箱根駅伝「ダークホース校の指導論」、帝京大学・中野孝行監督が語る自立の重要性 毎年1月2日と3日に行われる正月の風物詩、箱根駅伝の開催が近づいている。今年度の大学駅伝は例年以上に混戦模様。各校はいかにして“戦国時代”を生き抜くのか――。「T…
箱根駅伝「ダークホース校の指導論」、帝京大学・中野孝行監督が語る自立の重要性
毎年1月2日と3日に行われる正月の風物詩、箱根駅伝の開催が近づいている。今年度の大学駅伝は例年以上に混戦模様。各校はいかにして“戦国時代”を生き抜くのか――。「THE ANSWER」では、強豪校に挑む「ダークホース校」の監督に注目。前回の箱根駅伝で総合8位、帝京大学を率いる中野孝行監督に指導論の根底にあるものを聞いた。(取材・文=佐藤 俊)
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現在、4年連続で箱根駅伝のシード権を獲得し、常連校としての地位を確立しつつある帝京大学。その駅伝競走部を指導するのが、中野孝行監督である。2005年に監督に就任して以来、箱根予選会で苦しんでいたチームをシード権がキープできるチームに強化し、選手を育成してきた。確固たる信念の下に、ここまでチームを強くしてきたのだろうと思っていたが、中野監督は「信念がないのが信念」と笑顔を見せる。
「信念があると、こだわりが過ぎて、そこだけにこだわってしまうと他が見えなくなる」
ニュートラルで、自然体な指導の姿勢を窺うことができる。
――中野監督が指導する上で大事にしていることはなんでしょうか?
「話を聞いてあげること。よく見ること、観察すること。LOOKじゃなく、WATCHをよくすることです」
――WATCHは、寮など日頃から選手の表情を見るということですか?
「いや、私は寮には住んでいないんです。この仕事を始める前、恩師に大学の寮に住み込まないとダメだぞって言われましたけど、私はグラウンドで目一杯選手のことを見ています。学生からすると、寮で生活まで見られると休まる時がないと思うんですよ。寮の生活は学生自治で、トラブルもあるけど、学生ができる範囲でやっていくようにしています」
――では、どういうところを見るのでしょうか?
「グラウンドに来た時に何気ないコミュニケーションで選手の反応を見ますね。例えば、レースで良くなかったところや痛いところをあえて言って、どんな表情を見せるのか、どう返してくるのかを見ます。冷静な子は『そうなんです』と言うけど、余裕がない子は『そんなことはないです』って言いますね。そういう会話を楽しみながら選手の状態を見て、練習のスケジュールを考えたりします」
会話の中で、この選手は今日のキツイ練習が大丈夫かなと思う時は、気持ちを上げるような言葉をかける。ただ、陸上競技の選手特性を考えると、基本的に1人で走るので、積極的に話をしない選手もいる。そういう選手にも声をかけるが、中野監督は、選手たちの反応を見て、楽しんでいるようにも見える。
指導の根底にある高校時代の経験
――そもそも、なぜ帝京大の監督を引き受けたのですか?
「私がここに来たのは、駅伝競走部を強くしてほしい。箱根駅伝にチームを戻してほしいという要請があったからです。17年前ですが、予選会に負けて、その10日後に監督になりました。最初は1から10まで、それこそ箸の上げ下げまで口を出していました」
――そこまでがっちり指導したのは、どういう理由からだったのですか?
「大学に来る前に実業団で女子を指導していたんですけど、その時、レールを敷いてあげれば、ある程度、成果が出ることが分かったんです。実際、(帝京大でも)厳しく指導し、レールを敷くことでチームは成長し、箱根駅伝に出られるようになった。でも、あと一歩何かが足りないと感じていて、それはなんだろうと考えた時、箱根に出ることに満足してしまっていたということに気が付きました。箱根に出て、さらに上を目指すということに目を向ける余裕がなかったんです」
――その上を目指すためには?
「自立ですよね。自分で考えて、自分でチャレンジして、トライ&エラーを繰り返していかないとある程度から先にはいけない。ただ、何もないところで自立を叫んでも意味がないので、今はそのベース作りをしている感じです」
中野監督が「自立の重要性」を語るのは、高校時代の経験による。
白糠高校1年の時、陸上部には指導者がいた。だが、2年に上がる時に指導者が高校を去り、その後は指導者が不在になった。卒業後、その指導者に会った。「1年の時、先生は何も教えてくれなかった」と言うと、「違うよ。人に頼るんじゃなく、自分でやらないと成長できないことを感じ取ってほしかったんだよ」と言われた。
――高校1年生で、感じ取るのはなかなか難しいかもしれないですね。
「でも、年齢に関係なく、自分で考えて、やっていかないと成長しないですよね。どんな選手も本当はもっと力があるし、可能性があるんですよ。昨年、コロナ禍で不便になって何もできないと言うけど、本当に何もできないのかって。考えれば、やれることは他にもあるんじゃないかと思うんです。今は便利になったことで、考えることをしなくなり、逆に不便になっている」
自主性を重んじる指導で成績が安定
――自立のベースを作ろう、自主性への転換を図ろうと考えたのはいつ頃だったのですか?
「4、5年前ですね。箱根には出られるようになったけど、次の具体的な目標がないよねって思ったんです。他の指導者の中には、箱根は通過点で世界を目指すという人もいるけど、世界を目指す選手はほんの一握り。現実的に、それ以外の選手は社会に出ていくわけで、その時に心の支えになるような誇りを持たせてあげたいんです。
そうして、スポーツだけではなく、社会や世界を動かせる存在になっていってほしい。それが箱根の役割の一つであるけど、そのためには1人の人間として自立して、自分で考えて行動できることが必要なんですよ。そういうベースを作ることが大事だなっていうのを、その時にすごく感じたんです」
――自主性を取り入れることで、チームに変化は起きましたか?
「考えて走る習慣がついてきた。あと、レギュラーとそうじゃない組の選手との差は大きくなりましたね。この子たちをどう引き上げていくかが、今のうちの課題です」
帝京大が安定して箱根駅伝でシード権を獲得し始めたのは4年前だ。成績が安定してきているのは、監督主導でレールを敷いた指導から自主性を重んじた指導へ転換した時期と重なる。それが定着した時、帝京の力はもうワンランク上がるはずだ。
■中野孝行(帝京大学駅伝競走部監督)
1963年生まれ、北海道出身。白糠高校卒業後、国士舘大学へ進学し箱根駅伝に4回出場。卒業後は実業団の雪印乳業に進み、選手として活躍した。引退後は三田工業女子陸上競技部コーチ、特別支援学校の教員、NEC陸上競技部コーチを経て、2005年から帝京大学駅伝競走部監督に就任。2008年から15年連続でチームを箱根駅伝に導いている。(佐藤 俊 / Shun Sato)
佐藤 俊
1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。