「オープン球話」連載第93回 第92回を読む>>【高卒当時から抜群の完成度だった岩村明憲】――さて今回からは、かつて背番…

「オープン球話」連載第93回 第92回を読む>>
【高卒当時から抜群の完成度だった岩村明憲】
――さて今回からは、かつて背番号1を背負い、メジャーリーガーとしても活躍した岩村明憲さんについて伺いたいと思います。岩村さんは、野村克也監督時代の1996(平成8)年ドラフト2位での入団でした。当時、八重樫さんはすでに指導者となっていましたね。
八重樫 岩村のプロ入りと同時に僕は二軍監督になったんだけど、二軍監督1年目が岩村、2年目が(五十嵐)亮太でしたね。岩村も、亮太も、今でもすごく思い出深い選手です。当時のヤクルトは「高卒選手は、2年間は体力強化に励む」という方針だったんです。でも、岩村に関しては特例で、1年目から徹底的にファームの試合で起用しました。

3年目からヤクルトのレギュラーに定着した岩村明憲
――記録を見ると、二軍では全100試合中70試合に出場して、297打数81安打、打率.316、10本塁打、38打点、10盗塁となっています。特例を作ってまで岩村さんの起用にこだわった理由は何ですか?
八重樫 もちろん、勝手にルールを破ったわけではなくて、「岩村の場合は、実戦でどんどん結果を積ませたほうがいい」と判断してフロントに直訴しました。それが認められたんです。というのも、自主トレ期間中に彼を見ていて、「すごい完成度だな」と思ったからなんですよ。
――どういう点に、完成度の高さを感じたのですか?
八重樫 「ペッパー」という打撃練習がありますよね。それをやった時に抜群のバットコントロールだったんです。ヘッドの使い方が実に上手だった。まず、その点に惚れ惚れしました。さらに、とにかく足が速くて体も丈夫だった。守備には難がありましたが、そこは目をつぶって試合で実戦経験を積ませつつ、当時の大橋(穣)作戦守備コーチに頼んで、特守を徹底することにしたんです。
――そういう経緯で常時、二軍の試合に出場しつつ、並行して守備練習を徹底的に行なったというわけなんですね。
八重樫 戸田で試合がある時は、試合後に必ず1時間は特守をしました。でも、彼も負けん気が強いから、上手にできない自分にイライラするんです。はたから見ていてわかるほど、ふくれっ面で不満そうな顔をする。それが数日続いたんですよね。それで、3日目ぐらいに、彼を直接呼んで話をしました。
【ペナルティとして一週間の練習禁止を言い渡した】
――どんな話をしたんですか?
八重樫 最初に、「おいガン(岩村の愛称)よ、何で試合に起用して、試合後にはお前だけ特守をしているのかわかっているのか?」と問いました。そして、「今のメンバーの中ではお前がもっとも一軍に近いんだ。守備さえ上手くなればすぐに一軍なんだぞ。大橋コーチも一生懸命、協力してくれているんだから、次にあんな不満そうな態度を見せたら、しばらくユニフォームを脱がせるからな」と言ったんです。
――それで、不満そうな態度は改善されたんですか?
八重樫 その後、2日ぐらいは言われたことを守っていたんだけど、3日目か、4日目にまた同じ態度が出たんです。だから、その日の特守後に監督室に呼んで、「おいガン、お前は明日からユニフォームを脱いで、しばらく休んでいろ」と言いました。「今度、ああいう態度を見せたらユニフォームを脱がせるって約束したよな?」って。
――それで、実際にペナルティを与えたんですか?
八重樫 一週間ユニフォームを着させずに寮で待機させました。初日は寮でじっとしていたらしかったんだけど、2日目は寮を抜け出したんです。
――謹慎期間中にもかかわらず、脱走したんですか?
八重樫 いやいや、そうじゃなくて、僕らが試合している間に寮を抜け出して、ひとりで土手に行って球拾いをしていたらしいんです。僕らは全然気がつかなかったんだけど、寮長が教えてくれて。それを聞いたんで、次の日から注意して見ていたら、確かに岩村が土手でファールボールを拾っていたんですよ。
――反省の意味もあるし、居ても立っても居られないという意味もあるんですかね?
八重樫 どうでしょうね。でも、アイツなりに考えるところはあったんだと思いますよ。だけど僕はあえて知らんふりして一週間はユニフォームを着させなかった。そして一週間が経って、「明日からユニフォームを着てグラウンドに来い」と言ったら、やっぱり嬉しそうでね。それからは不満そうな態度は一切見せなくなりましたよ。
【プロ3年目には早くもレギュラーに定着】
――そして、若松勉監督が就任した1999年、プロ2年目からは頻繁に試合に出始めて2000年からは完全にレギュラーに定着しますね。
八重樫 守備にはまだ難はあったけど、バッティングに関してはレギュラーとして何も問題ないレベルに達していました。彼がプロ1年目だった野村克也監督時代も「どうしても岩村を上げたい」と言うので、一軍に上げたこともあるんです。ただ、その時に僕はひと言つけ加えたんですよ。
――どんなひと言をつけ加えたんですか?
八重樫 「打撃は光るものがあるけど、守備はまだまだです。野村さんの期待に応えられるようなレベルじゃないですよ。それは覚悟してください」と言いました。それで、横浜スタジアムだったと思うけど、三浦大輔相手にデビューしたんですよね。でも、最初の試合でエラーして、「やっぱり二軍に戻すから、じっくりと鍛えてくれ」ということになったんです。
―― 一軍に定着してからの岩村さんをどのように見ていましたか?
八重樫 最初の頃は右投手にはいい対応ができるんだけど、左ピッチャーはとことん苦手にしていましたよね。どうしても腰が引けるから、アウトコースに変化球が来ると力のない空振りをしたり、手も足も出ずに見逃したりするのが多かったんです。若松さんも「左ピッチャー相手ではちょっと厳しいな」と言っていましたね。
――「左投手対策」はどうしたんですか?
八重樫 意識としては「ぶつかってもいいから逃げるな」ということは口を酸っぱくして言い続けました。技術的には、左ピッチャーの時にはライト方向ではなく、レフト方向に打つ技術を身につけさせようと、素振り、ティーバッティングから徹底的に練習して、少しずつ結果が出るようになっていったんです。左バッターで、あれだけ逆方向に大きなホームランを打てるタイプはなかなかいないから、そこでひとつ殻を破ったような気がしますね。そこからですよ、岩村がブレイクしたのは。
――その後、岩村さんはメジャーリーガーとなり、再びヤクルトに戻ってきますが、そのあたりのことはぜひ次回に伺いたいと思います。
八重樫 今は、独立リーグの福島レッドホープスの代表取締役社長も監督も務めていますね。岩村がレッドホープスの指揮を執り始めた頃には僕はスカウトだったので、彼とはまた違う形で接点が生まれていましたから、そのあたりのこともお話ししましょうか。
(第94回につづく)