東京五輪では主将としてチームを鼓舞した荒木絵里香さん 東京五輪を終え、今年9月に現役引退をした荒木絵里香さん。 小学校5年でバレーボールを始め、19歳の時に日本代表に入り、ロンドン五輪では主将としてチームを牽引し、銅メダルを獲得。東京五輪を…



東京五輪では主将としてチームを鼓舞した荒木絵里香さん

 東京五輪を終え、今年9月に現役引退をした荒木絵里香さん。

 小学校5年でバレーボールを始め、19歳の時に日本代表に入り、ロンドン五輪では主将としてチームを牽引し、銅メダルを獲得。東京五輪を含め4大会の五輪を経験するなど、常にバレーボール界の中心にいた。一方で結婚、出産を経て、コートに戻ってきたママさんアスリートでもあった。海外では、普通の光景だが、日本では東京五輪で母としてプレーした選手は、わずか5名しかない。日本の女性アスリートにとってライフステージが変わるなか、プレーヤーに復帰するのは容易ではない。荒木さんは自分が結婚、出産をされてきたなかで、女性アスリートが復帰する環境について、どう考えているのだろうか──。

 荒木さんが大きな決断を下したのは、ロンドン五輪のあとだった。

「ロンドン五輪で銅メダルを獲得して、充実感と達成感がすごくあったんです。じゃ次、どういう形でバレーボールをやっていけばいいのかっていうのを考えた時、環境を変えたいという思いが強くありましたし、同時に自分のライフプランも大事にしたいなと思いました。そのひとつが出産で、私は20代のうちに産みたいと思っていたので、それなら今しかないと思ったんです」

 荒木さんの夫は、元日本代表のラグビー選手である四宮洋平さんだ。当時、四宮さんはイタリアでプレーしており、契約を終え、帰国した際に将来について話をした。

「これからどうするのかっていう話をした時、こういうこともあるよねっていうことで話が出たのが、結婚、出産でした」

 ロンドン五輪から10か月後、2013年6月に結婚を発表し、翌年の1月に女児を出産した。キープレーヤーのひとりが出産で長期休養となると、所属クラブは戦力的に厳しくなる。

 だが、東レアローズは、非常に協力的だった。

「普通は、結婚して、妊娠したら現役引退みたいな感じですよね。でも、そういうことはなく、『産休も育休もフルに使っていい。そのあとに復帰していいよ』と言われました。とてもありがたかったですね。ただ、私は関東に家族がいたこともあり、移籍させていただいたんです」

 荒木さんのようにチームから積極的なサポートの申し出を受けられる選手は、ごくわすかだ。やはり結婚、出産を経て、競技をやめていく選手が多い。十分なサポートを得られず、やめていかざるをえないケースが多いと言ったほうがいいだろう。

「女性アスリートといってもいろんな競技の方がいますし、求めるものも違うと思うんです。たとえば私の場合は、母がフルサポートしてくれたので遠征など行く際、非常に助かったのですが、旦那さん以外の身内のサポートがない場合はベビーシッターとか、そういうものも必要になってくると思うんです。その人に合ったフォローやサポートがあるとうれしいですし、そういうものがこれから充実していけば、お母さんになって競技を続けるという選択肢も増えると思います」

 荒木さんは、そういうサポートを受けるには、選手の側にも一定の基準が必要になるのではないかと考えている。

「今は、まだ、誰もがそういうサポートを受けられる状態ではないと思いますし、そもそもサポートしてもらえるレベルの選手じゃなければいけないかなって思います。サポートばかりを求めてはいけないと思いますし、それを求めるなら、そうしてもらえる自分にならなければならないというのが大前提としてある気がします」

 荒木さんは、イタリアリーグでのプレー経験があり、海外でのママさんアスリートへのサポートも見てきているが、日本とはちょっと様子が違うようだ。

「海外は、ボーイフレンドの段階からかなりオープンなつき合いをしていますし、結婚、出産も特別なことのような感じがしません。子どもができても海外はベビーシッターの文化が根づいていますし、わりと旦那さんが協力的なので、そこは日本とは違うところですね」

 荒木家では絵里香さんの母のフルサポートが命綱になっていた。出産を計画する際、「子どもの面倒を見てほしい」とお願いした。その時は、母はフルタイムで仕事をしていたが、子どもが生まれると仕事をやめ、フルサポートをしてくれた。

