山を制する者が箱根を制す・前編後編(区間記録保持者・館澤亨次が語る6区のポイント)はこちら>>2015年の箱根駅伝5区で区間新の走りをした、3代目山の神・神野大地 箱根駅伝の5区は、箱根の山を駆ける。 小田原中継所から往路ゴールの芦ノ湖駐車…

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2015年の箱根駅伝5区で区間新の走りをした、3代目山の神・神野大地

 箱根駅伝の5区は、箱根の山を駆ける。

 小田原中継所から往路ゴールの芦ノ湖駐車場まで20.8キロのコースで、出雲駅伝、全日本大学駅伝にない上りの特殊区間だ。5区では、そのせいかタイム差を広げる、あるいは詰める、いわゆるレースが動く展開が起こる。そして、この山で結果を出した選手は、「山の神」と称される。神野大地は、2015年大会で5区を快走し、青学大の箱根駅伝優勝に貢献し、「3代目・山の神」となった。神野の時代から5区は距離が短縮され、20.8キロ(区間記録:宮下隼人・東洋大学・1時間10分25秒)になったが、標高874mの最高地点に至るまでの上りは変わらない。神野が語る山の攻略法とは、果たして――。

「オーバーペースで入るのだけはやめよう。無理せず、キロ3分5秒で入りなさい」

 2015年の箱根駅伝。5区の入り、神野は原晋監督から、そう指示されていた。

 山の練習で圧倒的なタイムを出し、2区から急遽、5区に変更になったが、その練習中に腹痛で立ち止まることがあった。初めての山であり、腹痛発症を危惧した原監督の言葉だったが、神野は入りからまるで平地を走るように飛ばした。

「最初、時計を見たら(キロ)2分48秒だったんです。これはヤバいなって思って少し落としたんです。次の1キロのラップを見ると2分50秒だった。落としてもこのタイムかって思っていたら原監督から『調子がいい証拠だし、動きもいいからこのまま行こう』と言われたんです」

 神野の頭のなかには5区のレースプランが明確に描かれていた。

 "最初の5キロは無理せず、本格的な上りに入ってから追い込みをかけて勝負しよう"

 だが、思いのほか、体が動き、坂とは思えないハイペースで上がっていった。このあと、神野は信じられない区間記録(23.2キロ:1時間16分23秒)を達成するのだが、入りから調子がよかったのだ。だが、他の選手と一番タイム差が出たのは入りの5キロではなく、山の後半区間だった。

「僕は、山で一番大きなポイントになるのが大平台や宮の下の急坂ではなく、小涌園から最高地点までの4キロだと思います」

 神野は、そう語る。

 山には山対策の練習をこなしてきた選手や上りが得意な選手が投入される。当然、最初は難なく上っていくが11.7キロの箱根ホテル小涌園から最高地点に向かう坂になると、多くの選手がペースダウンし、そこで差が開いていた。

「各区間のラップを見ていくと、小涌園までは区間記録のペースで走っている人もいるんですけど、小涌園から最高地点までのラップがよくないんです。逆に僕や柏原(竜二・2代目山の神)さんは、その間のラップがすごく早くて、他の選手と2分ぐらい差をつけていました」

 しかし、なぜ小涌園から最高地点までの間で、これだけ差が開くのか。その坂に、どんな難しさがあるのだろうか。そして、神野はどのような考えでその坂を攻略しようとしたのだろうか。

「僕は、小涌園から最高地点の間で、全部を出しきる。最高地点がゴールという意識で走っていました。多くの選手は、最高地点を到達した後の下りでの勝負を考えて、その手前の上りで気持ち的にセーブするんだと思うんです。後輩の竹石(尚人)も下りでの勝負を考えていた。でも、僕の経験から、出しきっても足はわりと余裕があるんです。下りを利用して足を回せるし、惰性で下れる。それにそもそも下りじゃ差がつかないんですよ。上りで頑張れる選手が下りも制するので、僕は5区を制するなら最高地点までで全部を出しきる気持ちでいくべきだと思っています」

