「THE ANSWER the Best Stories of 2021」、異色の挑戦・吉村優投手インタビュー 東京五輪…

「THE ANSWER the Best Stories of 2021」、異色の挑戦・吉村優投手インタビュー

 東京五輪の開催で盛り上がった2021年のスポーツ界。「THE ANSWER」は多くのアスリートや関係者らを取材し、記事を配信したが、その中から特に反響を集めた人気コンテンツを厳選。「THE ANSWER the Best Stories of 2021」と題し、改めて掲載する。今回は早大アメフト部出身でプロ野球を目指す吉村優投手のインタビュー。大学日本一を決める「甲子園ボウル」に出場したクォーターバック(QB)は高校時代までやっていた野球に復帰し、投手としてNPBのドラフトに挑戦する。異色の右腕の経歴に迫った。(文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

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「来年のドラフト会議でNPBの選手になることが目標です。破天荒に思われるかもしれませんが、僕は本気でプロ野球選手を目指しています」。決意に満ちた口調で語る吉村優。彼は、昨季まで強豪・早大アメフト部でQBとして活躍した22歳である。

 野球とアメフト。意外な組み合わせに思えるが、両競技の母国である米国では親和性が高い。

 ワールドシリーズとスーパーボウルに出場したディオン・サンダースのように2つの競技で活躍した選手が複数いる。2019年にはカイラー・マレーが史上初めてMLBとNFLのドラフト1巡目指名を受け、NFLに進んだことも話題を呼んだ。

 転じて、日本においては中村渉(元日本ハム)が大学で野球部を退部後、アメフト部に在籍し、クラブチームを経てドラフト指名された例はあるが、大学4年間をアメフト部で完走した選手がプロ野球選手に……となると、まさに異例だろう。

 そんな前例なき挑戦を、なぜ志したのか。「パイオニア」という言葉をモットーにする吉村のキャリアをひも解くと、ジュニアスポーツのキャリア形成においても参考になるストーリーが見えてきた。

 初めて握ったボールは白球だった。小2だった2006年、斎藤佑樹(現日本ハム)擁する早実高の甲子園優勝に感動。「自分も早実で甲子園優勝したい」と小4から野球を始め、小5の終わりから1年間の受験勉強で難関私立・早実中に合格した。

 憧れの「WASEDA」のユニホームに袖を通し、進学した早実高では初めてベンチ入りしたのは2年夏のこと。ここで人生のターニングポイントとなる経験をする。怪物1年生・清宮幸太郎(現日本ハム)を擁した強力打線を武器に、甲子園で4強に進出したのだ。

 背番号16の控え投手だった吉村に登板機会は回ってこず、「悔しさと嬉しさは半々」というが、あの夏の記憶は今も鮮明に残っている。

 3年生になり、最後の夏に斎藤もつけた背番号1をもらった。最速134キロ、制球力を売りに1年生・野村大樹(現ソフトバンク)も加わった名門を牽引したが、西東京大会準々決勝で敗れ、高校生活を終えた。ただ、涙は出なかった。

「自分はゴールを高校野球にしていたので」。だから、同級生が早大で野球継続を決める中、エースだけは違った。

「早実に入ったのは高校野球を早実でやりたかったから。燃え尽きていたので、このまま惰性で4年間を使ったらもったいないし、周りと同じように大学野球に進んでも本気になれないんじゃないかと、薄々感じていました」

 これまでの歩みを振り返り、自然と別の道を考えた。

「日本一にこだわって野球をやってきたけど、なれなかった。同じように日本一を目指せるけど、なれていないところに興味が沸いて、調べたらアメフト部がそうでした。新しい何かに挑戦することが自分に必要だと思って」

 日本一という目標は変えず、見つけた情熱の矛先。白球を楕円球に持ち替えた。

人生初の挫折を味わった早大アメフト部で知った「本気」の本当の意味

 入部した早大アメフト部、正式名称「早稲田大学米式蹴球部ビッグベアーズ」は甲子園ボウルに出場6度を誇る強豪。

「ピッチャーをやっていたから、ボールを投げられるだろう」という単純な理由でQBを選んだ。攻撃陣の起点となり、パスを出す司令塔。アメフトの花形だ。肩には自信を持っていたが、味わった現実は甘くなかった。

