「THE ANSWER the Best Stories of 2021」、ユニセフ職員としてのキャリア後編 東京五輪の開催で盛り上がった2021年のスポーツ界。「THE ANSWER」は多くのアスリートや関係者らを取材し、記事を配信したが…

「THE ANSWER the Best Stories of 2021」、ユニセフ職員としてのキャリア後編

 東京五輪の開催で盛り上がった2021年のスポーツ界。「THE ANSWER」は多くのアスリートや関係者らを取材し、記事を配信したが、その中から特に反響を集めた人気コンテンツを厳選。「THE ANSWER the Best Stories of 2021」と題し、改めて掲載する。今回は1996年アトランタ五輪に競泳で出場し、引退後は国連児童基金(ユニセフ)の職員として長く活動している井本直歩子さんのキャリア。7月の後編は引退後にユニセフで働く理由について。「世の中の不平等」を感じる経験は競技生活にあった。(文=長島 恭子)

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 現役時代、競泳選手は10代がピークといわれたこともあり、井本直歩子さんは競技後の人生を早くから考えていた。シドニー五輪代表選考の落選後、競技を引退した井本さんには、もう次の目標があった。

 中学時代から海外遠征や国際大会で海外の選手と触れ合うようになり、自分と他国選手との環境の違いを目の当たりにするたびに、不平等が生まれる世界に疑問を抱いていた。

「例えば、日本の選手は揃いのウエアからジャージなどすべて支給され、物にあふれていた。一方、貧しい国の選手は、ゴーグルもジャージもなく、Tシャツ一枚とボロボロの水着でレースに現れる。選手村では無料で食事が提供されるため、アイスクリームや食事をたらふく食べる貧困国の選手を見かけることもありました。

 そのたびに恵まれた自分との差を痛感し、あぁ、なんて不平等な世の中なんだと感じていました」

 後にユニセフで働くきっかけになったのは、高校3年時に読んだ新聞記事だった。

 それは、94年広島のアジア大会に向け、トレーニングを積んでいた期間のこと。「朝練後、コーチ室に立ち寄り、新聞を読んでから朝食を食べるのが日課だった」井本さんは、いつも通り新聞を開くと、ルワンダ虐殺を報じる記事にくぎ付けとなった。

「ルワンダ虐殺は100日に渡り、ナタや素手で隣人を殺すような、本当にひどいものでした。自分がのほほんとトレーニングをしている今この瞬間も、地球の裏側では1日1万人が殺される惨事が現実に起こっている。そのギャップにショックを受けましした」

ユニセフで行う仕事のミッションは「すべての子どもに教育の機会を与える」

 ルワンダ虐殺の記事を読んだのは高校3年、ちょうど進路選択の時期。「五輪に出場した後の人生は、恵まれない環境下の人のために生きたい」。そう考えた井本さんは、慶應義塾大学総合政策学部へ進学。進学後はぼんやりと「国連で働く」という目標を抱き、到達するために必要なステップを洗い出した。英語力、修士号の取得、発展途上国での実務経験――。アトランタ五輪後、米国の大学へ留学を決めたのも、国連という目標に近づくためでもあった。

 そして、引退後は英マンチェスター大学大学院で修士号を取得。国際協力機構(JICA)のインターンとしてガーナに派遣された後、シエラレオネ、ルワンダの「企画調査員」で平和構築支援に取り組む。その後、外務省の国連職員のジュニア・プロフェッショナル・オフィサー採用試験を突破。07年、ユニセフの教育部門に配属され、高校時代から目指していた道を歩み始めた。

 ユニセフに配属後は、スリランカ、ハイチ、マリ、ギリシャなどの被災地、紛争地、難民を受け入れる国に赴任。紛争・災害下の子どもの教育問題の解決に、奔走する毎日を送ってきた。

「すべての子どもに教育の機会を与える。これが私のユニセフでのミッションです。

 人間はオギャーと生まれた瞬間に人権を持ち、教育を受ける権利もその一つです。教育を受けられない子供がいるならば、政府だったり親だったり、与える立場の人が責任を持って機会を与えなければいけません。ユニセフの仕事は、教育を与える責任を持つ人がその責任を全うするよう支援すること。例え赴いた国の政府が機能していなくても、汚職が横行していても、反対勢力があっても、やらなければなりません。だって取り残されるのは子どもたちだから。

