文化放送が大学3大駅伝(出雲駅伝・全日本大学駅伝・箱根駅伝)のラジオ放送を開始してから29年になる。箱根駅伝の中継はテレビで視聴率30%を越えるお化けコンテンツだが、ラジオも同じで聴取率は野球のナイターや他番組をはるかにしのぐという。その…

 文化放送が大学3大駅伝(出雲駅伝・全日本大学駅伝・箱根駅伝)のラジオ放送を開始してから29年になる。箱根駅伝の中継はテレビで視聴率30%を越えるお化けコンテンツだが、ラジオも同じで聴取率は野球のナイターや他番組をはるかにしのぐという。そのコンテンツの放送の陣頭指揮を執るのが、黒川麻希さんだ。今回、初めてチーフディレクターという大役を担う。全国32局を網羅し、インターネット放送で世界をカバーするなど、世界にHAKONEを届けるわけだが、映像がないラジオで箱根駅伝をいかに正確に、わかりやすく伝えていくのか。箱根駅伝を支えるラジオの仕事について話を聞いた。



箱根駅伝のラジオ放送を担当する、文化放送・黒川麻希さん

――例年、何人体制で箱根駅伝の放送をするのですか?

黒川 アナウンサー、ディレクター、技術スタッフ、アルバイトを含めて70名ぐらいです。放送は、本社のスタジオを拠点として、オフチューブ(※スタジオで画面を見ながら実況すること)で行ないます。中継地点には生で放送できるようにアナウンサー、ディレクターやスタッフが現場に入り、選手の声を拾ったり、状況をレポートするようにしています。たとえば、鶴見中継地点の場合、襷(たすき)を渡す直前だけ(アナウンサーを)呼ぶのではなく選手がアップしている状況からレポートを始め、選手が見えてきたら向こうから「来ました」と呼ぶような感じになります

――仕事はかなり細分化されているのですか?

黒川 そうですね。放送は、総合実況、データ系の情報センター、選手の情報センターの3本柱になっています。選手の情報センターは、「お父さんも箱根を走りました」とか、「この選手は、このアイドルが好き」等の小ネタをしゃべる専門のアナウンサーです。記録速報をアップしたり、SNSに情報を発信する専門のスタッフもいます。レース、選手の多様な情報を多方面で発信しているのが、うちの強みだと思います

――そのなかで、チーフディレクターの役割は?

黒川 スタジオで総合実況、ゲスト解説にキューふりをしています

 黒川さんは、2015年にアルバイトで野球のスコアラーなどの仕事を始め、同年、箱根駅伝の取材をスタートさせた。文化放送の箱根駅伝中継の土台になるのは、エントリ―選手16名に直接取材して作られるチーム、選手のデータだ。それを作るために黒川さんも当時「駅伝?」と訳がわからないまま駆り出されて、取材に向かった。

――黒川さんは、レースはもちろん、記録会にもよく行かれるそうですね。

黒川 現場が好きなのもありますが、それは取材に行き始めた頃の反省からでもあるんです。最初は選手のことを知らないし、走りを見たことがないので話がまったく広がらず、本当に心苦しくて......。それに私たちの仕事は何をしてもきり取ることになってしまう。その作業をしても恥ずかしくない人間でありたいと思ったんです。そのためには現場に行き、見続けないといけないと思ったのですが、最初はアルバイトだったのでなかなか行けず、2018年にディレクターになってから行けるようになりました

――取材ではいろんなことが起こると思いますが、印象に残っている取材はありますか?

黒川 今でも覚えているのは、数年前、箱根のエントリ―発表後に法政大の矢嶋謙悟選手(現中央発條)に話を聞いたんです。彼は、「僕は走らないんですけど、チームの足場になりたい」と目に涙をためながら話をしてくれたのですが、その涙に胸が熱くなりました。私たちは「何区を走りたいですか」と簡単に聞いてしまいますけど、走らないとわかっているのに彼のように真摯に対応してくれる選手がいます。走ることが叶わなくても、そこで気持ちをきらさずに支える側にまわる。そういう思いをもった選手がチームにはいて、そのことも含めて伝えていかないといけないと思いました

 陸上のレースや記録会は、主に土日に開催される。黒川さんは、その取材に行くために日曜日を休みにしてもらい、時間と足を使ってネタを集めている。そうして集めたものを実況の際に使う選手のデータ表に反映させている。番組に使うシートを見せてもらったが、選手個々のデータがきめ細かく書かれており、共通の質問事項の答えなど、実況に必要なものがほぼ揃っている。

――実況で大事なことは、どういうことですか?

