝てないと思ったので、片手取りの練習を徹底し、0.1点でも多く得点を取りにいくようにしていました」
世界一の片手取りには、コツがある。
「ボールを取るには、体をかたくしているとダメです。それだとボールが反発して、うまく取れないので、体をできるだけ柔らかくしてボールを吸収するようなイメージで取っていました。力んでしまうとボールはもちろん、演技自体もダメになるので」
フェアリージャパンは、同大会で団体種目別の3フープ+2クラブで銀メダル、団体総合決勝でも銀メダルを獲得し、東京五輪に弾みをつけ、メダルへの期待が膨らんだ。
「世界選手権ではこの1本に賭けるみたいな時に全員が力を発揮して、それこそゾーンにみんなが入ってピタリとすべての技が完璧にできたんです。この演技ができるなら東京五輪もと思いましたし、結果が出たのでみなさん、メダルを期待してくださったと思います」
【東京五輪では8位という結果に】
コロナ禍の影響で1年延期になった東京五輪。フェアリージャパンはメダルを期待されたが、得意のボールで演技が乱れ、フープ+クラブでは手具が場外に出るなどミスが出た。
「試合でミスが出たんですけど、その前の練習に問題がありました。チームとしてまとまりがあったかと言うとそうではなく、そのまま本番を迎えてしまったんです。キャプテンとしてチームをまとめるのが私の責任ですので、そこでひと言かけるなり、厳しく言うことをしないといけなかったなと思っています」
まとまりを欠いたのは、五輪という特別な舞台の雰囲気が影響を与えた部分もあるだろう。杉本さんは、五輪ではチームがいつもの大会と違う雰囲気になっていき、「五輪の難しさ」を感じたという。また、無観客の会場も演技に影響を与えたようだ。
「無観客はW杯で経験していましたが、東京五輪の会場は本当に静かでモノをひとつ落としても響きわたる感じでした。踊っている時、耳に入るのは私たちの呼吸と曲だけ。私は、それが逆に聞こえすぎて怖かったですね。それでも強いチームはよい演技をします。多くの方にメダルを期待していただき、私たちも勇気や笑顔をお届けしたいと思っていましたが果たせず、本当に残念でしたし、悔しかったです」
東京五輪、新体操団体総合決勝は8位に終わった。
【東京五輪後の生活は?】
杉本さんは、東京五輪後、引退すると決めていた。新体操は競技人生が短く、24歳でも大ベテランで肉体的にも厳しくなったからだ。ところが2か月後、北九州市で開催される世界選手権への出場要請が届いた。最初は断るつもりだったが、山崎浩子強化本部長から「早裕吏が必要」と言われて、舞台に立った。
「山崎元強化本部長が最後(退任)でしたので恩返しの気持ちを込めて踊ろうと決めました」
メンバーが変わったなかでも杉本さんはチームをまとめ、フェアリージャパンは団体戦種目別ボールなど2つの銅メダルを獲得。観客に最後の演技を披露し、有終の美を飾った。
引退したら......1年ぐらいはゆっくりして、母親と旅行に行くなど、現役時代にできなかったことをしたいと思っていた。
だが、数週間後、杉本さんが戻ってきた場所は、いつもの体育館だった。
「しばらくは新体操を離れてと思っていたんですが、あれ、戻っているぞって感じですね(苦笑)。アリーナにくると落ち着くんですよ。これからは指導者として自分の経験を次の世代に伝えていきたいですね。自分がした悔しい思いや申し訳ない気持ちを次世代の選手に感じてほしくないので。パリ五輪では、みんなが笑顔で終わってほしいと思っています」
すでにナショナルトレーニングセンターで指導を始めている。これからはパリ五輪に向けて他のコーチと力を合わせて、日本の新体操を強化していくことになる。
だが、そうなると、また350日もの合宿生活が待っているのだが......。
「新体操に全て捧げる。そういう人生なのかなって思います」
その笑顔には、フェアリ―ジャパンに入る時と同じ強い覚悟が秘められているように見えた。