創部わずか4年のエイジェックというチームが、全国有数の激戦地である北関東を勝ち抜き、都市対抗に出場したことは衝撃だった。 しかも北関東予選で破ったのが、日本製鉄鹿島(旧・新日鐵住金鹿島)にSUBARU(旧・富士重工業)という全国大会の常連…

 創部わずか4年のエイジェックというチームが、全国有数の激戦地である北関東を勝ち抜き、都市対抗に出場したことは衝撃だった。

 しかも北関東予選で破ったのが、日本製鉄鹿島(旧・新日鐵住金鹿島)にSUBARU(旧・富士重工業)という全国大会の常連チーム。さらに、SUBARUを8回1失点に抑えたのが2年目右腕の金城乃亜(24歳/専修大)で、日本製鐵鹿島を8回二死まで2点に凌いだのがルーキー左腕の林明良(あきら/23歳/関東学院大)だと知って驚愕した。



都市対抗で好投したエイジェックの林明良

 ともに大学時代は大きな実績を残すことなく、注目される投手ではなかったからだ。

 その林が11月28日の都市対抗1回戦で、優勝候補の一角であるNTT西日本を相手に7回を5安打無失点に抑える快投を見せ、関係者、スカウトたちを驚かせた。

「150キロ近いボールをビュンビュン投げる左ピッチャーらしいですよ」

 エイジェックの応援席からそんな会話が聞こえてくる。左腕で、このサイズ(180センチ・82キロ)で、しかも150キロ前後のボールを投げるのだから、間違いなく「ドラフト候補」である。だが、「関東学院大の林」は聞いたことがなかった。

 大学では無名でも、社会人野球で急激に頭角を現す選手、とくに投手が出てくるのが社会人野球の魅力である。

【高校時代は藤平尚真らを擁する横浜高校に大善戦】

 初めて上がる東京ドームのマウンド。林は強豪相手でもひるむことなく、堂々のピッチングを見せる。

 ちょうどその頃、横浜隼人高校の水谷哲也監督は、練習試合から帰る野球部のバスのなかで、試合の映像に目を凝らしていた。

「投げるというのは聞いていましたから、見ていたんですけど、こんなにいいピッチングするとは......ビックリしました」

 林は高校時代、神奈川の強豪校・横浜隼人で研鑽を積んだ。

「林は2年生の夏からエース格で投げていました。(神奈川大会の)準々決勝で藤平尚真(現・楽天)や石川達也(現・DeNA)がいた横浜高校相手に8回3失点ですよ。その代わり、翌年はその横浜に16点とられて粉砕されましたけど(笑)」

 それが大学では登板機会に恵まれなかった。

「ボールが暴れるって言うんですかね。体が柔らかすぎて、肩甲骨の可動域も広く、リリースポイントが不安定になって......。それだけの可動域があったので、バッターのスイングを圧倒できるだけの球威とパワーがあったと思うんですけど、投げてみないとわからないというところがあったんでしょうね」(水谷監督)

 リーグ戦ではほとんど投げることがなかったが、それでも潜在能力を高く評価されて社会人野球への道が拓けた。

【独特の投球フォームと伝家の宝刀・スライダー】

 都市対抗では、立ち上がりから145キロ前後のストレートを軸に、180センチの長身を生かした角度あるボールを投げ込んでいた。それ以上に、どこからでもホームランが飛び出すNTT西日本の強力打線を相手に、物怖じすることなく向かっていく姿が頼もしく、とてもルーキーが初めての大舞台のマウンドで投げているようには見えなかった。

 ただ、左腕でこれだけ球速があるのに、時折、タイミングよく捉えられるのは、ボールの回転数が少ないのかもしれない。それでもしっかり相手打者を抑えられるのは、スライダーという武器があるからだ。

 打者有利のバッティングカウントをスライダーでしのぎ、3ボールからでもスライダーでカウントを立て直し、走者を背負ってもストライクゾーンのスライダーで凡打に仕留め、ピンチを切り抜ける。

 球速は130キロ弱だから、ストレートとの体感速度にははっきり差があって、しかもスピン量が多い。打者の目には「キュッ」と動く鋭い変化に見えるはずで、間違いなく厄介なボールである。

 また、左腕が一瞬伸びきったように見えて、そこからたたみ込み、ヒジと手首を支点に腕の振りにしなりをつくる独特のテイクバック。スライダーでも、腕の振り、球筋が途中までストレートと変わらないのが、打者の見極めをいっそう困難にしている。

「リリースのタイミングが合っている日は、ほんとにすごいボールを投げるんですけどね。感情の起伏が激しいというか、調子に波があるというか、そこのところを林自身がどうコントロールしていけるかでしょうね」

 この日の林は、間違いなくハマった日だった。

 今秋のドラフトで指名された選手やベテランの強打者が居並ぶNTT西日本打線のなかで、とくに渾身のフルスイングを繰り返す上位打者ほど、林が織りなすストレートとスライダーの緩急に、スイングが合わない。

 この日、林が奪った8三振のうち、空振り三振はじつに7つもあった。

【都市対抗が一世一代のピッチングになってほしくない】

「高校の時はオーソドックスなフォームでしたから。今のフォームは社会人になってからのフォームじゃないでしょうか。ロッテなどで活躍された小林(雅英)さんがコーチになられ、いい指導のおかげでここまでの投手になったんでしょう。今年の7月に、足利市長杯で150キロを超えたということも聞きましたし、MVPにも選ばれたようで、都市対抗でも期待していたんですよ」

 大学野球で苦しんだ教え子の思わぬ台頭に、水谷監督の声も弾む。

「中学は部活の軟式で、東大からプロに進んだ宮台康平投手(現・ヤクルト)の後輩でね。大学ではなかなか光が見えてこなかったのが、このピッチングでようやく一条の光が差し込んだというところでしょうね」

 ここを最初のステップにしてほしいと、水谷監督は願う。

「ピッチャーには、突然バーンとすばらしいピッチングをして、そのあとパタリ......みたいなことがよくありますけど、この都市対抗が林にとって"一世一代のピッチング"になってほしくない。これから上に登っていく最初の一段目になってほしいですね。これから登っていく山の頂がちょっと見え始めてきた......そういう立ち位置を理解し、地に足をつけて一歩一歩、コツコツやってくれたらと。ここからが本当の勝負になっていくんだと思います」

 雌伏の時を経て、林が堂々のドラフト候補に名乗りを挙げた。