黒川 わかりやすさですね。たとえば、大学の名前はわかるけど、選手の名前を言われてもピンとこない場合があると思うんです。そこでユニフォームの色、表情、体格、汗のかき方などに加えて小ネタを入れて、聞いている人が頭のなかで選手の表情や姿を描けるのが理想です。あと、ラジオは画像がないので、順位とタイム差、何区何キロ地点とかベースとなる情報を繰り返してアナウンスするのが大前提になります。野球は3球に一度、イニングと得点を伝えているのですが、箱根も2分間状況がわからないとストレスになるんですよ

――テレビの実況車のスタッフはおむつをはいて準備すると聞きます。ラジオも7時間もの放送になりますが、実況アナウンサーは、トレイ対応はどうしているのですか?

黒川 ラジオの場合は、おむつをつけることはないですね。ラジオCMがジングルも含めて一本、2分20秒ぐらいあるので、その間でサッと行けます。さすがに私は行けないですけど(苦笑)

――CMを入れるタイミングは難しいのでしょうか?

黒川 レースの流れや例年、ポイントになるところはすごく気にしています。たとえば1区ですと、六郷橋地点は勝負ポイントで、競るシーンが増えるのでそこには絶対にCMをいれません。レースの展開によっては今、競っているからCMをうしろ倒しにしないといけないと考えることもあります

――そういう読みができるのは、地道な取材があってこそですね。

黒川 今年は東京国際大をよく見ていたのですが、出雲での区間配置を見て、丹所健選手が肝になるなって思っていたんです。それでレース中に(収録済みの)彼のインタビューを流したら、その直後に飛び出していって、ハマりました。全日本では青学大と駒澤大が8区で競ったので、CMに行くタイミングが難しいなって思ったんです。青学大の飯田(貴之)選手が駒澤大の花尾(恭輔)選手の背後についたんですが、ふたりの性格やこれまでのレース運びを考えるとこのまま動かないと判断し、CMを入れました。最近は選手の特徴がだいぶわかってきましたし、出雲と全日本でいろいろと勉強になったので、箱根の中継ではその経験を活かしていきたいと思います

 箱根駅伝の放送の準備は、着々と進んでいくが、予期しないアクシデントも起こる。昨年はゲスト解説の神野大地から直前に「熱っぽい」という連絡が入った。コロナの感染者が爆発的に増えていた時期で「もしや」と危惧されたが幸い陽性ではなかった。大事をとって神野はリモートでの出演とし、1月1日に機材を彼の自宅に用意し、夜までチェックが続いた。

――箱根駅伝の"おいしい聞き方"はありますか?

黒川 二刀流ですね(笑)。テレビで画像を見て、音はラジオという人がけっこういます。テレビは画像があるので、必要なこと以外は言わないんですよ。でも、ラジオは、この区間からこの区間まで何秒開いたとか、縮まったとか、タイムの秒差まで細かく伝えていく親切な媒体です(笑)。ですからチームの関係者や選手も移動しながらラジオを聞いている人がけっこう多いんです。あと、テレビは、事前に映像を用意しなければいけないのでストーリー立てする必要があると思うんですけど、ラジオはレースが一番というスタンスなのでストレートに伝えますし、他のネタもかなり豊富だと思います

――チーフディレクターとして、箱根駅伝放送の当日をどう迎えたいですか?

黒川 スタッフ一人ひとりにちょっとだけ頑張るという気持ちを持ってもらうことが中継の質の底上げになると思うので、そういうチームにして当日を迎えたいですね。チーフディレクターとしては、現場や実況で名前やタイムを言い間違える時があると思いますが、そこに絶対に気づける人間になりたいです。私も失敗するかもしれませんが、根拠のある失敗でありたいです。そのためには誰よりも取材をして、選手のことを知り、私が失敗したらしょうがないとみんなが思ってくれるぐらいのチーフディレクターにならないといけないと思っています

 本番当日は午前5時に出社し、当日区間変更が発表されると、新たに投入された選手の資料を作る。早朝に録れた音声データを編集し、午前7時30分に放送がスタートする。「それまでは、戦場です(苦笑)」。

 21チームの選手たちの熱い戦いが始まる。黒川さんは、「全員が無事に走りきってほしい」と願っているという。「プロ野球選手には(プロなので)そんなことは思わない」と苦笑するが、そう願う様はまるで寮母のようだ。休日も記録会に出向き、監督と学生の内に入り込み、箱根駅伝が大好き。そんな黒川さんが仲間と作る「箱根駅伝」だから、聞く価値は十分にある。