マッチポイントで決めたサーブ&ボレーが、この試合を、あるいは彼の現在地を象徴するかのようだった。 そこにはかつての、「守りの人」のイメージはない。 ストロークを左右に打ち分け、果敢にネットにも出る。サーブ速度は212キロを記録し、エース数…

 マッチポイントで決めたサーブ&ボレーが、この試合を、あるいは彼の現在地を象徴するかのようだった。

 そこにはかつての、「守りの人」のイメージはない。

 ストロークを左右に打ち分け、果敢にネットにも出る。サーブ速度は212キロを記録し、エース数は相手を上回る12本を数えた。

 全豪オープン2回戦で、ダニエル太郎がアンディー・マリー(イギリス)に6−4、6−4、6−4で勝利。彼がコートに描いたテニスは、ひとりの選手のプレースタイルが、これほどまでに変わるものかと周囲を驚かせるものでもあった。



2時間48分の激闘を制したダニエル太郎

 ダニエルのプレーに明確な変化が見られたのは、昨年春のクレーシーズンの頃だろうか。

 以前は、コートの後方でボールを返すことに徹していたダニエルが、ベースラインから下がらない。ポジションを高く保ち、早いタイミングでボールをとらえ、自ら仕掛ける局面が明らかに増えていた。

 テニスを「人生観や人間性と不可分」ととらえるダニエルは、プレースタイルの変化に消極的なタイプだったかもしれない。若い頃は「今の方向で成長していけば、必ず強くなれる」と信じていた。

 だが、100位前後のランキングで数年の足踏みが続いた時、「変えなければ、ここから上にはいけない」と悟ったと言う。

 13歳から育ったスペインを離れ、日本やアメリカを拠点としたのも、そのひとつ。

 とりわけ大きなチャレンジは、2019年末に名コーチの誉高いスベン・グローネフェルトを雇ったことだ。

 ロジャー・フェデラーやマリア・シャラポワの指導歴を持つグローネフェルトは、常に時代の最先端に身を置いている。その彼がダニエルに諭したのは、「攻めなければ勝てない」という、今のテニス界の真理だった。

「ベースラインの後方からでは攻められない。ポジションを上げ、相手のパワーも利用し、打つことが絶対に必要だ」

 そう説くコーチとともに変革に取り組んだダニエルは、まずはラケットを従来の物よりハーフインチ(約1.3cm)短くした。それにより、差し込まれたボールにも対応しやすくなり、なおかつ「ショットにアングル(角度)をつけやすくなった」という。

【ストローク重視の練習をやめた】

 もうひとつの新たな取り組みは、メンタルコーチのジャッキー・リールドンに師事したこと。水泳選手やオペラ歌手なども指導するリールドンは、テニスだけでなく、日々の思考にも新たな視座を与えてくれる。

 特に大きかったのは、「ミスすると自分をパニッシュ(罰する)する考え方を、変えるように言ってくれたこと」だった。挑戦した結果のミスをよしとし、次のプレーに切り替える。その思考法が標榜するプレーのベースにあり、「テニスのゲーム性を楽しむ」ことにもつながったのだろう。

 グローネフェルトとの契約は昨年で終了したが、目指す方向性は今も変わってはいない。

 加えて、今大会のダニエルが目に見えて進化したのが、冒頭でも触れたサーブである。球速が上がり、コースや球種の幅も広がった。その理由は、何よりも「サーブの練習時間を増やした」ことだと本人は言う。

 この言葉だけを聞くと、そんな簡単なことかと思われるかもしれない。ただ「練習時間を増やす」には、複合的な要因が絡んでくる。

 多くの技術習得が求められるテニスにおいて、限られた練習時間を何に割くかは、実は難しい命題だ。そして多くのケースでは、ストロークが練習の中心になりやすい。実際にダニエルも、「今までは8割くらいがストロークの練習だった」という。

 その時間配分を、「半分くらいはサーブにあてた」ことが、シンプルながら究極の上達への道。練習内容も、サーブの技術向上だけでなく、相手の返球からどう展開していくかも重視した。

 それら取り組みの正しさを、ダニエルは今大会の予選から本戦2回戦まで勝ち上がることで、まずは実感できただろう。

 そのうえで挑むマリー戦では、「ビッグマッチではあるが、実際にやるのは普通のテニス」と考えることから始めた。

 ダニエルの言う「普通のテニス」とは、「ポイントごとに何をすべきかに集中すること」。そして「必ずボールを自分から動かす」という大前提。マリーが初戦でフルセットを戦っていること、さらには前週のトーナメントで決勝まで勝ち上がったことも踏まえ、「相手の疲労を自分のアドバンテージにした」とも言った。

【マリーに勝てた最大のカギは?】

 2016年末に世界1位に至ったマリーは、ダニエルが標榜するテニスの体現者だとも言える。安定のストロークで築く基盤に、「同じショットを2度、続けて打たない」と称されるほどの知略を展開。3年前に人工股関節の手術を受け、再起不能とも言われた窮状から復帰した、まさに不屈のチャンピオンだ。

 その"レジェンド"とネットを挟むダニエルは、マリーを彷彿させるプレーを見せた。相手の揺さぶりに耐え、ボールを左右に打ち分けながら、攻めるべき機をじっと待つ。

 特に効果的だったのが、高い軌道のショットでマリーの目線と打点を崩し、チャンスボールを叩き込むパターンだ。試合序盤のターニングポイントは、6回のデュースの末にブレークした第1セットの第3ゲーム。マリーの体力を削るとともに、試合の主導権を掴み取った。

 スコアだけを見ればストレートの完勝だが、2時間48分の試合時間が激闘の実状を映し出す。

 長く厳しいこの戦いを制することができた、最大のカギは?

 その問いに勝者は、無邪気な笑みをこぼしていった。

「感情の上がり下がりが、あまりなかった。あってもコントロールできていた。こういう状況に負けなかった、揺さぶられなかった」

 そんな自分に、強さを感じることができた----。それが、ダニエルがこの試合を「キャリアで最高の勝利のひとつ」に位置づける理由だ。

 もっとも、「試合に勝っても負けても、人生は続いていく」と穏やかに語る彼に、ことさら浮足立つ様子もない。

 初めて立つグランドスラム3回戦のステージで当たるのは、20歳にして世界の10位につけるヤニック・シナー(イタリア)。ダニエルの現在地を知るうえでも、これ以上にない相手だ。