 つまずいたのは「投げる」という基本動作。楕円球特有の回転をうまくかけられず、思い切り投げても30ヤード(約27.4メートル)がせいぜい。野球と違って接触競技。フォームが大きいと相手にタックルされる。フォームを小さくするとボールがいかない。パスの習得まで3か月かかった。

 競技のギャップに苦しみ、1年間は経験者との差を痛感する日々。

「六大学野球で同級生が活躍し、清宮、野村という自分のバックを守っていた後輩がプロ野球に進んでいました。なのに自分はパスも投げられず、試合も出られない。それなりに人生、順調にやってこられた自信が打ち砕かれて、思い切り挫折しました」

 大学2年生の4月、一度は辞めようかと思い悩んだほど。「自分がやると決めたスポーツ。アメフトを心から好きになって、やり遂げないといけない」。ここでプレースタイルを一変。肩の強さではなくボールを持って自ら突っ込む、早稲田にいなかった「走れるQB」に活路を求めた。

 野球にはなかった陸上トラックを使ったスピード系やジャンプ系のトレーニングで体を作り変えた。3年生になり、独自のプレースタイルで定位置を掴むと、12月に悲願の甲子園ボウルに出場。関西の名門・関学大に28-38で敗れたが、吉村はタッチダウンも決めた。

 副将に就任した4年生はリーグ戦で敗退したが、ゼロから始めた競技で4年間をかけて掴んだ自信は、吉村を変えた。部活の引退翌日に下した決断。

 もう一度、野球に復帰し、プロ野球選手を目指す――。

「高校の時に決めていた限界とか、得られていた達成感なんて本当にちっぽけだったと思うくらいの毎日でした。本気ってこういうことなんだと学んだので、この4年間の経験を持って野球に戻ったら、自分はもっと上のステージに行けるんじゃないかと思ったんです」

 野球→アメフト→野球。そして、プロへ。一見、無謀に思える転向だったが、フットボールに捧げた4年間で自分でも驚く進化を遂げていた。

 練習を始めて1か月。最速134キロだった元高校球児はいきなり140キロを突破した。そこからほんの数か月で145キロまで到達。2月から東京の社会人クラブチーム「REVENGE99」に在籍し、4月の公式戦初登板でいきなり8回途中2失点と好投した。

 楕円球を握っていた右腕の覚醒の裏にあったのは、競技転向の“副産物”だった。「アメフトは気が弱かったらタックルで潰される競技。相手を蹴散らす気持ちをそのままマウンドで出せるようになったこと。それが、一番変わりました」と頷く。

 メンタルだけじゃなく、メカニクスもそう。「野球は指だけで投げがちだけど、アメフトのボールは重い分、全身を使って右足の地面からの力を指先まで伝えないといけない。手首の角度が重要なので、その感覚が生きてカットボールも覚えられた」と言う。

 接触競技のアメフトで鍛えた178センチの体は、69キロから83キロに増加した。もともとは「不器用なタイプ」でストレート、スライダー、ツーシームだけだった球種も増え、落ちる変化球を習得中。球速は「今年中に150キロを出す」というのが、今の目標だ。

2つの競技を経験したメリット、異例の大学院卒のプロ野球選手へ

 その能力は気鋭のピッチングストラテジストも評価する。千賀滉大(ソフトバンク)ら多くのプロ野球選手も参加する野球パフォーマンスオンラインサロン「NEOREBASE」を主宰し、吉村の早実野球部の先輩にあたる内田聖人は「野球における成長期がやっと今、来ている感じ」と評する。

 投球を週1回程度見ており、「目標の150キロを出せる権利は持っているし、伸びしろは凄いものがある」と潜在能力を評価。「投手としてはオーソドックスなタイプですが、時代のトレンドや今必要なボールを頭で理解している。いつの時代でも生きていけるタイプ」と太鼓判を押す。

 そもそも米国でアメフトと野球の両立が成り立つのは、季節ごとに競技を変えるマルチスポーツという概念が浸透しているからだ。何事も一つに集中し、やり遂げる文化が根付いている日本にはない発想。吉村は「2つの競技で得た感覚を互いに生かせる」と、そのメリットを語る。

