「THE ANSWER the Best Stories of 2021」 滝沢さんのカミングアウトの理由とは 東京五輪の開催で盛り上がった2021年のスポーツ界。「THE ANSWER」は多くのアスリートや関係者らを取材し、記事を配信した…

「THE ANSWER the Best Stories of 2021」 滝沢さんのカミングアウトの理由とは

 東京五輪の開催で盛り上がった2021年のスポーツ界。「THE ANSWER」は多くのアスリートや関係者らを取材し、記事を配信したが、その中から特に反響を集めた人気コンテンツを厳選。「THE ANSWER the Best Stories of 2021」と題し、改めて掲載する。今回は元バレーボール選手の滝沢ななえさんのインタビュー。

 2013年に現役を引退した彼女は、2017年、出演したテレビ番組でレズビアンであることをカミングアウトした。まだまだセクシャル・マイノリティであると公表する人が少ないなかで、何故公表に踏み切ったのか? そして性的指向に悩む子どもたちや選手に何を伝えていきたいのか。自身の経験を振り返りながら、語ってもらった。

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「もしかして私は、人を好きになれない病気なのかもしれない。そんな風に、悩んだ時期もありました」

 かつてV・プレミアリーグ、V・チャレンジリーグでプレーしていた、元バレーボール選手の滝沢ななえさん。引退後の2017年、出演したテレビ番組でレズビアンであることを公表。日本のスポーツ界では、自身がセクシャル・マイノリティであると公表する関係者は非常に少なく、そのニュースは多くのメディアに取り上げられ、注目された。

「テレビの反響は、やっぱりすごく大きかったですね。当時はまだ、母と数人の友人しか知らなかったので、妹から『どうして言ってくれなかったの!』って、すぐに連絡がきました」

 子どもの頃は、近所の仲良しの男の子のことを指して、『私は●●君が好き』と、女の子同士で言い合うことはあった。しかし、中学・高校生になり、男子とお付き合いするようになってからは、常に『違和感』があった。

「付き合っても『恋愛出来ない感』がすごくありました。友達の様子と違って、自分だけ何だかいつも、盛り上がれない(笑)。どうしてだろう? 私は人のことを好きになれない病気なのかな? と思い、真剣に調べたときもありました」

 調べていくなかで、世の中には(恋愛感情や性的欲求を抱かない)「無性愛者(エイセクシャル)」という人たちがいることを知り、ああ、病気ではなく、こういう可能性もあるのか、と考えることもあった、という。

「でも、レズビアンである可能性は、まったく思いつかなかったですね。勿論、レズビアン、同性愛者という言葉は知ってはいましたが、自分はそうかも、という思いは湧かなかった」

 気がついたのは、22歳。女優・上野樹里さんがトランスジェンダーを演じたドラマ『ラストフレンズ』を観たときだった。

「映像で実際に目にしたときに初めて、『あぁ、そうか。こういう形の恋愛もあるのか。もしかしたら自分はレズビアンかもしれないな』と思いました。でも、実際に女性と付き合ってみないと、本当かどうかはわからない。それで、アクションを起こすことにしたんです」

 調べてみると、どうやらレズビアンが集まる店もあるらしい。でも、いきなりリアルな場に足を運ぶ勇気はない――。そこで、まずはプライベート用の新しいアカウントを作り、SNSで見つけたセクシャル・マイノリティのコミュニティに参加。その場を通じて交流が広がり、ほどなく、初めて女性と付き合いはじめた。

「最初にお付き合いしたときに、自分は同性愛者だと確信しました。ああ、自分も誰かのことを好きになれる。恋愛感情はあるんだって、嬉しかった」

 彼女が出来た後、高校時代からの親友と、当時所属していた埼玉上尾メディックスのチームメイト数人だけに打ち明けた。

「親友に打ち明けたのは、実は自分から言い出したのではなく、突然、『もしかしてさ、ななえって女の子が好き?』と聞かれたのがきっかけです。彼女には昔から、恋愛の悩みを相談してきたし、隠す必要はないな、と思って」

 友人たちは皆、滝沢さんにパートナーが出来たこと、恋をしていることを、喜んでくれた。しかし、このときはまだ、家族に打ち明けることまでは考えられなかった。

母に伝えた日の記憶「母なりにちゃんと、受け止めてくれたんだ、と」

 その後、滝沢さんは現役を引退。バレーボールコーチとして働いていた頃、当時のパートナーとの間で、同居の話が持ち上がった。一緒に住むのであれば、きちんとけじめをつけたい。滝沢さんは「母親に本当のことを言おう」と決めた。

「やはり母に伝えることは、なかなかできませんでした。でも、当時の彼女とは、この先も人生を共にする相手だと思っていたので、『友達と一緒に住む』と誤魔化すのではなく、本当のことを伝えられたほうがいい、と思ったんです」

