一人の記者が届ける「THE ANSWER」の新連載、第9回はアマボクシング・平仲信裕 2021年も多くのスポーツが行われ、「THE ANSWER」では今年13競技を取材した一人の記者が1年間を振り返る連載「Catch The Moment」…

一人の記者が届ける「THE ANSWER」の新連載、第9回はアマボクシング・平仲信裕

 2021年も多くのスポーツが行われ、「THE ANSWER」では今年13競技を取材した一人の記者が1年間を振り返る連載「Catch The Moment」をスタートさせた。現場で見たこと、感じたこと、当時は記事にならなかった裏話まで、12月1日から毎日コラム形式でお届け。第9回は、アマチュアボクシング・平仲信裕(沖縄県ボクシング連盟)が登場する。

 プロの元WBA世界スーパーライト級王者で1984年ロサンゼルス五輪代表の明信氏を父に持つ25歳。東京五輪代表を逃した後はプロ転向や引退もよぎったが、父の言葉が「アマで燃え尽きる」という想いを生み出した。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

 ◇ ◇ ◇

 偉大な親を持つと、子は苦労する。よく聞く定説だが、必ずしもしんどいことばかりではない。「親ガチャ」なんて言葉が流行する時代。偉大だからこそ、道標になってくれることがある。

 11月26日の全日本選手権(東京・墨田区総合体育館)。男子ウェルター級の平仲は2回戦から登場した。動きは硬く、ガードで耐える展開が続く。大振りのパンチは外れ、石灘隆哉(エイベックス)に1-4の判定負け。3年ぶり5度目の全日本は、わずか10分ほどで終えた。

 父は日本ボクシング史に名を刻んだ選手である。1992年4月、王者エドウィン・ロサリオ(プエルトリコ)に初回から襲い掛かり、わずか92秒のTKO勝ち。猛者揃いの階級で世界王座を奪い取った。重い拳で敵を葬り去る獰猛なスタイル。髭を蓄えた無骨な外見も相まって人気を博し、伝説は今もなおファンの脳裏に刻まれている。

 アマチュア時代にアジアを制し、五輪のリングにも立った父。長男の信裕は親子出場を目指したが、東京五輪は代表権を奪えなかった。19年春に芦屋大を卒業後、地元の沖縄へ戻り、知人の建設会社で働きながら父のジムで練習。華やかなプロ興行に憧れもある。同年秋の全日本社会人選手権を最後に「アマに区切りをつけようか」とプロ転向も選択肢に入れていた。

「どうしようか」。どっちつかずでくすぶっていると、コロナ禍に見舞われた。1年半ほど試合ができず、運動は汗をかく程度。実戦もプロのスパーリング相手を務めるくらいだった。

 このままグラブを吊るすのか。そんな時、多くは言葉を交わさない父がつぶやいた。

「もったいねぇなぁ」

 年齢には勝てない。若いうちに本気で打ち込めるのがボクシング。「プロの欲もあるけど、アマに未練があった。時間は限られている」。父のような大きなタイトルは獲ったことがない。父の想いと自らの意志が重なった。

「試合前の緊張は怖い。でも…」、ボクシングでしか経験できないもの

 沖縄連盟からの打診もあり、今年秋の三重国体を目指すと決めた。本格的に練習を再開したのは6月。ところが、大会直前で中止になり、またもコロナが障壁となった。モヤモヤを拭いきれず、「せっかく練習したんだから」とターゲットを全日本に変更。九州地区の予選から勝ち上がり、本戦までたどり着いた。

 予選突破の報告に、父は「おう」だけ。「オヤジは全部獲っているから、厳しさをわかっている。『もっと本気出せよ』『こんなんじゃ、まだまだ獲れないぞ』と言われている感じ」。くすぶった時期は父の経営する会社で働くこともできた。「レールを敷かれても、それに乗りたくないと思う自分がいる」。我が道を進む気概は強い。

 厳しいアスリートの世界でも、特に身も心も削られる格闘技。なぜ、平仲Jr.はリングに上がるのか。24年パリ五輪が第一目標ではない。父によく似た無骨な顔で語る。

「試合前の緊張はやっぱり怖い。でも、これを経験できるのはボクシングしかない。試合前の夜は眠れないし、震えることもある。けど、勝ちたいという気持ちもある。五輪にそこまでこだわりはないです。まだ燃え尽きていないだけ。まだ物足りない。燃え尽きるまでやりたい。試合ができるなら明日でもいいです」

 明信氏は世界王座を奪ってから、5か月後の初防衛戦で11回TKO負け。試合後の検査で脳内出血が発覚し、引退を余儀なくされた。28歳だった。

 偉大な父が指針になっているのは間違いない。まだ25歳。燃えないなんてもったいない。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)