GI勝利はおろか、2着になったこともない。それでも、ファンから長く愛される競走馬がいる。ナイスネイチャだ。 人呼んで「…

 GI勝利はおろか、2着になったこともない。それでも、ファンから長く愛される競走馬がいる。ナイスネイチャだ。

 人呼んで「ブロンズコレクター」。その異名がついたのは、この馬が年末のGI有馬記念(中山・芝2500m)で3年連続3着という偉業を成し遂げたからだ。1991年から1993年にかけてのこと。このほかにも、GIや重賞での好走は数知れず。41戦7勝という生涯成績だけ見れば派手ではないが、つねに善戦して上位に顔を出す「名脇役」だった。



有馬記念の3年連続3着と優勝できなくても愛されているナイスネイチャ

 引退から25年が経った現在も、この馬の人気は根強い。それどころか、ここにきてさらにクローズアップされるケースが増えている。

 きっかけは、スマホゲームの「ウマ娘 プリティーダービー」だ。実在の競走馬を擬人化したキャラクターが走るこのゲームでも、ウマ娘のナイスネイチャが登場。みずからを「脇役」と考え、高望みはしない。「3番手でも幸せ」という。この性格はもちろん、実在のナイスネイチャから受け継いだもの。ほのぼのとしたキャラクターがウケている。

 この人気は、思わぬところにも影響を及ぼした。競走馬のナイスネイチャは、今年33歳を迎えてなお健在。同馬が穏やかな余生を過ごすために、2017年から毎年、誕生日に「バースデードネーション」という寄付イベントが行なわれている。

 2021年には、なんと3500万円以上の寄付が集まった。初年度から徐々に寄付額が増えていたとはいえ、昨年は約176万円。規格外の増え方だ。ウマ娘人気により、ふたたびこの馬が脚光を浴びたと言える。

 そこで、有馬記念を迎える今週、改めてナイスネイチャの歩みを振り返ってみたいと思う。

 やはりこの馬を語る上で欠かせないのは、有馬記念3年連続3着という記録。最初の"銅メダル"は、1991年の有馬記念だった。

 前年(1990年)にデビューしたナイスネイチャは、この年の夏から4連勝で頭角を表す。初めてのGI菊花賞(京都・芝3000m)こそ4着に敗れたが、続く重賞をふたたび制して有馬記念に挑んだ。

 当日は、並み居る強豪に混じって2番人気の有力候補に。1番人気は、長距離で屈指の強さを誇るメジロマックイーンだった。

 レースでは、マックイーンの後ろを追走。直線で大外に持ち出し、1番人気の主役に狙いを定めてスパートをかけた。鞍上の松永昌博騎手の合図に応えてしっかり伸びたが、最内から伸びた14番人気の大穴ダイユウサク、そして2着のメジロマックイーンから後れをとって3着に敗れた。

 翌1992年は、勝ち星こそないもののGIで上位に入るなど、脇役ぶりが徐々に定着してきた時期。有馬記念の前に挑んだGIマイルCS(京都・芝1600m)でも3着に入っていた。

 そして、2度目の有馬記念3着が訪れる。この年は、メジロパーマーとダイタクヘリオスが他馬を引き離しての大逃げ。4番人気のナイスネイチャは7番手を進んだ。

 場内がざわついたのは向正面。逃げに逃げたメジロパーマーのリードが縮まらない。ナイスネイチャは早めに動き出し、前方を捉えにかかる。

 しかし、逃げたメジロパーマーは最後まで止まらなかった。ゴール前で鋭く追い上げたレガシーワールドをハナ差抑えての逃げきり。15番人気での大金星だった。前年に続く大波乱にどよめいたゴール前。そのなかで、ナイスネイチャは2頭からコンマ2秒遅れての3着で入線したのだった。

"善戦生活"は翌年も続く。年明けから重賞を4戦して、2着と3着を繰り返した。がしかし、ここで異変が。秋になって挑んだGI天皇賞・秋(東京・芝2000m)では、15着と生涯で初めての大敗。続くGIジャパンカップも7着。どんなときも好走するあのキャラクターが影を潜めたのだ。

 もうナイスネイチャは終わりなのか。そんな疑問のなかで迎えた3度目の有馬記念。戦前の評価は10番人気だった。

 しかし、この舞台を思い出したかのように、またも名脇役ぶりを発揮。道中は中団を追走すると、外から必死にスパートをかける。最後までしぶとく伸びて、1年ぶりのレースで奇跡の復活を果たしたトウカイテイオー、そして1番人気のビワハヤヒデに続き3着となったのだ。

 レース後、有馬記念3年連続3着という記録は、各所で話題になった。まるで馬がこの舞台を覚えているかのように、きっちり好走する。何より、トップレベルのスターホースが集う有馬記念で、3年にわたり上位に入る実力を持っていたこともすばらしい。

 これだけでもナイスネイチャのキャラクターは十分に確立されたが、もうひとつ、この馬の現役生活のなかで伝えたいレースがある。3度目の銅メダルを獲得した翌年、1994年7月10日に行なわれたGII高松宮杯(中京・芝2000m)だ。

 有馬記念以降も、善戦しながら勝利には届かなかったナイスネイチャ。気づけば前回の勝利は2年7カ月前。誰もが実力を認めつつ、勝つシーンを想像する人は少なかったかもしれない。

 しかし、その瞬間はやってきた。この高松宮杯はダービー馬のウイニングチケットをはじめ、豪華メンバーが集結。そのなかで、ナイスネイチャは念願の勝利を手にしたのだ。

 この日は何かが違った。そう言っても、過言ではないかもしれない。レースでは13頭中12番手と、かなり後方の位置取り。前半では、ウイニングチケットなどの有力馬を前に見ていたが、動きがあったのはレース半分を越えたあたり。ナイスネイチャが一気に仕掛けたのだ。

 直線手前ではすでに4番手の位置取り。ウイニングチケットはすでに後ろにいた。画面からも伝わる勝利への気迫。長くコンビを組んできた松永騎手が懸命に追うと、ライバルを交わしてゴール。念願の金メダルは、真夏の中京競馬場にあった。

 ゴールの瞬間、スタンドからは大きな拍手が湧いたという。ただの1勝ではない。2年7カ月をかけてつかんだ白星に、ファンは心から祝福した。

 1994年の有馬記念では、4度目の3着とはならなかったものの、5着に好走。ただ、このあたりからさすがにピークをすぎたのか、以前のようなレースはできなくなった。5度目の有馬記念で9着に負けると、翌年11月、ついに引退を迎えた。

 白星ばかりの派手なキャリアではなかったかもしれない。むしろ、負けたレースのほうが多かった。しかし、つねに一生懸命走り、上位に名を連ねたその競走生活は、間違いなく勝利に値するものだったと言える。だからこそ、いまだにこれだけの人たちに愛されている。

 勝つことだけが正しいのではない。敗北のなかにも語られるストーリーがある。ナイスネイチャは、まさにその代表だろう。名脇役が愛した有馬記念。今年もきっと、いろいろなドラマが生まれるに違いない。