 とはいえ、いきなり顔を見て話す勇気は出なかった。考えた末、スマートフォンを手に取り、メッセージを送った。

『実は私は同性愛者です。パートナーの子と一緒に住むことになりました』。

 返事は、すぐに返ってきた。

「『そうなんだね。一緒に住むのであれば、あなたに覚悟が必要だし、相手に対する責任もちゃんと持ちなさい』というメッセージでした。電話がかかってきて、あれこれ言われたらどうしようかと思っていたので、ホッとしました。

 言葉は少なかったけれど、不安に感じることは全くなくて。母なりにちゃんと、受け止めてくれたんだ、と感じました」

 兄弟姉妹には彼女を「一緒に住んでいる友達」と紹介し、家族との食事会に、彼女が同席することもあった。姉や妹たちにも、自分の彼女をパートナーとして扱ってほしい……。そんな気持ちを抱きながら。

「私にとって、彼女は家族。だから、『一緒に住んでいる子』と思われることは、複雑でした。私の家族にも家族と思って欲しいし、姉が『私の旦那さん』と自然と紹介するのと同じように、接していけたらいいな、って」

 当時は20代後半。結婚の早かった妹からはたびたび、「結婚はしないの?」「子供がいるっていいよ」と言われたが、彼女との関係性を偽ることで、会話がたどたどしくなっている自分を感じていた。ある日、『もう、家族には言ってもいいかな』と思い、母に意志を伝えた。

「でも、それはちょっと違ったようです。『そういう話は、色んな人に言うものではないよ』と言われました。母は私に、言葉では何も言わなかったけれど、その様子から思うところがあるんだな、と感じました。やっぱり母なりに、すごく葛藤していたのだと思います」

カミングアウト後、妹からは「もっと早く言ってくれれば」、しかし母とは…

 その後、滝沢さんはパーソナルトレーナーに転身。経験を積み、仕事が軌道にのるなか、改めてセクシャル・マイノリティであることに向き合うようになった。

「当時、所属していたジムの代表に、トレーナーとしては軌道にのってきたし、この仕事以外にも何か出来るといいよね、と言われました。そのとき初めて、『私にしか出来ないことって何だろう』と考えたんです。

 すると、私が同性愛者であると知っていた代表が、『セクシャル・マイノリティであることに悩んでいる人もいる。その人たちのために何かできたらいいね』といってくれて。そのアドバイスがしっくりきたんです」

 ちょうどそのタイミングで、テレビ番組出演のオファーが届く。取材の流れで彼女がいる、と伝えると「その話をぜひ使わせてほしい」と番組のディレクターから言われた。

「テレビで自分がカミングアウトしたら、同じような境遇の人の支えや勇気になることがあるかもしれない。テレビに出る機会なんてなかったので、公表するならば今じゃないかな、と思いました。

 これを、事前に母に伝えたらダメだといわれるに決まっています。でも、私は親のために生きているのではなく、私の人生。公表することに、迷いも躊躇もなかった」

 放映は、仕事中だったため観ていなかった。仕事が終わり、携帯電話を開くと、テレビを観ていた妹たちが家族用のSNSに、バンバン、メッセージを送ってきていた。

「妹には、『もっと早く言ってくれればよかったのに!』と言われました。結果論ですが、テレビで公表し、妹たちに知ってもらえたのはよかったです。家族みんなで悶々と考えることにもならず、すぐに受け入れてもらえて、私はすごく恵まれています。

 ただ、母とはそれから1年ぐらいかな。連絡が途絶えました。

 当時すでに母親でもあった妹は、『ななえが同性愛者でも、妹である私は変わらない。でも私も自分の子供に言われたら、やっぱり複雑かもしれないね』など、色々と言葉をかけてくれました。姉妹と親子では違う。お母さんの気持ちもわかってあげなよ、ということだったと思います。

 母とはその後も、特に話し合ったりすることはありませんでしたね。でも自然と、少しずつ連絡を取り合うようになり、今ではすっかり、告白する前と同じ関係ですよ」

 初めて母に告白したときに、何も言わずに受け止めてくれたこと。次に続く言葉を聞いたとき、滝沢さんにとってその事実が、何よりも大切だったのだ、と感じる。

「もしも子どもにセクシャル・マイノリティであることを告白されたら、家族として複雑な気持ちを抱いても、まずは否定してほしくない。『そうなんだね、話してくれてありがとう』の一言を言うだけで、本人の気持ちは大分違うと思います。

 自分がセクシャル・マイノリティであることを人に話すことは、すっごく勇気がいります。親に告白するとなればなおさらです。それでも行動に移したのは、本当にすごいこと。だからまずは『そっか、ありがとうね』と、受け止めてほしい、と思います」

