Jリーグクライマックス2021 12月4日、清水。大久保嘉人(セレッソ大阪、39歳)は、清水エスパルス戦でJリーグ最後のピッチに立っている。試合前、体幹トレーニングから2人1組でボールを触り、淡々と体をほぐす。最後だからといって、ウォーミン…

Jリーグクライマックス2021

 12月4日、清水。大久保嘉人(セレッソ大阪、39歳)は、清水エスパルス戦でJリーグ最後のピッチに立っている。試合前、体幹トレーニングから2人1組でボールを触り、淡々と体をほぐす。最後だからといって、ウォーミングアップから感傷的になって「ひとつひとつ丁寧に」などというタイプではない。

「試合に入った瞬間、スイッチが入る」

 大久保は言う。

 真剣勝負の場で、ほとんど別人格になる。相手が誰であろうと容赦はしない。何者かに変身するのだ。Jリーグラストマッチも変わらなかった。ミスからボールを失ったら、猛然と敵を追いかけ、意地でも前に行かせない。勝負への執着は模範的ではなく、狂気的だ。

 ペナルティエリア内で浮いたボールに対して、ゴールに背を向けていたことから、瞬間的判断で体を浮かせたオーバーヘッドで強引に狙った。側に相手選手がいて、ヘディングで処理しようとしていたことから、足を蹴り上げるのを躊躇する選手もいるだろう。しかし、大久保は本能のままに体を動かしていた。

「最後くらいはおとなしく」

 ピッチの大久保に、そんな道徳感は通じない。20年以上、彼はそうやって生きてきた。



清水エスパルス戦でJリーグ最後の試合を戦った大久保嘉人(セレッソ大阪)

 Jリーグで前人未到の3シーズン連続得点王に輝き、J1歴代最多得点記録を誇る大久保とは何者なのか。大久保は国見高校での華々しい活躍があるし、若くして日本代表に選ばれ、海も渡っている。それだけに、サッカーエリートのように映るかもしれない。しかし、彼は逆境を乗り越えることで強くなってきた。

「『プロになりたい』っていうのはJリーグができてから、ずっと思っとって。でもはっきり言って、『無理やな』と思っとったね」

 大久保はそう回顧していた。

「国見中の時、確かU-16に2人選ばれていたんやけど、俺は県選抜さえも落ちてた(笑)。そんなヘタくそがプロとか、ましてや日本代表や海外でプレーするなんて考えられんかった。これはあり得んなって。高校も1年は"応援部"。レギュラーは2年の途中からで、それも先輩が事情でサッカー部を辞めたからやけんね。

 いつサッカーを辞めてもおかしくなかった。でも、どんなに考えてみても、俺にはサッカーしかなかった。なんか、『おまえにはサッカーしかない』という声がどこかから聞こえたような気がするんよ」

 大久保はその声を疑わなかった。その声はもうひとりの自身の叫びでもあったのかもしれない。体がバラバラになりそうになるまで練習に打ち込むと、終わった時、ひとつ乗り越えた気がした。試合では全てをかけて戦った。それをひとつひとつ重ねてきた。

「サッカーは遠慮なんかしとったら、絶対にうまくなれん」

 大久保は荒っぽい言葉で、プレーヤーとしての流儀を説明していた。

「仲良しじゃ、チームも強くなれんね。その考え方は、絶対に変わらんと思う。負けたら自分は終わり。そうやって追いつめられたほうが、俺は力を出せる。成功した時、サッカーは驚くほど達成感がある。もちろんダメやったら、ずしっと重いもんが心に覆い被さってくる。どっちかよ。でも、勝った試合は自分の力になるし、その感覚は言葉にならん。それがあるから、やめられんって思うよ」

 ピッチに入ったら、自然とスイッチが入るようになった。感覚が研ぎ澄まされた猛獣に近い。野生とも、無心とも言えた。そのおかげで、彼は怖がられるアタッカーになった。

 清水戦も、存分にその異能を見せた。

 前半35分だった。左から清武弘嗣が蹴ったCK、大久保はファーでディフェンスの裏をとっていた。ボールの軌道を見極め、やや体勢を崩しながらも、右足ボレーでインパクト。ゴールに向かって折り返した形になって、際どいボールを清水の選手が処理できず、ゴールネットを揺らした。

「記録する人が空気を読んでくれたら」

 大久保は冗談めかして言ったが、判定はオウンゴールで、通算192得点目は幻となっている。特筆すべきは、彼が抜け目なくプレーをアジャストさせていた点だ。

「(シュートは)風が強く、合わせるのが難しかった。でも、ゴールへ折り返せば、何か起こると思って。まあ、自分が打ったシュートが、オウンゴールにつながったわけだし、サポーターの目の前で喜べたのでよかったかなと。最高にいい形で締めくくれたと思います」

 この日、ピッチ上は時折、強風が吹いて、空中のボールは不規則に変化していた。実は試合前のクロスからのシュート練習で、大久保は呆気なくミスしている。それは予行演習だったのか。野蛮で粗野にも映るが、意外なほど冷静で計算高く、そこにあるギャップがゴールというスペクタクルを生み出していた。

「最近のJリーグは、"うまい選手"しかいなくなってきた。ワクワクがないというか。いい選手はいるので、自分が持っているものを伝えられたら、もう止められなくなるはずで......」

 大久保は後輩たちに叱咤を送る。ただ、何者かに変身するなんて他のどの選手ができるのか?

「リーグ戦は『これで終わり』というのはあったけど、セレッソは天皇杯が残っているので。まだ『次だ』という気持ちですね」

 Jリーグ最後の試合を終えた大久保は、明朗な声で言っている。浦和レッズとの天皇杯準決勝を含めて、残りは最大で2試合。幻のゴールの他にも、中盤に下がってゲームを作り、ミドルやヘディングなどのシュートで敵を脅かすなど、現役を引退する選手に見えなかった。

「おまえにはサッカーしかない」

 その声を聞いた男のサッカー選手人生の完結だ。