新しい勢力地図を形成する中、伝統の日大山形が奮闘して混戦隣接する新潟県に並んで、かつて高校野球の全国大会でのワースト記録を争っていたのが山形県だ。県議会で「県内の高校野球を強くするにはどうしたらいいか」ということが議題になったこともあるくら…
新しい勢力地図を形成する中、伝統の日大山形が奮闘して混戦
隣接する新潟県に並んで、かつて高校野球の全国大会でのワースト記録を争っていたのが山形県だ。県議会で「県内の高校野球を強くするにはどうしたらいいか」ということが議題になったこともあるくらいだ。県議会で取り上げられる直接のきっかけとなったのは、東海大山形が2度目の甲子園出場を果たした1985(昭和60)年の夏のことである。相手が優勝候補のPL学園に7対29という記録的なスコアで敗退したからでもあった。全国大会である、いくらなんでもこの得点差はひどいということだったのだろう。これだけでも、野球後進県といわれても誰も文句が言えなかったというのも確かである。
http://www.hb-nippon.com/column/1504-se/10341-20160410no19se