同性のパートナーと幸せな日々を過ごす今、伝えたいこととは

 現在、パートナー、そして愛犬と共に暮らす滝沢さん。仕事や恋人との日常、友達との交流など、日々の生活をSNSにまめに投稿している。そこには、「同性のパートナーと楽しく生きている人がいることを伝えたい」、という思いがある。

「この10年で、セクシャル・マイノリティに対する社会の反応は、ずいぶんと変化していると感じます。特に、自分よりも若い世代の方と話をしていると、LGBTQの存在を当たり前に受け止めている、と感じる場面もあります。

 でも実際は、悩んでいる人、苦しんでいる人はたくさんいます。私が彼女とワンちゃんとの生活を投稿するのは、セクシャル・マイノリティであっても、それを隠さず、社会で生きている人がいるんだよ、と伝えたいから。同じような立場の方に、苦しまず、生きていける場所があることを伝えたいからです」

 近年、スポーツ界でも、セクシャル・マイノリティへの理解が進んでいる。世界的な節目となったのは2014年のオリンピック憲章の改訂。性的指向による差別の禁止が明記され、2016年のリオデジャネイロ五輪・パラリンピックでは、50人を超える選手がセクシャル・マイノリティであることをカミングアウトした。

 だからと言って、急にすべての選手が公表に踏み切るわけではない。滝沢さんも、世間にカミングアウトしたのは、引退後だったから、と話す。

「私も現役時代は、メディアで公表したい気持ちはありませんでした。当時は男性のファンもすごく多かったし、公表することで、応援してくれるファンを裏切ってしまう気持ちになっていたんです。

 それに、当時はスポーツ選手のLGBTなどに関する事情も知らなかったし、セクシュアリティのことは、自分と、本当に大切な人が知っていればよいことだとも思っていた。そもそも、カミングアウトすることとバレーボール選手であることは、まったく結びつかない別の話、という認識だったんです。

 ただ、私がそうでいられたのは、多分、レズビアンであり、性自認も女で、体が女であることに違和感がないからだったと思います。女子チームに入り、女子チームと戦うことに対し、何の疑問もないですから。例えば、もしトランスジェンダーであったら、また考え方が違っていたと思います」

 自分はカミングアウトする道を選んだ。でも、皆がカミングアウトすればいい、とは思わない。いちばん大事なのは公表するかしないかではなく、『自分らしくいられる場所』を見つけることだ、と話す。

「私がカミングアウトした後、コーチ時代にバレーボールを教えていた子から連絡が来て、『もしかしたら私も女の子が好きかもしれない』と打ち明けてくれました。その子から『彼女が出来た』と報告されたときは、本当にうれしかった。やっぱり、そうやって誰かに本当の自分を知っていてもらうって、すごく気持ちが楽になるし、大事なことだと思います。

 私もそうでした。公の場では、本当の自分を偽って過ごさなければいけなかった。だけど、SNSを通じて出来たレズビアンの友人と、ご飯を食べたりおしゃべりをしたりして過ごしている時間は、ものすごく幸せだった。

 だから、『自分らしくいること』って、すごく大事なんですよね。もしかして自分はそうなのかな? と気づいたとき、きっと、悩んだり苦しんだりします。私ももし、十代で気づいたら、もっと悩んだと思います。それでもやっぱり、最終的には自分らしく生きてほしい。

 そのためには、家族でも、友人でも、同じ悩みを持つ人でも、誰か一人でいいからわかってくれる人を見つけてほしい。親にも友人にも相談できなかったら、それこそ私でもいい。今の時代は、同じような境遇の方とつながる方法はたくさんあります。少しでも自分らしくいられる場所を、作ることが大事だと思います」

 自分の存在が、誰かの居場所の一つであったら嬉しい――。だから滝沢さんは、自分の世界を発信し続ける。自分が自分らしく幸せでいられる、温かい世界を。

■滝沢ななえ(たきざわ・ななえ)

 1987年9月22日生まれ、東京都出身。八王子実践中学・高校と進み、高校2年時に、春高バレーでベスト8進出。卒業後、V・プレミアリーグ、パイオニアレッドウィングス(2006-2009年)に入団。2009年、V・チャレンジリーグ上尾メディックスに移籍し、2013年7月に現役を引退した。その後、バレーボールスクールのコーチをへてパーソナルトレーナーに転身。2019年11月、東京・六本木にパーソナルジム「PERSONS Training Salon」開業する。2017年、出演したテレビ番組で、レズビアンであることを公表。スポーツ界では数少ない、セクシャルマイノリティであることを公表している一人。(長島 恭子 / Kyoko Nagashima)

長島 恭子
編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)、『つけたいところに最速で筋肉をつける技術』(岡田隆著、以上サンマーク出版)、『走りがグンと軽くなる 金哲彦のランニング・メソッド完全版』(金哲彦著、高橋書店)など。