防府読売マラソンで日本人トップの2位。MGC出場権を獲得した、神野大地 12月19日、山口県防府市で開催された防府読売マラソンで神野大地(セルソース)は、2時間9分34秒でゴール。総合2位(日本人トップ)で、初めてサブ10を達成。同時にパリ…



防府読売マラソンで日本人トップの2位。MGC出場権を獲得した、神野大地

 12月19日、山口県防府市で開催された防府読売マラソンで神野大地(セルソース)は、2時間9分34秒でゴール。総合2位(日本人トップ)で、初めてサブ10を達成。同時にパリ五輪に向けてマラソン代表選手の選考レースであるMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)への出場権を獲得した。マラソンをスタートさせたのが2017年。今回、なぜ神野は10分の壁を突き破ることができたのだろうか──。

【33キロ地点、並走するニャイロに声をかけた】

 防府読売マラソン、最初の関門は、20キロすぎだった。

 これまでのマラソンは、いつもこのあたりできつくなり、30キロ手前で足が止まり始めていた。だが、この時、神野が感じたのは苦しさではなく、「マラソンの楽しさ」だった。

「風が強いなかでしたけど、ペースメーカーの走りも安定していましたし、自分が予想した一番いい展開でレースが進んでいました。余裕があったせいか、後半の勝負もワクワクして、これがマラソンの楽しさなのかなって思いましたね」

 30キロすぎ、先頭集団を形成していた川内優輝(あいおいニッセイ同和損保)、福田穣(NNランニングチーム)らが次々と落ちていくなか、神野はドミニク・ニャイロ(NTT西日本)とともにペースを維持した。33キロ地点の上り坂になると、ついに神野とニャイロだけになった。この時、マラソンのセオリーでは相手のうしろについて、足を使わず、勝負のスパートを仕掛けるタイミングをうかがいながらレースを展開する。

 だが、神野はあえてニャイロのうしろにはつかなかった。

「ニャイロ選手と僕だけになって考えたのは、もちろん優勝はしたかったんですけど、それ以上にMGCの出場権がほしかったんです。そのためには、順位は日本人トップを維持して、なおかつ(2時間)10分をきらないといけない。僕がここでニャイロ選手のうしろにつくと彼は優勝争いを意識して、ペースを落してしまうかもしれない。それがイヤだったので、あえて横に出て、『このペースを落とさずに行こう』と声をかけたんです」

 神野は、ニャイロと並走して、ペースが落ちそうになると胸を前に突き出して前に行こうというポーズをとった。それを察してニャイロもペースを落とさずにレースを展開していった。

「そこでふたりで力を合わせてじゃないですけど、ペースを落とさずに行けたことが今回のサブ10につながったと思います」

【最後のトラック勝負に賭けた】

 40キロ地点で、残り2.195キロを計算すると、サブ10を達成できる目安がついた。その時、ホッとしたのか、ニャイロと少し差が開いた。あとは優勝を狙うだけだったが、40キロを越えた地点で離れた差を詰めていくのはかなりの足と体力を使う。疲労があるなか、神野はロードではなく、トラックでの勝負に賭けた。

「トラックに入ってラスト100mで、なんとか切り替えることできたんです。でも、僕がスパートをかけて近づいていくとニャイロ選手が気づいて、それで一瞬、先に出られてしまった。ラストで追い越して優勝したかったですけど、そこで気づいて反応したニャイロ選手のほうに力があったということだと思います」

 ゴールした瞬間は、優勝できなかった悔しさとサブ10を達成し、MGCを獲れたうれしさが半々だった。マラソンに挑戦して5年目、通算11レース目でのサブ10達成だった。