 5区は平地と異なり、坂がメインなので選手はペース配分を慎重に考える傾向にある。だが、5区は慎重さよりも攻めていくマインドが必要というのは、きつい坂を上るうえで最後は気持ちだということとつながっているからだろう。

 ただ、小涌園から最高地点までの坂は、タイムを出すのが難しい理由があると言う。

「小涌園から最高地点までは、お客さんがほとんどいないんですよ。小涌園まではすごい人で、テンションを上げて走れるんですけど、その先は本当に人がいない。景色も同じだし、目印もない。次のカーブを曲がったら最高地点かな、もう終わりかなと思うんですけど、またカーブが出てくる。そういうのが10回ぐらい続くんです。坂がきついし、後半で体力も奪われている。うしろから追い上げられ、前とは詰まらない。そうしているとメンタルがやられて集中力がきれてくる。そのため、この区間でラップが落ちる選手が多いのかなと思います」

 山を制するには、寒さ対策も必要になってくる。スタート地点の小田原中継所と標高874mの最高地点の気温差は4度程度あると言われている。神野が出走した時は、最高地点にいる部の仲間から連絡が入り、気温は0度だった。前日は雪が降り、路面脇は雪の残りがあって滑りやすく、相当に寒かった。

「5区は、スタート地点よりも最高地点の気温を重視するのですが、服装がすごく難しい。たくさん着すぎてしまうと前半区間はキロ3分ペースで行けるのでけっこう汗をかくんです。でも、後半にペースが落ちて、上に登ると気温そのものと重なって体が冷えてくる。薄着で行くと後半寒くなるので、低体温症になりやすい。5度ぐらいだとランシャツで行けるけど、僕の時は0度だったのでTシャツにアームウォーマーをつけて、手袋を2枚していました」

 神野はスタート地点ではアームウォーマーを下げておき、坂を上って寒くなってきた時に上にあげ、低体温症に気をつけた。足をつるのは対処できるが、低体温症になると意識が朦朧として、フラフラになり、自分ではどうにもできなくなる。そういうシーンがたまに映像で流れているが、5区はそれほど苛酷な区間であるということだ。

 神野は、山を制するには、運も必要だと言う。

「山は気象条件も重要ですが、僕は自分が置かれたシチュエーションも大事かなと思います。あの時の青学大は、優勝を狙うチームで、みんなが一番になりたいという意欲に満ちて走っていました。僕は2番で襷(たすき)をもらった時、前をいく駒澤大とは46秒差。気持ち的にも乗っていけたので、きついなと思いながらも差を縮めて宮の下で追いついたんです。そこで一回リセットし、もう一回ペースを上げることができた。寒かったけど、風も雪もなく、相手を追いやすい状況で自分のペースで上れた。そういう運や運を引き寄せることも大事かなと思いますね」

 あらゆるものが整わないと山でタイムは出ないということである。そうなると山の神も簡単には生まれない。神野が山の神になった2015年以来、そう言われる選手は数名出てきたが、いずれも定着しなかった。各大学の監督は、そういう選手の登場を心待ちにしているが、それだけ山は重要だということである。神野が走った頃ももちろんだが、今も戦略的に山を制することが箱根を制覇するうえで重要なポイントになっている。

「他の平地区間で2分以上、差を詰める、広げることは難しいと思います。平地ではみんな、キロ2分52秒で行けと言われたら行けるけど、2分45秒で行けと言われると難しい。山ではみんなキロ3分45秒なら行けるけど、3分30秒は難しい。でも僕は3分30秒で行ける。平地では7秒差をつけて走るのも大変だけど、山では1キロで15秒差をつけられる。(平地では区間)全体で1分間は詰められても2分は難しいですが、山はそれが可能になる。一発逆転があるのが山で、だからこそおもしろい。そういう意味で、山は本当に特別な区間だと思います」
 
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