ぱんちゃん璃奈インタビュー 後編  2019年2月、PANCRASE REBELSでプロデビューを果たし、わずか2年半で『RIZIN』の舞台へと駆け上がったぱんちゃん璃奈選手。自身のYouTubeチャンネルでは天真爛漫なキャラクターを披露し…

ぱんちゃん璃奈インタビュー 後編 

 2019年2月、PANCRASE REBELSでプロデビューを果たし、わずか2年半で『RIZIN』の舞台へと駆け上がったぱんちゃん璃奈選手。自身のYouTubeチャンネルでは天真爛漫なキャラクターを披露しているが、一時は人生の目標を失い、ギリギリの毎日を生きていたという。紆余曲折を経てたどり着いたキックボクシング。ぱんちゃん選手の「これまで」、そして「これから」を聞いた。



キックボクシングに出会うまでの苦しかった日々を振り返ったぱんちゃん璃奈

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――キックボクシングを始めた当初、お母さんは反対だった?

「反対していて、『どうせ続かないでしょ』という感じでしたが、『顔のガードだけはちゃんとして』とも言われました(笑)。アマチュアの試合も、(2019年2月の)プロデビュー戦も見に来てくれませんでしたね。

 でも、鼻が折れた3戦目で『本気で頑張っている』と思ってくれたみたいで、4戦目で初めて観戦してくれました。それ以来、(実家がある)大阪から、お兄ちゃん、お父さん、お母さんが毎回来てくれます。お兄ちゃんは、いつも試合直前に『頑張れや!』と言ってくれますし、リングサイドでは『ぱんちゃんパーカー』や『Tシャツ』を着て応援してくれます(笑)」

――やはり、ご家族の声は力になる?

「すごくなりますね。でも、パワーをもらうというよりも、安心させてあげたいという気持ちが強いです。リングに上がった時に家族と目が合うこともあるんですけど、いつもお母さんが泣きそうなんですよ。

 最近もお母さんと話をした時に、『こんなに璃奈ちゃんがひとつのことを続けているなんて、不思議な感じ。怖いやら嬉しいやら、不安やらでいっぱいだよ』と言っていました。だから、きっちり勝って安心させたいですね」

――リング上で、冷静に周りが見えているんですね。

「けっこう冷静です。緊張はするんですけど、会長の声や、相手のセコンドの声も聞こえます。RIZINの試合では解説席の『ローキック、このあとのダメージはどうでしょうか?』といった声まで聞こえましたよ(笑)。今はコロナ禍で観客が声を出して応援できない分、より聞こえるんですよね」

――ぱんちゃん選手は学生時代、スポーツ少女だったようですね。

「(中学の途中までやっていた)水泳は楽しかったけど、成績はよくなくて。それが陸上をやりだしたら才能が認められて、自分に自信が持てるのはこれしかないと思いました。友達はいなくても、『陸上があれば他に何もできなくてもいいや』と。

 でも、それがよくなかったんです。オーバートレーニングで、高校1年の時に疲労骨折しました。それまでは同級生が自分の前を走っているのを見たことがなくて、『大阪で一番を取れる』と信じていたんですが、ケガをした後は前を走られるようになって。悲しくなって諦めちゃいました。気持ちが弱かったというか、若かったですね」

――スポーツ以外、勉強などはどうでしたか?

「勉強はついていけませんでした。授業中は自分だけ取り残された孤独感がありましたね。宿題をする意味も、なぜ赤点を取ったら補習に出ないといけないのかもわからなかった。だからやらなかったんですが、それで怒られる理由も理解できなかったです」

――そうして高校を2年で中退して、その後はバイト生活に?

「バイトも、ひとつのところで長く続かなかったですね。続けたい気持ちはあるけど、クビになることもあったし、周りに迷惑がかかっていると思って自分からやめたりもしました。自分がみんなの足を引っ張っているのが悲しくて」

 取材当日、ピンク色の自転車でジムにやってきたぱんちゃん。STRUGGLEジムの鈴木秀明代表の「すみません、あいつはいつもギリギリなんですよ(笑)」という言葉に関係性のよさが伺える。「汗、(服に)染みてないですか?」と屈託のない笑顔を見せた彼女からは想像できないが、10代後半から20代前半までは失意の底にいたという。

――陸上、高校をやめてしばらくは、笑顔がなかった?

「笑顔はまったくなかったと思います。『どうすれば失敗しないように生きられるか』としか考えていませんでした。周囲に馴染みたいとは思っていましたけど、それができなくて。仕事もできなくて、ずっと『将来、どうしたらいいんだろう』と不安でした」

――その状態がどのくらい続きましたか?

