「日本ボクシング連盟の今」前編 日本ボクシング連盟は生まれ変わったのか。2018年夏、前会長の山根明氏の体制下では様々な問題が表面化。山根氏の風貌と独特なキャラクターも相まって、大騒動に発展した。新体制移行から3年が経ち、東京五輪でメダル3…

「日本ボクシング連盟の今」前編

 日本ボクシング連盟は生まれ変わったのか。2018年夏、前会長の山根明氏の体制下では様々な問題が表面化。山根氏の風貌と独特なキャラクターも相まって、大騒動に発展した。新体制移行から3年が経ち、東京五輪でメダル3つ、世界選手権で金メダル2つを獲得するなど、活況を見せるアマチュアボクシング。体制を引き継いだ内田貞信会長、体制交代に尽力し、副会長に就いた菊池浩吉氏(現理事)に「日本ボクシング連盟の今」を聞いた。

 前編では山根政権下にいた役員の意識改革、新体制発足後に相手にされなかったスポンサー探し、転機になった東京五輪などを振り返る。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

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 いい意味で“普通”の全国大会だった。28日まで5日間行われた全日本選手権。東京・墨田区総合体育館では、アマチュアボクサーたちがしのぎを削った。異様な圧迫感のない当たり前の光景。ただ、以前はこうではなかった。

 18年夏、「日本ボクシングを再興する会」が山根会長の不正を指摘する告発状をスポーツ庁などに提出した。助成金の不正流用、審判員の不正判定疑惑、試合用グラブの不透明な独占販売など多くの項目が浮上。試合会場で会長を出迎える行列、会長だけが座る豪華な椅子、飴や果物などが列記された「おもてなしリスト」も話題となった。

 叩けばどんどんホコリが舞う状態。山根氏は辞任に追い込まれたのち、大きく関わった一部の幹部とともに除名処分が下された。連日ワイドショーにも取り上げられた“山根問題”から3年。日本連盟はどのようにして今の環境をつくり上げてきたのか。

 当時、組織改革のため、多数のメディアに出演するなど奔走してきた菊池氏は、新体制の副会長に就任。問題が山積みだった当初を振り返った。

「もうどこから手を付けていいかわからない状態でした。みんなで失敗しながら変えてきたのが、いま形になってきたところです。具体的に変わったのは、日連(日本ボクシング連盟)や各都道府県連盟の役員の意識です。前体制は理事であることが『名誉』というだけであぐらをかき、責任を果たしていなかった。

 今は責任を果たさなければならないという意識が広がっています。大会の雰囲気も全く違うんですよ。選手や関係者がわざわざ日連に頭を下げに来るなんて全くない。これが本来の形だと思います」

 18年9月に新体制が発足後、引き継ぎ期間や人手不足も影響し、全ての役員が入れ替わったわけではない。前体制から残る人もいるため、日本連盟内で講習会を開いたり、役員としての行動規範などをまとめた動画を共有したり、前体制下のメンバーに理解を求めた。

菊池氏「人の心は変わりにくい。ここが一番大変でした。人の気持ちを変えるのも規定、規則を理解させていくことなので、いろいろなことをやりました」

 目指してきたのは、一般社団法人から「公益法人」になることだった。内閣府によって認定される公共の利益を目的とした団体のこと。税制上の優遇措置を受けることができ、信頼の証しでもあるため企業からスポンサーを受けやすい。競技の普及、発展には不可欠な活動資金。目標達成には、社会的信頼を得ることが何より大前提だった。ところが、これが最も大きな難題だった。

企業への挨拶回りも相手にされず、菊池氏「デメリットしかないですから(笑)」

菊池氏「最初は各企業に挨拶をして回りましたが、全く相手にされない状態でした。あの騒動の後だったので、企業にとってスポンサーになってもデメリットしかないですよね(笑)。印象が悪くなるだけ。(古くから関係が深い)用品メーカーの方々にはお付き合いしてもらっていましたが、それ以外は全くでした」

 かつてはトップダウンで全てが決まる無法地帯。組織内の様々な規定整備を進め、競技普及や選手育成も推し進めた。小さな活動もメディアに取り上げられ、少しずつイメージが変化。現在は5社ほどがサポートしてくれている。今大会、選手のインタビューエリアの背後には、各企業のロゴが入ったボードを設置。菊池氏は「以前はあれもなかったんですよ。どこもついていなかったから」と苦笑いする。

 内田会長も「官庁関係のご指導のもと、洗いざらい見せてやってきました。お金に関する部分がしっかりしていることが大事」と語る。地道な活動が徐々に実を結んでいく中、前体制の悪いイメージ払拭へ、最も大きな転機が訪れた。

 東京五輪で入江聖奈が金、並木月海と田中亮明が銅で3つのメダルを獲得。普段はボクシングを見ない人々も快挙に沸いた。

内田会長「ボクシングのイメージが変わったと思います。マイナスなイメージのある選手は一人もいない。それが凄くプラスに働きました。競技として痛い、血が出るとかはあるのですが、以前は昔ながらの悪いイメージが残っていました。それがかなり少なくなったと思います。オリンピック選手たちの影響は凄く大きかったです」

 一昔前の“ガラが悪い”という印象がついて回った。近年はプロでもクリーンな選手が活躍し、イメージが変化している。特に入江は明るく謙虚なキャラクターで人気を集め、テレビ番組に引っ張りだことなった。内田会長は「昔から良い子はたくさんいましたが、そこをようやくわかってもらえるようになった」と感謝する。

 10月の世界選手権では、岡澤セオン、坪井智也が同じ日に日本人初優勝の快挙を果たした。日本代表による世界大会の連続した活躍。これは実力者が偶然集まったからではない。練習内容とスポンサーの資金援助において、「選手ファースト」を貫く日本連盟の改革があった。

(30日掲載の後編に続く)(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)