一人の記者が届ける「THE ANSWER」の新連載、第25回はボクシング・井上尚弥 2021年も多くのスポーツが行われ、「THE ANSWER」では今年13競技を取材した一人の記者が1年間を振り返る連載「Catch The Moment」を…

一人の記者が届ける「THE ANSWER」の新連載、第25回はボクシング・井上尚弥

 2021年も多くのスポーツが行われ、「THE ANSWER」では今年13競技を取材した一人の記者が1年間を振り返る連載「Catch The Moment」をスタートさせた。現場で見たこと、感じたこと、当時は記事にならなかった裏話まで、12月1日から毎日コラム形式でお届け。第25回は、ボクシングのWBAスーパー&IBF世界バンタム級王者・井上尚弥(大橋)が登場する。

 今月14日に東京・両国国技館で挑戦者のアラン・ディパエン(タイ)に8回TKO勝ち。2年1か月ぶりの国内凱旋試合では、勝利目前で「勝ち方」を意識。常にファンを想うプロボクサーの姿があった。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

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 7回だった。7000人の観客が見守る中、井上のフックが顔面をモロに捉えた。ここまで何百発ものパンチを浴びてきた挑戦者がぐらついた。勝利目前だ。しかし、モンスターはラッシュに入らなかった。

「やっぱりフィニッシュの仕方も若干考えた。手数でレフェリーストップに持ち込むこともできたんですけど、これはどうなのかと。それがよぎったんですよ、本当に。常々、『勝ち方、勝ち方』と言っている。それをレフェリー頼りにするのはどうなのかと」

 まだ相手のパンチが死んでおらず、警戒感もあって踏みとどまった。世界戦の大舞台。並みのチャンピオンなら「まずは勝つこと」に重きを置き、レフェリーストップでもいいからチャンスをものにしようとするはず。日本記録の世界戦16連勝中だった井上は、さらに上の領域にいた。

「ファンが本当に総立ちになるような試合。魅せるボクシングをしたい」

 プロボクサーとして、いつだってファンの目線を意識してきた。2月のチャリティーイベントでも「ファンの方がどんなスパーリングを見たいか」と考え、対戦相手に元世界王者の比嘉大吾を指名。ネット上のコメントを見ることもある。内容だけではなく、どんな記事にどれくらいの数の反応があるのか。今回の試合後も目を通し、いろいろな意見に触れた。

 直近2試合は米ラスベガスで戦い、国内での試合は2年1か月ぶりだった。感じていたのは待ちわびたファンの熱。圧倒して勝つという意味合いで「リードパンチで倒す」「期待、想像を超える勝ち方をしたい」と宣言した。

「常々期待について口にしているし、周りもそういう見方をする。自分としてはそういう発言で自分へのプレッシャーを高めて強さを引き出しているつもり。今回は自分との戦い。だからこそ、凄くハードルを上げるようなことを言ってきたし、それがトレーニングの質を上げていく一つの材料になる」

 長いボクシング人生では、常に強敵と戦えるわけではない。今回は明らかな格下。緊張感を保つため、相手の映像は「1、2回見たくらい」と知りすぎないよう努めた。

「あぁ、止められちゃったな」、決着の瞬間によぎったこと

 リングでは豊富な引き出しを見せつけた。一方的な展開に観客から「もう遊んでる」の声が漏れるほど。4回には左アッパー3連発から左ボディー。あえて相手に打たせる場面もあれば、ノーガードで誘うシーンも。7回にはサウスポーにスイッチ。ジャブ一つとっても、ガードの隙間を狙うもの、拳を立ててダメージを与えにいくもの、ポンポンポンと軽く打って揺さぶりをかけるものなど何種類も駆使した。

 決着した8回。アッパー2発から左、右のフックを浴びせると、最後は左ショートで吹っ飛ばし、最初のダウンを奪った。王者の表情は何一つ変わらない。再開直後に左フックが挑戦者の顎に被弾。ヨレヨレになったところ、すかさずレフェリーがストップをかけた。

「あぁ、止められちゃったな」。相手が戦意喪失し、会場が盛り上がる一方、少し視線を落とした井上は不完全燃焼の様子。「やっぱり勝ち方にこだわりたかった」。ファンに求められるのは相手が豪快にぶっ倒れるシーン。それは本人が最も理解している。

 結果的に8回を要したが、パンチより重い足技もあるムエタイ経験者のタフさが光った。それだけ我慢強かったからこそ、井上が持つ多くの技術を見ることができた。「時には期待を超えない勝ち方をすることを覚えておいてください」と自虐的に笑ったが、玄人ファンであればあるほど楽しめる内容だったはずだ。

 来春には他団体王者との統一戦を計画中。今後は自分が望む試合をしていくのか、ファンが望む試合をしたいのか。試合翌日の一夜明け会見で飛んだ質問。井上は一笑に付した。

「結局はどちらかがあれば、どちらもなんですよ。自分が望む試合であればファンの望む試合だし、ファンが望む試合が決まったならば自分が絶対に納得する試合になる」(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)