 特に私は、子どもたちがきちんと教育受けられないことに、ものすごい怒りを覚えるんですね。

 教育を受ける権利は平等にあっても、実際は生れた場所により、恵まれた教育を受けられる子もいれば、受けられない子もいる。だからといって、正当な教育を受けられず、発達が遅れ、将来、ちゃんとした人生を送れないこの状況が、許されていいわけがない。この怒りの気持ちが仕事の原動力になっています」

「0.01秒」を縮めるために積み重ねた努力が活きた第二の人生

 求められる仕事は、赴任先の国や地域の状況により多岐にわたる。大地震で壊滅した教育現場の再建や心のケア、難民の子どもたち、帰還した子ども兵士たちの復学や地元コミュニティとの関係の構築。井本さんは「現場に立ち、目の前の問題を解決することで、自分の力が発揮できる」と、現場主義を貫いた。

「色々な国で仕事をしてきましたが、皆、『出来ない』って結構すぐ言うんですよね。それに対して、私は『どうやったらできるかを考えよう』と言います。

 チームワークや、コミュニケーション力、リーダーシップなど、水泳から学んだことは仕事のあらゆる場面で生きていますが、いちばんはこの、『諦めない気持ち』です。

 選手時代、0.01秒を縮めるために、限界を超えるまで地道な努力を積み重ねてきたし、常に高いレベルのパフォーマンスを求められることで、精神力が鍛えられました。援助の世界にはもちろん、順位はないけれど、JICAやユニセフでも常に高い目標を持ち、努力し、追い込んできた自負はある。それが出来たのは、厳しい世界で競技を続けてきたからこそだと思います」

 JICA時代から数えて約18年、世界各国の過酷な環境下を渡り歩いてきた。現在は、東京オリ・パラのジェンダー・アドバイザーを務めるほか、SDGsやジェンダー平等の啓蒙活動の活動に取り組みつつ、穏やかな日々を送る。この休職期間は「次のステージに向けて学びを深める時期」である一方、「人生で初めて道に迷っている」とも話す。

「水泳を辞めてここまで、敷かれたレールに乗っかって走り続けてきました。でも今は、宙ぶらりんで大海原に放り出された感じです。取り組みたいことはたくさんあるけれど、休職後どうするかは、ユニセフへの復職を含めて自分でもわかりません。

 ただ、上司もいないし(笑)、やりたいことだけをやっていますから、迷っている割には毎日がすっごく楽しい。国際情勢ももちろん気になりますが、この1、2年間は少し立ち止まり、家族と自分のために時間を使いたい。そのうち、どうしても戻りたくなったら、またドロンといなくなります」

(終わり)

■井本直歩子 / Naoko Imoto

 3歳から水泳を始め、小学6年時に50m自由形で日本学童新記録を樹立。中学から大阪イトマンに所属。近大附中2年時、1990年北京アジア大会に最年少で出場し、50m自由形で銅メダルを獲得。1994年広島アジア大会では同種目で優勝する。1996年、アトランタ五輪に出場。千葉すず、山野井絵理、三宅愛子と組んだ4×200mリレーで4位入賞。2000年シドニー五輪代表選考会で落選し、現役引退。スポーツライター、橋本聖子参議院議員の秘書を務めた後、国際協力機構を経て、2007年から国連児童基金職員となる。2021年1月、ユニセフを休職して帰国。3月、東京2020組織委員会ジェンダー平等推進チームアドバイザーに就任。6月、社団法人「SDGs in Sports」を立ち上げ、アスリートやスポーツ関係者の勉強会を実施している。(長島 恭子 / Kyoko Nagashima)

長島 恭子
編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)、『つけたいところに最速で筋肉をつける技術』(岡田隆著、以上サンマーク出版)、『走りがグンと軽くなる 金哲彦のランニング・メソッド完全版』(金哲彦著、高橋書店)など。