12.26国立代々木競技場第2体育館で佐々木大輔の持つDDT UNIVERSAL王座に挑戦する高梨将弘。中学からプロレスに魅了された高梨。学生時代スポーツ経験がないまま闘龍門に入門するが退団。闘龍門の先輩・大鷲透に大家健を紹介されDDTの入…

12.26国立代々木競技場第2体育館で佐々木大輔の持つDDT UNIVERSAL王座に挑戦する高梨将弘。中学からプロレスに魅了された高梨。学生時代スポーツ経験がないまま闘龍門に入門するが退団。闘龍門の先輩・大鷲透に大家健を紹介されDDTの入団テストを受ける。第2回はデビューから海外での活動について。

<第1回はこちら>

――高梨選手は入団してからデビューまで3ヶ月。かなり早いですよね。

高梨将弘(以下 高梨):確かに早かったです。入門テストを受けた日、ちょうど石川修司さんのデビュー戦。その1ヶ月後、同期の柿本大地さんがデビューしました。

入門テストを受けに行ったのは横浜の赤レンガ倉庫。大家さんから「新人が駅で待っている。合流して会場まで来てくれ」と指示がありました。「誰が来るんだろう…」と思ったら石川さんと柿本さんがロックアップしていました(笑)。この人たちに間違いないと思い「今日テストを受けさせていただく高梨です。宜しくお願いします」と挨拶をしたら「俺たちがプロレス関係者だと分かるようにロックアップしていた」と(笑)。でも石川さんは身長195cmとデカく「レスラー以外」有り得ない。当時は細かったけど、あの大きさは衝撃でした。闘龍門にいた時も身長が高い選手はいたけど石川さんは桁違いです。

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僕がDDTに入団してからデビューまで早かった理由はたまたまです(笑)。当時ビアガーデンプロレスが船橋ららぽーとで開催していました。ららぽーとの屋上で毎日プロレスが行われます。僕は船橋のスポーツジムで働いていて自転車で15分の距離にららぽーとがありました。そこに毎日通っていました。その頃DDTは小さい団体でプロレスと他の仕事を兼業している人が多かった。仕事の関係で全ての選手が出場できるわけではありませんでした。みんなで分担してリングに上がっていましたが、連戦で怪我をするレスラーもいました。

ある時、「この日の試合、レスラーが足りない」となりました。他団体の選手やフリーの選手も出場することができない。ららぽーとの控え室で高木三四郎さんが「誰か試合できる奴いないかな〜」と話している時、スーパーササダンゴマシンさんが僕のそばに来て「高梨、ここで『自分が試合できます!』って手をあげろ」と。僕は闘龍門にいた時から「先輩に言われたことは絶対にやらなければいけない」と考えていました。ですからすぐに手をあげて「自分が試合をします」と言ったら、高木さんがニヤリと笑って「お前、試合できるのか」と。それで三和太さんと15分のエキシビジョンマッチが組まれました。

試合後、たまたま会場に来ていたGENTAROさんが僕のところに来て「お前、どこかのリングに上がっていただろう」と言われました。GENTAROさんは学生プロレス出身者です。だから僕も学生プロレスをしていたと思ったみたいですね。ただ当時は闘龍門にいた事を言っていいのかどうか分からず誤魔化しました(苦笑)。

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翌日からマッチメイカーの方が「エキシビジョン」という形で試合を組んでくれました。その日の相手はコーチだった佐々木貴さん。佐々木さんとの試合は周りの反応が良かった。それで「昨日の三和さんとの試合ではなく佐々木さんとの試合をエキシビジョンデビューにしよう!」と言われ、太さんに申し訳ないと思いながらカメラに向かって「今日エキシビジョンデビューしました高梨です。宜しくお願いします」とコメントしたのを覚えています(笑)。

その後、ららぽーと期間中にエキシビジョンマッチを数試合行い、最終日の9月14日スーパー宇宙パワー(木村浩一郎)戦で正式デビューし、DDT所属の選手としてその後の大会に出場しました。

――僕が高梨選手を初めて見たのは市ヶ谷で行われた我闘雲舞。さまざまな団体に出場しているので、高梨はフリーの選手だと思っていました。

高梨:昔からいろいろなリングに上がりたいと考えていました。僕がデビューした2003年前後は、プロレスだけで生活している人が少なく他に仕事を持っているインディーレスラーが多かった。でも僕は試合数が多かったこともあり、デビュー3年目の2006年にはプロレスだけで生活できました。

エルドラドは大鷲透さん、アイスリボンは創設者のさくらえみさん(現 我闘雲舞)に声を掛けて頂き参戦しました。今思うと人と人との繋がりに助けられて様々な団体に出場させて頂きましたね。

――高梨選手がアイスリボンに参戦し始めた2006年頃は男女混合のミクスドマッチがあまり行われていませんでしたよね。

高梨:さくらさんは元々IWAジャパン所属の選手です。このIWAジャバンはミクスドマッチではありませんが同じ興行の中で男女の試合が行われていました。その後さくらさんはFMWに所属しミクスドマッチを経験しています。

自分もDDTでバンビ選手やゲスト参戦した女子選手と戦っていたのでミクスドマッチに抵抗はなかったですね。それに僕は「使い勝手が良かった」と思います。身長も女子と比べた時、ズバ抜けて大きいわけではないし、対戦するのにちょうど良かったのではないかと思います。

