「オープン球話」連載第96回 第95回:五十嵐が達成した雨中の完全試合>>【夜中に黙々と走り続けていた五十嵐亮太】――前…

「オープン球話」連載第96回 第95回:五十嵐が達成した雨中の完全試合>>

【夜中に黙々と走り続けていた五十嵐亮太】

――前回に引き続いて、今回も元ヤクルトの五十嵐亮太さんについて伺います。

八重樫 前回は彼の入団直後の話をしたけど、入団間もない6月頃のエピソードが忘れられないんです。高校を卒業してプロ入りしたばかりなので、亮太も寮生活をしていました。ある時、当時の寮長から「亮太はいつも深夜にひとりでランニングをしている」という話を聞いたんです。その後、シャワーを浴びてから寝ていたそうなんですよ。



昨年10月の引退セレモニー後、石井弘寿投手コーチと肩を組んで退場した五十嵐

――夜中の自主練習ということですか?

八重樫 誰に言われたわけでもないと思うんです。高校時代からの習慣だったのかもしれない。でも、誰にも言わず、自主的に夜中にランニングをするなんて、なかなかできることじゃないですよ。「今度のルーキーはなかなか熱心だな」って、僕は素直に感心していたんです。僕らの時代は「投手はとにかく走ること」という教えで育ってきたから、亮太の練習態度は素直に嬉しかったんですよね。

――そんな思いを本人にも伝えたんですか?

八重樫 いや、自発的に走っているわけだから、その点については「わざわざこちらから触れることもないだろう」と思って、僕は何も言いませんでした。でも、しばらくしたら、また寮長から亮太について話を聞いたんです。

――今度は、どんな内容だったんですか?

八重樫 「最近、亮太が走らなくなったんです」と言ったんですよ。せっかく僕は「いい習慣だな」と思っていたから、「なんで走らなくなったんだろう?」と気になって、ここで初めて本人に尋ねてみたんです。

――どんなリアクションが返ってきたんですか?

八重樫 最初に「えっ、監督、僕が走っていたことを知ってたんですか?」と。それで「せっかくのいい習慣をなんでやめたんだ?」って聞いたら、彼の顔が曇ったんです。言いづらそうに、「『○○さんに夏場は疲れるからやめろ』と言われました」と口にしました。

【決して手を抜かず、常に全力だった】

――それを聞いて、八重樫さんはなんと返事をしたんですか?

八重樫 まだまだ彼は若いし、自発的に走っているのに「疲れるからやめろ」というのはとんでもない理由だと思ったから、「そんな言葉は気にしないで、自分が走りたいのなら走ればいいじゃないか」と言いました。

――五十嵐さんとしては、その言葉に救われるとは思いますけど、そこでまたランニングを再開したら先輩の言葉を無視したことになるから、板挟みになりますよね。

八重樫 いや、亮太に「やめろ」と言ったのは先輩じゃなくて、あるコーチなんです。だから、僕も「そんなことは気にしなくていいから走れ」と言いました。もし、そのコーチがまた何か言ってきたら、そのときは僕の口からハッキリ伝えようと思っていました。それで、その日から亮太は再び夜中のランニングを始めたんです。結局そのコーチも、その後は何も言わなかったので僕の出る幕はなかったんですけどね。

――五十嵐さんの練習熱心で、純粋な性格がよく伝わるエピソードですね。

八重樫 この一件に限らず、彼は本当に練習熱心だった。決して手を抜かない。野球が本当に大好きで、「もっとうまくなりたい」という思いが人一倍強かったですね。それは入団当時から際立っていました。

――そうした努力の賜物なのか、若松勉監督が誕生した1999(平成11)年、プロ2年目の五十嵐さんはいきなり一軍でブレイクを果たしました。

八重樫 若松さんが監督となるのと同時に、僕も一軍のチーフ兼打撃コーチになりました。そのタイミングで、小谷正勝さんも一軍投手コーチになったんです。それが亮太にとってもよかったんじゃないかな。

――前回のお話でもあったように、五十嵐さんはプロ入り以来ずっと、小谷さんの指導の下で着々と成果を残していましたからね。

八重樫 当初は「球種を増やして先発ローテーションの一角を」という思いもあったけど、「亮太の場合はストレートを軸に、短いイニングを全力で投げたほうがいい」と判断したのも小谷さんだったし、若松さんも同じ考えだったから、亮太にとっては活躍しやすい環境が整っていたと思いますね。

【昨年、引退報告の電話をもらった】

――五十嵐さんといえば、現投手コーチの石井弘寿さんと一緒に「ロケットボーイズ」として当時のヤクルト中継ぎ陣を支えました。

八重樫 亮太というと「コントロールは悪いけれど勢いのあるボールで打者を抑える」というイメージが強いと思うけど、初めの頃は亮太よりも石井のほうがもっとコントロールが悪かったんです。一時期、石井には「野手転向」の話もありましたから。

――そういう報道もあったような気がしますが、現実的な話だったんですか?

八重樫 僕は「野手でもいいのかな」と思っていました。足のさばきも上手だし、バッティングも光るものがありましたから。だから、二軍の西都での秋季キャンプではスタンスを広めにとって、ノーステップで200本くらいティーバッティングをさせたこともありました。もちろん、小谷さんにも相談はしたけど、小谷さんはいつも「もうちょっと辛抱しましょう」と粘り強く指導していましたね。

――小谷さんの我慢強さがあればこそ、五十嵐亮太、石井弘寿のロケットボーイズは誕生したんですね。

八重樫 亮太も石井も、小谷さんには頭が上がらないと思いますよ。亮太に関しては僕も、入団時から見ていた高卒ルーキーがメジャーリーガーになったこともそうだし、ソフトバンクを経てヤクルトに戻ってきて、古巣で引退したこともそうだし、とても感慨深いものがありますね。......そうそう、去年も引退する時に電話で報告をもらったんです。

――いつ頃、どんなタイミングでの報告だったんですか?

八重樫 引退報道が出てすぐだったかな? 携帯に着信があったんですが、表示されていたのは一軍打撃コーチの「杉村繁」。杉村の携帯電話からかかってきたんです(笑)。それで「亮太に代わります」となって、直接引退の報告を受けました。入団直後に古田(敦也)を見て興奮していたこと、夜中にひとりで走っていたこと、アメリカで活躍したこと、ヤクルトに戻ってきたこと......。いろいろなことが思い出されてグッときましたよ。

――五十嵐さんも、いつかは指導者として野球界に戻ってくるべき人材ですよね。

八重樫 テレビで解説している姿も見たけど、明るいキャラクターで華もあるし、話している内容も理路整然としていてすごくわかりやすいですよね。近い将来、またユニフォームを着ることもあるだろうから、その時を楽しみに待ちたいです。

(第97回につづく>>)