【挫折し、環境を変え、トレーニングを試した】

 これまで苦闘する神野を見てきたが、正直よくここまで盛り返してきたなと思う。

 1年前の福岡国際マラソンは28キロ地点で途中棄権だった。今年2月のびわ湖毎日マラソンは鈴木健吾が2時間4分56秒の日本記録を更新するなど、多くの選手が6分台、7分台を出したが、神野は2時間17分台を叩いた。マラソンにむいていないんじゃないか。何か取り組みがおかしいのか。一度は、マラソンをやめようというところまで追い込まれた。

 すべてを見直し、もう一度、陸上に集中するために4月、活動拠点を東京から浜松に移した。7月、それまでの練習の成果を出すべくホクレン北見大会で1万mに出場した。だが、動きがバラバラで29分49秒77と自己ベストよりも1分30秒も遅く、神野の表情から明るさが消えた。

 あれから約5か月、何か新しいことに取り組んだのだろうか。

「チームで課題を出しあって改善、修正したことはありますが、このレース前だけめちゃくちゃ練習をしたとかないですし、特別なことはしていないんです。新しい取り組みとしては、ホクレンのあとぐらいからマインドフルネスというイメトレ(イメージトレーニング)を始めたことです」

 神野は、明るくそう言った。

「僕は、試合になると動きが変わってしまったり、ふだん、練習している時の自分の体じゃない感じになって、その焦りからフォームがぐしゃぐしゃになったり、リズムが悪くなったりしていたんです。そこでポイント練習の前に、自分のいい走りをイメージしたり、相手選手の走りを考えて、この位置で走ろうとか、ペースが上がった時に自分のすべきことなどをイメージしたうえで練習をしていたんです。今回もそういうイメトレを事前にしてレースに臨み、その結果、自分の走りができたのでイメトレの効果は大きいなと思いましたね」

 神野は、藤原新コーチ(スズキアスリートクラブ)のもとで相当にハードな練習をこなしてきた。藤原からは、「力もあるし、サブ10は余裕、7分台も出せる練習はこなせている。レースでふだんどおりの力を出すことが課題」と言われた。練習でやってきたことを試合で100%出すにはどうすべきか。多くのアスリートの悩みでもあるが、神野はイメトレから、その答えを導き出した。

【新たなシューズで結果が出た】

 もうひとつ、外的な変化が見られたのがシューズだ。

 神野といえばニューバランスだが、今回はナイキのヴェイパーフライネクスト%を履いてレースに臨んだ。写真や映像を見て、多くの人が「なぜ?」と感じたように思われるが、実は神野とニューバランスとのスポンサー契約は終了していた。

「ニューバランスとはプロになってから3年間、一緒に活動させてもらって感謝しかないですし、今も引き続きコミュニケーションをとらせていただいています。ただ、契約があることで(他社の)シューズを試せずに悩んだことも事実。これからMGCやパリ五輪を考えると、そういう状況だけは避けたかった。一旦契約をクリアにして、いろんなシューズを試したなかで今回レースで履くシューズも選択しました」

 神野が今後どのメーカーのシューズを履くかどうかはわからない。ただ、自分の選択に後悔しないためにこれからも履きたいシューズを履いてレースに臨むと言う。

【いざ、パリ五輪へ】

 メンタル的に安定し、シューズのこともクリアできた。MGCを獲得して、ここからいよいよパリ五輪にむけて本格的なスタートをきる。

「東京五輪の時はMGCの出場権を獲得してから半年でMGC本番だったので、準備期間が短くて、結果を出すためにもうちょっと時間がほしいと思っていました。今回は早いタイミングでMGC(の出場権)を獲れたので、ここから2年弱、MGCで勝つために何をすべきなのか考えて練習のプラン、レースプランを考えていきたいです」

 ストレスのないよい笑顔だった。神野がこれまで結果が出なくても努力し続けられたのは、箱根駅伝で結果を出し、3代目・山の神と称号をもらい、またあの時のような興奮と感動を味わいたいと感じたからだ。だから、どんなに苦しくてもつらくても高みを目指してやってきた。サブ10は通過点、箱根の時と同様に、ひとつ壁を越える度に神野は、また強くなっていく。