「学校をやめて4、5年後にまた体を動かし始めて、7年後にキックボクシングに出会うまでですかね。その時は、『もう頑張るのをやめよう。楽しく生きよう』と思いました。自尊心を保つために、社会に出て働くことを諦めてもいいんじゃないかと思ったんです。

 バイトはしていましたが、足りない分は申し訳ないけど親にお金を出してもらって、毎日トレーニングしていました。もともと運動は好きでしたし、運動している時だけ元気になれたので、キックボクシングにのめり込んで行きました。『これを逃したら自分は幸せになれない』という、しがみつく感じもあったと思います」

――それが今や、RIZINのリングに上がるプロの格闘家に。キックボクシングは自分に合っていたんですね。

「命がかかっている感じがたまらないです。自分の顔が変形するスポーツって格闘技以外にないですよね。弱かったらボコボコにされるので、それが嫌だからする側に回りたいんですよ(笑)。格闘技は油断ができない。恐怖とも戦って、いざ試合に勝った時はすごく達成感があります」

――実力アップのため、タイでも武者修行をしたそうですね。

「コロナ禍の前は、ひとりでタイに8回行きました。鈴木(秀明)会長(STRUGGLE代表)の知り合いが経営しているジムに行ったんですけど、メンタルをやられましたよ。お金がなかったので1泊1000円くらいのホステルに泊まっていたんですが、まずお湯が出ない。それでも冷たいシャワーを浴びていたら、いろんな虫や、トカゲ、ヤモリとかも出てくるんです。でも、裸だから外に出られないじゃないですか。それがつらかったです。今、思えばタイだから当たり前のことだと思うのですが......」

――そんな厳しい環境にもかかわらず、何度も行ったのはなぜ?

「練習に集中できるのが一番ですね。日本だと遊びの誘いもあるし、仕事も家事もしていたけど、タイでは朝と夜の二部練をしてマッサージをして、それで終わり。さすがに安いホステルに泊まるのはやめましたが、普通のホテルでもキックパンツで出入りしてたので、他の宿泊客はビックリしていました(笑)。

 タイでは少年が練習相手になってくれるんですけど、メッチャ強いんです。体重が40キロくらいの少年だったら勝てるのに、45キロくらいまで上がると勝てなくなる。中学生を相手に首相撲などをやって体が強くなりました」



タイへの武者修行などで実力を高め、プロデビュー後は12戦無敗

――2017年に初めてアマチュアの試合に出た時、人を殴ることに抵抗はなかったですか?

「最初は『本気で殴れるのかな』という恐怖はありました。初めての試合は記憶がないんですよね。息が上がっちゃって、ただ手を出してるみたいな。でも、勝ってレフェリーに手を上げて貰えたことは嬉しかったです。アマチュア時代は1年間で12試合に出ましたから、毎月試合をしているような感覚でした」

――当時、描いていた将来のビジョンは?

「アマチュアで勝つのも必死だったので、上は見ていませんでしたけど、たくさん勝つとプロに上がれる、アマチュアのAリーグの選手たちがキラキラして見えて、すごく尊敬していました。初めての試合から1年も経たずにAリーグに出られるとは思いませんでしたね。そこで試合をした時は、『憧れていた人たちにやっと追いつけたな』と思いました」

――ここまでプロで12戦全勝。負けが怖くなることはありますか?

「毎回、怖いですよ。試合の2日前くらいまでは『負けたらどうしよう』と思っています。計量で相手の顔を見た瞬間に負ける気が1ミリもなくなって、会見でもビックマウス的なことを言うんですけど、ジムに帰ってくると『やっぱり相手のほうが強いんじゃないか』となる。でも、試合当日にはまた『絶対に私のほうが強い』と戻る。忙しいですね(笑)」

――YouTubeやSNSなどの影響もあって、ここ1年でファンも大きく増えたと思いますが、実感はありますか?

「実感はあるんですが、実は1日10件くらいSNSでメッセージが来るんですよ。朝倉未来選手のYouTubeチャンネルに出た際に、『私は蹴っちゃう気質です』と言ったら、『蹴ってください!』『前蹴りでも大丈夫です!』というお願いが来るようになっちゃって。それで興奮されても困るので、相手にはしないですけど(笑)」

――格闘家としての最終目標はありますか?

「海外の大きな興行に挑戦するのが夢です。キック、ムエタイ、どっちでも挑戦したいですね。海外だと52kg以上がほとんどなので、40キロ級の階級を作ってくれたら......と思います。強い選手がたくさんいて、今出てもボコボコにやられるでしょうから、出るならさらに1年くらい修行したいです」

――最後に、ぱんちゃん選手が考える"強さ"とは何ですか?

「リングの上でしか証明できないものだと思っています。どんなに普段の練習で強かったとしても、リングで発揮できなければ"強い"とはならない。逆に、リングの上でメッチャ強い人もいるのが、また面白いですよね。

 RIZINでいえば、3分間×3ラウンド、たった9分間でしか強さは見せられない。緊張したり、コンディションが悪くていい試合ができなかったら"弱い"と思われてしまうので、短い時間で輝きを放てるよう日々頑張っています。技術、メンタルも含めて、リング上でより強い姿を見せていきたいです!」

取材協力:STRUGGLE

【プロフィール】
■ぱんちゃん璃奈(りな)

1994年3月17日生まれ、大阪府出身。幼少期から水泳をはじめ、中学3年の時に陸上部にスカウトされると才能が開花。しかし高校1年の時にオーバートレーニングによる疲労骨折で練習ができない日々が続き、高校を中退した。新たな環境を求めて上京し、現在所属するSTRUGGLEに入会。アマチュアで12戦11勝という戦績を残して2019年2月にプロデビューし、無敗のまま2021年9月にRIZINに初参戦して12連勝を飾った。現・KNOCK OUT-BLACK女子アトム級王者。リングネームは、『ドラゴンボール』に出てくる孫悟空の孫娘「パン」に由来する。