――2010年前後のDDTは今と違うカラーを持った団体でしたよね。

高梨:どこの団体も同じなのかもしれませんが、DDTは時代によってカラーが違います。僕が思うDDTは、大前提として高木三四郎さんがいる。初期DDTららぽーと時代はアカレンジャーズ(佐々木貴・GENTARO)やMIKAMIさん、タノムサク鳥羽さん、木村浩一郎さん。そしてHARASHIMAさんや大鷲透さん、ディック東郷さんが活躍する時代があり、坂口征夫選手、飯伏幸太選手やケニーオメガ選手と…どんどん変わっていくイメージがあります。現在は竹下幸之介選手や上野勇希選手、遠藤哲哉選手が活躍しています。

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――2012年にタイに渡りました。当時この話を聞いて「タイってプロレス団体あるの?」と思った記憶があります。

高梨:なかったですね(苦笑)。今でこそ東南アジアにプロレス団体ができていますが、あの頃はちょうどプロレス団体が生まれる時期。さくらさんは嗅覚が鋭い。2012年にアイスリボンを辞めた時、「タイに行ってプロレス団体を旗揚げしようと思う」と。最初冗談だと思いました(苦笑)。

さくらさんは個性的なレスラーで知名度もあります。僕が「国内でフリーでいろんな団体で活躍してはいかがですか?」と提案すると「いろんな団体を一巡したら身体を壊してレスラー人生が終わるだけ。だったらプロレスのない国でプロレスをやってみたい」と。海外にスポンサーがいると思い聞いていると「何もない」と(笑)。ただ「タイで女子プロレスが放送されていて見ている人がいると話を聞いた。その人に会いに行く」と言って本当にタイに渡ったのです。その時、さくらさんがタイで会ったのがプミさん、我闘雲舞タイ支部の代表をしていて現在はセットアップという団体をタイでやっています。

ある時、さくらさんから「タイでプロレスを拡めるためにプロモーション映像を作る必要がある。相手が必要なので高梨さん、タイに来て欲しい」と連絡がありました。面白いけどプロレスをする場所があるのか不安でした。「タイで知り合ったボーウィーさんに話をしてもらい、タイの国技であるムエタイ専用の施設 ルンピニースタジアムで試合ができるようになった」と。ボーウィーさんとは本名ボーウィーチョーワイクン、UWFインターで桜庭和志選手や高山善廣選手らにキックを教えていた人です。

「プロレスラーとしてルンピニーで試合ができるチャンスはまたとない!」と思い、タイに行ったらルンピニースタジアムが閉まっていました(苦笑)。一応ボーウィーさんの名誉のために言うと、さくらさんとボーウィーさんの間に行き違いがあり、僕が帰国した後に別の場所で試合はできたそうです。

ルンピニースタジアムの周囲を探索すると「ルンピニー公園」がありました。さくらさんは「この公園で試合をするのよ」と(苦笑)。取り敢えずプロモーション映像を作らないとタイの人に理解してもらえない。でも路上で日本人男女がプロレスしている姿を見せて「これがプロレスです!」と言うのもメチャクチャな話だと思いながら試合をしました。

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ルンピニー公園の管理の方に「公園の池にはバカでかいトカゲがいるから気をつけろ」と言われながら試合をして、その映像をYouTubeにあげました。

その後も、タイの至るところでさくらさんと試合をした動画をYouTubeにあげ続けました。するとそれを見た人たちが集まってきたのです。中には「子供の頃からプロレスを見ていたけどタイにはプロレスがない。でもレスラーに憧れて身体だけは鍛えていた」という子供もいました。本当に嬉しかったですね。それでプロレスを教え始めました。最初は公園にタイ人を集め、僕ら日本人が指導していました。彼らの純粋な目を見ていると僕も「途中で投げ出す訳にはいかない」と思い、日本とタイを何度か行き来しました。驚くことにタイに行くたび練習生が増えていったんですよ。

その後、タイにある空手道場を間借りできることになり「我闘雲舞のプロレス道場」として使えるようになりました。そこにドンドン人が集まり我闘雲舞が旗揚げしました。

――高梨選手は2012年タイで我闘雲舞に出場、翌2013年にはロシアに渡りプロレスをしていますよね。

高梨:当時ユニオンプロレスに参戦していて、来日したロシア人レスラーと仲良くなりました。そこで「ロシアで試合をする日本人はいないか?」と相談され、僕が行くことになりました。

――ロシアのプロレスは日本と違いますか?

高梨:基本的にはアメリカ・メキシコ・ヨーロッパ・日本以外の国のプロレスはWWEです。クオリティー等は置いといて目指しているのはWWE。日本は小さな国の中で様々なスタイルのプロレスが行われています。プロレス歴の浅い国はWWEかアメリカのインディープロレスを参考にしているイメージが強いですね。

――僕もフィリピンの知り合いがいて「プロレス」という単語は通じませんが「WWE」は通じます。ところでロシアには何度くらい行きましたか?

高梨:2回行きました。ロシアのイメージは新日本プロレスに来日したレッドブル軍団、もしくはリングスのロシア勢でしたが、全く違うアメリカナイズされたプロレスでした。ただ「こんな大きな選手と戦うのか」と(苦笑)。とにかく身体のサイズが大きかったですね。

<第3回に続く>

<インフォメーション>
12.26東京・国立代々木競技場 第二体育館「NEVER MIND 2021 in Yoyogi」にて高梨将弘選手が佐々木大輔選手の持つDDT UNIVERSAL王座に挑戦します。タイトルを賭けた2人の戦いが行われるのは2018年11月に後楽園ホールで行われたKO-D無差別級王座戦以来、3年ぶり。その時敗れている高梨選手は雪辱を果たせるか!詳細はDDTプロレスリング公式サイトをご覧ください
また試合は動画配信サービスWRESTLE UNIVERSEで生配信されます

高梨将弘Twitter
DDTプロレスリング Twitter

取材・文/大楽 聡詞
写真提供/DDTプロレスリング