福田正博 フットボール原論■今季もJリーグから多くの選手たちが現役を引退した。そのなかでJ1歴代4位の590試合出場を果…
福田正博 フットボール原論
■今季もJリーグから多くの選手たちが現役を引退した。そのなかでJ1歴代4位の590試合出場を果たした阿部勇樹と、2013年から3年連続得点王を獲得した大久保嘉人について、福田正博氏がその功績を振り返った。

今季で現役を引退した阿部勇樹(右)と大久保嘉人(左)
【現場の人間を虜にした阿部勇樹の能力】
今季も多くの選手たちが現役を退いた。最後はコロナ禍による観客数制限のないスタジアムで、プレーさせてあげたかったと思う。
阿部勇樹(浦和レッズ)と大久保嘉人(セレッソ大阪)は、そのなかでも多くの人たちの注目を集めてユニフォームを脱ぐことができた。彼らの歩んできた実績を考えれば、この情勢下にそれができたのは数少ない救いに感じる。
阿部とは浦和レッズのコーチをしていた2008年から2010年まで一緒に仕事をしたが、彼への評価はそれ以前の外から見ていた時と、一緒にやってからでは一変した。ボランチ、センターバック、サイドバックなど、どのポジションを任せても抜群のプレーを見せ、戦術理解度も高い。スプリント能力はそこまでないけれど、バネがあって、ものすごいステップワークをする。能力の高さは群を抜いていた。
私に限らず、阿部を実際に手元に置いた現場の人間は誰もが驚いていた。当時の浦和のミーティングではたびたび「あと2、3人、阿部勇樹がいれば......」と話に出るほど評価は高かったものだ。
こうした阿部にまつわるエピソードを披露すると、いまでは誰もが納得する。しかし、当時は驚かれることのほうが多かった。それは外から見る人が、阿部だけを追っていなければ気づかない地味でいいプレーが多かったからだ。
阿部がJリーグにデビューしたのは、私がまだ現役だった1998年。当時の史上最年少Jリーガーとして話題になった。あの頃のジェフユナイテッド市原には将来を嘱望される選手が多いと評判だったこともあって、「未来の日本サッカーを背負う選手なんだろう」と思う程度だった。
若い頃の阿部でもっとも印象に残っているのは、2004年のアテネ五輪だ。山本昌邦監督の下、最終ラインには田中マルクス闘莉王、中盤には阿部勇樹と今野泰幸、松井大輔、駒野友一がいて、前線には大久保嘉人。そこにオーバーエイジでGK曽ケ端準とMF小野伸二が加わった。
阿部は『和製ベッカム』と異名を取るほど、フリーキックやコーナーキックで鋭く曲がる精度の高いキックを持っていたが、アテネ五輪初戦のパラグアイ戦ではFKを譲った。これを山本昌邦監督に注意され、次戦のイタリア戦で見事にFKから直接ゴールを決めた。そのゴールの印象が強烈に焼きついている。
阿部がFKを蹴らなくなったのは、イビチャ・オシム監督の日本代表時代だ。オシム監督が阿部のキッカーとしての能力よりも、ヘディング能力を買ってゴール前に入れたからだ。きっと当時のオシム監督も「阿部がふたりいれば...」と思ったのではないだろうか。
岡田武史監督の下では2010年南アフリカW杯を戦ったが、ベスト16に進んだ功労者は間違いなく阿部だった。だが、派手なパフォーマンスはしないし、もともと目立つポジションではないのもあって、そのすごさが見過ごされることもあったように思う。
メディアに対しても、オシム監督から「メディアに対して発信するなら責任を持て」と言われてきて、性格的に「それなら発信しない」と多くを語らなかった。
そんな阿部をひと言で表すなら『真のプロフェッショナル』だ。彼の発言で印象深いのが、「チームがうまくいっている時は自分は表に出ません。でも、チームがうまくいかない時こそが自分の仕事だと思っています」という内容の言葉だ。実に阿部らしいなと感じたものだ。
必要な時は先頭に立つ覚悟もあるし、芯の強さもある。能力の高さだけではなく、人間的にもすばらしいからこそ、監督やコーチ、チームメイトみんなから信頼されたのだ。
今後は指導者の道を進むという。海外でのプレー経験もあるし、国内外のさまざまな監督の下でサッカーをしてきたことで、トレーニング方法などの引き出しも豊富にあるだろう。
【大久保嘉人はゴールを堪能する時期があってよかった】
大久保嘉人は天皇杯準決勝でピッチを去る最後の瞬間まで、実にストライカーらしい姿を見せてくれた。彼のサッカーキャリアを見て思うのは、2013年から2016年に、川崎フロンターレでゴールを奪う醍醐味を堪能する時期があってよかったということだ。
大久保は2010年、2014年のW杯日本代表になり、マジョルカ(スペイン)やヴォルフスブルク(ドイツ)でもプレーしたが、サッカーキャリアのほとんどはストライカーとしてフラストレーションを溜めることが多かったのではないだろうか。
若い頃から得点に貪欲だった。だが、中盤でもプレーできる能力を持っていたがために、我慢強く前線で張ることができずに中盤に下りてしまい、結局はシュート機会まで逃す。そんな印象があった。
それが川崎には崩しを任せられる選手たちが揃っていたため、大久保はフィニッシュワークに徹することができた。中村憲剛という稀代のパサーがいたのも大きかっただろう。2013年から史上初の3年連続Jリーグ得点王となり、川崎でのゴール量産があればこそJ1通算最多191得点の記録も作れた。
FWというのはどれだけ能力が高くても、味方に恵まれなければ才能をフルに発揮できないまま選手生活を終えることも少なくない。こればかりは本人の努力ではどうにもならない巡り合わせだ。それだけにサッカーキャリアの終盤にストライカーの仕事に専念できる環境に身を置けたのは、同じFWとして安堵する部分でもある。
大久保はピッチではやんちゃで、サッカー小僧がそのまま大人になったような言動や行動をするが、裏表がなくて喜怒哀楽に溢れた人間味がある。引退後はどうするかはわからないが、あのサッカーIQの高さを後進の指導にも生かしてもらいたいなと思う。
そして、今季限りで引退した阿部と大久保をはじめ、昨季引退した中村憲剛や佐藤寿人などが監督としてJリーグに戻ってくる。そんな日が早く訪れるのを心待ちにしている。