向正面から世界が見える~大相撲・外国人力士物語第10回:白鵬(2)角界における数々の大記録を打ち立ててきた第69代横綱・白鵬がこの夏、現役引退を発表した。2000年秋、モンゴル・ウランバートルからやって来た華奢な少年が、"大横綱&…



向正面から世界が見える~
大相撲・外国人力士物語
第10回:白鵬(2)

角界における数々の大記録を打ち立ててきた第69代横綱・白鵬がこの夏、現役引退を発表した。2000年秋、モンゴル・ウランバートルからやって来た華奢な少年が、"大横綱"になるまでの相撲人生を今、振り返る――。

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 3カ月の研修期間を経て、私は2001年春場所(3月場所)に初土俵を踏みました。

「白鵬」という四股名は、昭和の名横綱、大鵬関と柏戸関が作った「柏鵬時代」に由来しています。今思えば、とてつもなく大きな四股名ですが、その意味を理解したのは、日本語がわかるようになってからのことです。

 この頃は、私を含めて大相撲に入門するモンゴル人が多かったんですよ。ひと場所前に入ったのが、12歳の頃から知り合いだった日馬富士関。体の細かった2人が、後年横綱になるとは、当時は誰も予想できなかったでしょうね。

 前相撲を取った時の私の体重は、80kg前後でした。これでも研修期間中に10kg以上増やしたのですが、力士として出世するためには、さらに体重が必要。師匠からは、「よく食べて、寝るように」と指示されました。

 先輩力士の旭鷲山関、旭天鵬関は来日当初、日本の食事が合わなくて苦労したという話をされていますが、私の場合はそういうこともなく、しばらくすると鮨などは大好物になりました。

 入門から2年後には体重が100kgを超えて、幕下に昇進。2003年九州場所(11月場所)では、幕下9枚目まで番付を上げました。

 この場所、私の成績は6勝1敗。一般的にはこの成績での十両昇進は難しいのですが、翌場所から十両の枚数が増えることや、十両から幕下に落ちる力士との兼ね合いで、2004年初場所(1月場所)での新十両昇進が決定。これには、私自身、驚きました。

 モンゴルの先輩、横綱・朝青龍関には、幕下時代からかわいがっていただきました。巡業で稽古をつけていただいたり、食事に誘ってもらったり。実は、妻と知り合ったのも朝青龍関に誘っていただいた席だったんですよ。

 そして、2004年6月に行なわれた上海巡業では、夏場所(5月場所)で新入幕を果たしたばかりの私が優勝。巡業とはいえ、こうした一つひとつの出来事が自信になっていきましたね。19歳の一年間は、すべてが楽しかったなぁ。

 忘れられないのが、この年の九州場所です。この時の私の番付は前頭筆頭。10日目は、大関・魁皇関との2度目の対戦でした。

 モンゴルでは、幕内力士の相撲はテレビでリアルタイムで見られるのですが、力強い相撲を取る魁皇関はとても人気のある力士でした。父も私もファンで、その魁皇関に寄り倒しで勝ったことは、信じられなかったです。

 そして、翌11日目は、横綱・朝青龍戦。ひとり横綱として、相撲界を引っ張る実力者、朝青龍関に「勝ってしまった!?」。

 ものすごくうれしい反面、そのうれしさを顔に出すこともできないし、なんだか申し訳ないような気持ちになりましたが、私の記憶に残る一番ですね。

 大関に昇進したのは、2006年夏場所(5月場所)です。新大関で迎えたこの場所は、雅山関(現・二子山親方)との優勝決定戦となりました。

 本割では負けているので、「同じ負け方を二度としないように」という父のアドバイスを胸に秘め、決定戦を制した私は初優勝。当日、モンゴルから国技館に駆けつけた父は、師匠と抱き合って泣いていたと聞きました。

 この優勝を受け、私の「綱取り」が取り沙汰されるようになりました。この頃の私の夢は、「父のような強い横綱になりたい」というもの。一段と士気が高まっていました。

 ところが、ヒザを負傷したり、11月の九州場所前には左足の親指を骨折して初の休場を経験したり......。私にとって、初めての試練だったと思います。

 相撲とは何か? と向き合うなかで、「まだ、横綱になるのは早いよ」と、相撲の神様がおっしゃったのでしょう。

 負傷が癒えた2007年夏場所は、綱取りの場所となりました。以前のような、焦りはなく、体が勝手に動いてくれるようなイメージで戦えた15日間。私は全勝優勝を果たし、横綱昇進が決まりました。

 横綱昇進の伝達式の前日、私は尊敬する大鵬さんのもとを訪ねました。「白鵬」の四股名の由来となった憧れの大鵬さん。おこがましいとは知りつつ、横綱としての心構えをうかがいたいと思ったのです。

「横綱は宿命だから、しっかりやってほしい」
「勝てなければ、引退しかない」

 大鵬さんのこの言葉は、本当に重かったですね。

「横綱の地位を汚さぬよう、精神一到を貫き、相撲道に精進いたします」

 翌日の伝達式での私の口上です。


角界屈指の

「大横綱」となった白鵬(右)。左は炎鵬

 新横綱として臨んだ、翌名古屋場所がなんとか終わって、夏巡業が始まろうとしていました。朝青龍関はヒザの治療のため、夏巡業を休場すると発表。しかしその後、別の行動を取っていたことが判明し、2場所出場停止の処分が下されます。

 私は横綱2場所目からひとり横綱となってしまいました。目標だった朝青龍関に追いついた。2人で「青白時代」を盛り上げていきたいと思っていたのですが、その後、朝青龍関は負傷休場が多くなり、2010年初場所後、突如、引退されました。

 一報を聞いた時は、ショック過ぎて、心にポカーンと穴が空いてしまったような感じでしたね。本当にひとりきりになってしまった。横綱として、これから私はどのような戦いを続ければいいのだろうか――。

 答えは、「勝つ」ことです。

 翌春場所は、全勝優勝。夏場所、名古屋場所(7月場所)も全勝で、初場所14日目からの連勝記録は、47連勝。尊敬する大鵬関の45連勝に追いつき、追い越したことで、私はますます「記録」に対して、貪欲になっていきました。

(つづく)

白鵬 翔(はくほう・しょう)
第69代横綱。1985年3月11日生まれ。モンゴル出身。幕内優勝45回を誇る大横綱。2019年、日本国籍を取得。2021年9月、現役引退を発表、年寄・間垣襲名。