「母は、大変だったと思います。私の場合、数時間見てもらうとかのレベルではなくて、海外遠征とかで数か月単位で家には不在でしたからね。ですから、娘とバーバ(母)とは、すごく距離が近いんです(笑)。娘はバレーボールが大嫌いなんですよ。バレーは、ママを奪う敵なので(苦笑)。バレーに行く時は、行かせまいとしてあの手この手を使ってくるんです。でも、行かないといけないので、こっちが泣きそうになっていましたね」

 何回か、そういうことを繰り返していると、娘は「泣こうが叫ぼうが、ママはバレーに行ってしまう」と悟り、諦めの境地になっていたそうだ。

 出産は大変だが、出産してから現場に復帰するのも非常に大変だ。妊娠し、出産まで10か月以上、激しく体を動かすことはできない。その結果、それまで培われた筋肉はもちろん、アスリートして不可欠なものがどんどん削がれていく。

「私は、1月に出産して5月にチームに合流したんですが、最初は何もできず、プレーできる状態じゃなかったです。ゼロどころじゃない、マイナスからのスタートでした」

 走れない、飛べない、バレーボールというよりも基礎運動能力の部分でのマイナスだった。いざコートに入って実戦的な練習になっても体が思うように動かず、反応も遅れた。

「もう、もどかしさしかなかったです。でも、続けていくとできることが増えていくので、伸びしろがすごいんですよ。それが新鮮で、楽しかったですね」

 荒木さんは、笑顔でそう語るが、アスリートの動きと感覚を取り戻すには、それなりの時間が必要だった。公式戦のコートに戻ってきたのは11月。5か月という時間が選手としての自分を取り戻すために必要だったのだ。
 
 荒木さんは、今年9月に現役引退を発表した。

 東京五輪が終わり、ひと区切りついたなかでの引退というのが世間的な理由としてとらえられていたが、一番大きかったのはそれではなかった。

「本当の引退理由って、なんだろうって考えた時、表向きには子どもといたいとか、東京五輪が終わったからだときれいにまとまりそうですけど、それだけじゃないです。私は、うまくなりたい一心でやってきて、出産後も成長できている、うまくなれると感じてやってきました。その後も、まだこんなんじゃ終われないって言い聞かせてやってきました。でも、今回は、もうこれ以上うまくなるのは難しいという自分を素直に認めることができました。だから、スッパリやめられました(笑)」

 決心がついた時の気持ちを荒木さんは、こう言った。

「バレーを味わい尽くした感じです」

 引退後は、トヨタ車体クインシーズのチームコーディネーターという仕事に就いている。あまり聞かない役職だが、どんな仕事をしているのだろうか。

「今はチームの強化とPRがメインですね。チームに帯同する時は、練習を見て、選手に声をかけたり、ミーティングで気がついたことなど意見も言います。でも、コートに戻りたいとかは1ミリも思わないですね」 

 コート脇にいる荒木さんの存在感は、絶大だが、そういう人が見てくれているチームの選手はある意味幸せでもある。練習では、ぬるい空気は許されないだろう。そうしたコート上の厳しさや我慢は、荒木さんが大事にしていた成長に必ずつながる。

 そういう意味では、荒木さんが関わるチームの今後が楽しみだが、日本代表の今後も気になるところだ。東京五輪は1勝4敗でグループリーグを突破できず、惨敗といってもいい結果に終わった。主将だった荒木さんは、最後に若手にこう伝えたと言う。

「最後の試合が終わって、バラバラに控え室に戻るのはイヤだったので、最後にみんなに集まってもらいました。その時、『キャプテンとして、こんな結果に終わってしまってごめんね』ということと、若い選手が多かったので、『もう1回、次のチャンスを活かして個人が強くなってチームを強くしていってほしい』と伝えました。パリ五輪まで3年しかないですし、次はオリンピック予選があります。今まで以上に強くならないと大変なことになるので、日本のバレーボール界のためにも彼女たちには頑張ってほしいですね」

 プレーヤーとしては第一線を退いた荒木さんだが、今一番やりたいことは娘さんとの時間をしっかりと持つことだと言う。

「今まで授業参観とか運動会とか、1回も行けていないんです。参観日の案内とかもらってくると、『行けない。バーバにお願い』という感じだったので、これから楽しみですね。ただ、私は身長の高さが一般社会のなかで尋常ではないので、周囲の反応が気になりますけど(苦笑)。とりあえず、ママ友作りから始めます」

 その表情は、東京五輪で見せた厳しい表情ではなく、優しいママそのものだった。