バレーボール元日本女子代表の益子直美さんが学生時代に受けた抑圧的な指導 誰よりも厳しく、誰よりも激しく、誰よりも辛抱強く――。 それこそが成功への唯一の方法であり、そのためには体罰、暴言もやむなし。そんな風潮を「昭和の体質」のように表される…

バレーボール元日本女子代表の益子直美さんが学生時代に受けた抑圧的な指導

 誰よりも厳しく、誰よりも激しく、誰よりも辛抱強く――。

 それこそが成功への唯一の方法であり、そのためには体罰、暴言もやむなし。そんな風潮を「昭和の体質」のように表されることがあるが、とはいえまだまだ過去の話と言い切れないものがある。もちろん当時、そして現代の指導者の中にも真摯に選手と向き合い、自主性を育み、人として、選手としての成長に導いていた方々もたくさんいるだろう。それでも歯を食いしばって自分を追い込む指導が選手を強くするという束縛から、逃れることができない人が少なからずいる。

 当時をよく知るバレーボール元日本女子代表の益子直美さんは自身の学生時代について、次のように振り返っていた。

「私は『アタックNo.1』に憧れて、『厳しいだろうな』というのは承知で中学生からバレーをやってきたんですけど、当時私が受けてきた指導というのは思っていた以上に厳しかった。ほぼ毎日ぶたれていたし、往復ビンタ。褒められるなんてことはほとんどなかったです。指導法としては100%に近い数字でティーチング、つまり言われたことをこちらがするという感じですよね。先生に答えをもらって私たちがプレーをする。自分で考えてプレーするなんていうのは高校までは全くなかったと思うんです。それこそ怒られないように先生の言ったことを無難にこなすことで頭がいっぱいでした」

 そうした抑圧の中でも、楽しいとか満足感を得る瞬間はあったのだろうか。

「最初の頃はパスが上手くなったとか、スパイク、サーブレシーブが上手くできたとか、そういう段階では楽しかったというのはあります。でも自分たちの代になって、キャプテンになったら、本当に何をやっても怒られていたんです。特にミスをしたら怒られる。だからミスをしたくないからチャレンジをしなくなる。中1の途中くらいからもう楽しくはなくなって、強制になっていました」

“日本全国的にスタンダードだった”というのが、ある種の縛りになってしまう。常識として周りが当たり前に捉えていることに、人はなかなか違和感を感じることができない。

「私は自分に自信がなくて、ネガティブ100%でやってきたんです。だから社会人になっても『1日も早く引退したい』というのを目標でやってきていたくらいで、モチベーションもなかったです。だから引退するまでは『こうした指導はおかしい』というのに気づいてないんです、早く逃げたい一心でプレーしていましたから。

 それでも一つは達成したい目標がありました。イトーヨーカドーに入った時に、日立に勝って優勝したいというのがありました。それが23歳の時に達成できたんで、その直後に監督に『辞めます』って言いに行きました。『ダメだ』となったんですけど、それでも25歳で引退しました」

引退後も消えなかった自分の中にしみ込んだ価値観

 益子さんにはずっと抱えている悩みがあった。一時期は体調が悪くなるほどにバレーボールが嫌いだったという。好きで始めたはずなのに、自分の中で嫌いと思っているのはなんとつらいことか。代表に選ばれるほど才能を持った選手だったのに、自分に自信が持てなくて、自分を否定し続けているのは悲劇なんてものではない。

「なんでだろうなって悩んでいました。そして自分でいろいろと分析して思ったのは、私に知識がなかったから、それを打破する力がなかったんじゃないかなって。周りのせいにしてきてしまった。そうした現状を打破するには学んでいくしかないなと思ったのが、50歳の時なんです」

 それでもなかなか自分の中にしみ込んだ価値観は消えなかったという。

「例えばスポーツ番組のキャスターとして取材している時に、オリンピックに出場する選手が『楽しんできます!』というコメントを聞くと、『はぁ? なんでそんなこと言うの?』って私も思ってましたから(苦笑)」

 自身が嫌だったことなのに、それを変えたいと思っているのに、自分の中にある価値観の基本は植え付けられたもののまま。そんな益子が様々なことを学びながら、新しい価値観を自分の中にしっかりと持てるようになった。

「選手たちを勇気づけるポジティブな言葉というアメリカ発祥のペップトークという手法を本で読んだり、セミナーを受けたりして学びました。そのあと感情のコントロールというところでアンガーマネジメントを受けて。バレーボール界って怒ってしまう監督が多かったので、『感情のコントロールができるといいんじゃないかな』と思って。私自身がセミナーができる講師の資格を取りました。そうやって学んでいくなかで、少しずつ自信が持てるようになったかな。過去の、自分を否定し続けてきた自分をどうすれば受け止められるのかな、前向きにバレーボールができたのかなというのと向き合えるようになったと思います。

 少しずつ自分の思いを口に出して言えるようになって、それまではコメンテーターみたいなのはやりたくないと断っていたけど、少しずつチャレンジしようと思うようになりましたね」

“あの時代はそれが普通”という見解で語られたりするけど、当時それが常識だったからやられていてもしょうがないとか、問題はないというのはまた別の次元の話。知らなかったから何をやってもいいわけではないのだから。ダメなことはどんな時代であってもダメなのだ。そのための正しい知識は、正しく継承されていかなければならないのだろう。(中野 吉之伴 / Kichinosuke Nakano)

中野 吉之伴
1977年生まれ。ドイツサッカー協会公認A級ライセンスを保持する現役育成指導者。ドイツでの指導歴は20年以上。SCフライブルクU-15チームで研鑽を積み、現在は元ブンデスリーガクラブであるフライブルガーFCのU12監督と地元町クラブのSVホッホドルフU19監督を兼任する。執筆では現場での経験を生かした論理的分析が得意で、特に育成・グラスルーツサッカーのスペシャリスト。著書に『サッカー年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)、『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)がある。WEBマガジン「フッスバルラボ」主筆・運営。