「僕は野球ならそれなりに成長できたけど、一歩外の世界に出たらゼロからのスタート。自分がいかにちっぽけな存在かを知ることが戒めになり、アメフトでいろんな人に教えをもらった経験が今につながっている。失敗から挑戦し、学んでいくサイクルは新しいジャンルだと回しやすいです」

 そして、吉村がもう一つこだわることが勉学だ。大学は基幹理工学部情報理工学科に在籍した理系。卒論は「相槌を打つチャットボットがブレーンストーミングに与える影響」。AIの技術で人間の心理にアプローチし、チームビルディングに結びつける研究をスポーツ界に将来生かしたいという。

 この春から早大大学院に進学。大学院出身選手としては福田岳洋(元横浜)が京大大学院の在学中に独立リーグを経てNPB入り(大学院は中退)した例はあるが、修了してのプロ入りとなれば、こちらも異例。今秋のドラフトで指名されたとしても、来年以降に論文を書いて修了する意向だ。

 現在は週1~2日のチーム練習のほか、個人トレーニングとオンライン授業をこなす毎日。当面の目標は8月に行われる都市対抗予選で企業チームを抑え、NPBのスカウトの目に留まること。「プロに行けるなら育成でも構いません」と言う。

 高校野球と大学アメフトで「甲子園」を経験。別の競技に打ち込み、ポテンシャルを開花させた右腕がもしプロ野球選手になれば、スポーツ界に新たな可能性を示す。「『初○○』という肩書きがつくのは好きなこと」という吉村にとって、最高のモチベーションになる。

 異色のチャレンジのスタートとなったのは、野球で得た記憶だった。

「高校2年生の夏、試合には出ていないけど、あの甲子園があったから、自分の生きる道を知った。あの幸せな時間がなければ、アメフトもやっていないし、今こうして野球も続けていない。清宮のホームランに球場が揺れる感じ。そのくらいスポーツが人の心を動かせると知りました」

 アメフトで得た経験が異色のチャレンジを支えた。

「本気というのは、ただ目の前に一瞬に一生懸命になることではなく、目標に対して計画を綿密に立てた上で没頭すること。それをアメフトを通じて知りました。こういう挑戦を見た誰かの活力になってくれればと思っています。プロ野球選手はそれだけ影響力の大きい存在なので」

 夢への道は一直線でなくてもいい。それぞれの場所で見た景色を力にして、22歳・吉村優は道なき道をゆく。

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 吉村はその後、9月に今年中の目標にしていた最速150キロに到達。秋以降は奪三振にこだわり、カットボールに加え、チェンジアップを習得した。「(150キロは)あくまでわかりやすい定量的な目標として立てていただけなので、やっとスタートラインに立てた感覚です。真っすぐも意図的に動かせるようになったので、アウトの取り方もバッターの癖と場面を見ながら使うようにしています。今はスピードではなく、定性的な目標である『質』にフォーカスしています」。平日はさまざまなチームへ出稽古に行き、土日は「REVENGE99」の練習試合などで実戦を積んだ。

 今年、チームは都市対抗1次予選で敗退したものの、大学院生としての勉学も継続。「今年はスポーツ科学部の授業を取ったり、野球に関連する論文を読んだりとインプットに力を注いでいました。1年間でかなり引き出しは増えたように感じています」と充実ぶりを明かした。11月には23歳になった吉村。「今年1年も本気でNPBで活躍することを目指してやったからこそ見つけたものがたくさんありました。僕の武器は『誰もしていない経験』です。目標は変わりません。来年は僕の23年間の経験と学びを全て詰め込んだ1年にしていきます」と来秋ドラフト指名を狙う。

■吉村 優 / Yu Yoshimura

 1998年11月10日生まれ、東京・八王子市出身。私立国立学園小4年から「つくしシャークス」で野球を始める。早実中の2年生で投手として都大会準優勝。早実高では2年夏に甲子園4強、エースを務めた3年夏は西東京大会8強。早大はアメフト部に所属し、2、3年生で甲子園ボウルに出場。無類の本好き。アメフト部時代の挫折を支えたのはナポレオン・ヒル「思考は現実化する」。「毎週月曜は1時間、本屋にこもって気になった新刊をチェックします」。現在は早大大学院に通い、社会人クラブチーム「REVENGE99」に所属。178センチ、83キロ。右投右打。ツイッター「@yuyoshimura2」。(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)