一人の記者が届ける「THE ANSWER」の新連載、第15回はボクシング・井上尚弥世界戦 2021年も多くのスポーツが行われ、「THE ANSWER」では今年13競技を取材した一人の記者が1年間を振り返る連載「Catch The Momen…

一人の記者が届ける「THE ANSWER」の新連載、第15回はボクシング・井上尚弥世界戦

 2021年も多くのスポーツが行われ、「THE ANSWER」では今年13競技を取材した一人の記者が1年間を振り返る連載「Catch The Moment」をスタートさせた。現場で見たこと、感じたこと、当時は記事にならなかった裏話まで、12月1日から毎日コラム形式でお届け。第15回は、ボクシングのWBAスーパー&IBF世界バンタム級王者・井上尚弥(大橋)の世界戦からお送りする。

 14日に東京・両国国技館で挑戦者のアラン・ディパエン(タイ)に8回TKO勝ち。新型コロナウイルスの新たな変異株「オミクロン株」でスポーツ界も影響を受けた中、2年1か月ぶりの国内凱旋試合が実現した裏側には、井上陣営の苦労があった。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

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 目じりのシワに達成感が満ちていた。井上がV6を決めた1日前の13日、56歳の大橋秀行会長はすでに胸をなでおろしていた。「自分の仕事はここまで。もう安心してしまっている」。井上が国内で試合するのは、2019年11月7日のワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ(WBSS)決勝でノニト・ドネア(フィリピン)に判定勝ちして以来。大橋ジムが国内開催の世界戦を主催するのもこの時以来だった。

 運も味方についた。すでに試合開催を発表していた11月29日、オミクロン株の世界的な感染拡大を受け、政府は同30日から全世界を対象に外国人の入国を原則禁止することを発表。村田諒太、井岡一翔が年末に予定していたビッグマッチは開催が見送られた。

 しかし、ディパエンら今回の興行に出場する外国人は、28日に来日済みだった。関係団体との調整の上、当初は試合10日前の来日も可能だったが、大橋会長は念のため14日前に設定。入国規制のニュースを知った瞬間は「鳥肌が立った。1日前だからね。ゾッとしたよ。14日前にしておいてよかったです」と肝を冷やしたという。

毎朝、相手陣営から届く抗原検査結果の知らせに「ドキッとする」

 来日後も心が休まる時間はなかった。ディパエンには練習できる隔離施設を用意したほか、井上と同じく毎日の抗原検査を徹底。関係者を通じて相手陣営から毎朝LINEで報告が届いた。「毎朝ドキッとする。もし何かあれば電話だから少し安心しているけど、大した用事じゃないのに電話の時がある。何事かと思ってしまう」。最も心臓を締め付けられたのは、試合2日前の12日だった。

 ディパエンの隔離が明け、選手と陣営全員にPCR検査が義務付けられていた。結果は全て陰性。「あまりに(運を)持っているから何かオチがあるのかと思っていた。最近では一番血圧が上がったね」。プロモーターは試合を組み、選手をリングに上げるまでが仕事。「あとは地震だけ。最近多いから……」。祈るように決戦当日を迎えた。

 リングに上げてしまえば、世界最強の愛弟子が猛威を奮う。8回までかかったものの、勝つのが当然かのように防衛数を重ねた。コロナ対策、観客制限の調整、各所との打ち合わせ。大橋会長は充実した表情で道のりを振り返った。

「プロモーターとして今回が一番思い出になる。2年ぶりの世界戦開催ですし、ここまで心配した経験はなかった」

 かつてはストレス過多で興行直前に痛風を発症したこともある。井上が輝きを放つ裏には、プロモーターの涙ぐましい苦労があった。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)