名捕手・谷繁元信氏が語る「配球が難しかったバッター」@助っ人編 捕手として歴代最多の2963試合でマスクをかぶり、ゴール…
名捕手・谷繁元信氏が語る「配球が難しかったバッター」@助っ人編
捕手として歴代最多の2963試合でマスクをかぶり、ゴールデングラブ賞を6度受賞。1988年ドラフト1位で江の川高校から大洋(現DeNA)に入団した谷繁元信氏は、通算27年間の現役生活で強打者たちと数々の名勝負を演じてきた。
時に力勝負で押し切り、時に緻密な駆け引きで打ち取っていく。この場面では投手にどんな球を要求すれば目の前の打者を打ち取り、試合の勝利に一歩でも近づくことができるか......。そうした配球論に野球ファンが魅了されるのは、決して答えや方程式が存在しないからかもしれない。

ラミレスは日本球界13年間で通算2017安打を記録
谷繁氏が特に頭脳をフル回転させたのは、外国人スラッガーとの対戦だった。そのなかから「配球が難しかった外国人打者」を5人選んでもらうと、真っ先に挙がったのは、日本人以外で史上初めて名球会入りした右打者の名だ。
「まずはアレックス・ラミレス。バッティング技術もありましたしね。ラミレスは対ピッチャーというより、対キャッチャーという意識でくる。この場面ではこういうふうに攻めてくるだろうというボールを待って、確実に捉えてきました」
外国人打者として初めて名球会入りした男は、日本球界で輝かしい成績を残した。2001年からヤクルトでプレーし、巨人、DeNAを渡り歩いた13年間で首位打者1回、本塁打王2回、打点王4回、最多安打3回。2008年から2年続けてMVPに輝き、計2017本のヒットを積み重ねた。
「ラミレスは相手ピッチャーに、自分が打ちたいところに投げさせている」
現役時代に本塁打王を獲得し、西武のコーチとして清原和博や中島裕之(巨人)らを育てた土井正博氏がそう話していたことがある。実際、ラミレスは現役時代に頭のなかをこう明かしている。
「たとえば無死二塁なら、普通のバッターなら右方向を狙う。逆方向に打ったほうが、三塁にランナーを進める可能性が高いからね。ただ、自分は外角の球を狙って打つのではなく、内角の球を待つ。なぜなら、相手は外角に投げづらいからだ。外角の球なら、右方向に簡単に打ててしまうからね。だから、あえてインサイドの球を待つ。
それとよく使う手は、初球を見逃すことだ。初球にカーブが来たら、次はおそらく違う球種がくる。日本のピッチャーは、同じ球種を連続で投げるのはあまり好きではないからね」
こうした思考こそ、谷繁氏に「ピッチャーというより、対キャッチャー」と言わしめる部分だろう。
谷繁氏が「配球が難しかった」と感じた5人の外国人打者には、共通点がある。「技術があって、ピッチャーだけでなくキャッチャーのことも考えて打席に入っている」ことだ。
ラミレスに続いて挙がったのは、トーマス・オマリー(元ヤクルト、阪神)、ロバート・ローズ(元横浜、ロッテ)、アレックス・カブレラ(元西武、オリックス、ソフトバンク)、ウラディミール・バレンティン(元ヤクルト、ソフトバンク)。
「日本の野球に順応できた選手の代表格ですね。彼らの特徴は、引っ張るだけではなく、広角に打てること。日本の野球の経験が増えるごとに、自分の攻められ方、相手のキャッチャーとピッチャーの特徴を常に頭に入れてバッターボックスに入ってきた選手たちです。なおかつ、それが結果として現れた」
「ハンシンファンワ、イチバンヤァー!」とヒーローインタビューで甲子園を沸かせたオマリーは、1991年に来日し、阪神とヤクルトで計6年間プレーした。1992年から4年続けて最高出塁率を記録、1993年に打率.329で首位打者に輝き、通算打率.315を残している。
「バットコントロールがうまくて、ストライクゾーンのなかならどのコースでも芯に当ててくるようなイメージがすごく強かったですね。実際、そういうバッティングが多かった」
手強い外国人スラッガーを打席に迎えた際、谷繁氏が考えたのは、いかにして詰まらせるか、あるいはタイミングをずらしてゴロを引っかけさせるか、ということだった。特にオマリーにはその傾向が強かったという。
「引っかけさせてセカンドゴロか、ショートゴロを打たせる。だから、基本は低めの曲がり球です。右ピッチャーならシュートやフォーク、左ピッチャーだったら外に逃げるスライダー。手を出させながら、凡打に打ち取りたい。でも、打率3割を超えるバッターは、ボール球にはなかなか手を出してくれないんですよ」
現代野球では、ストレートと見せかけてカットボールやツーシームを織り交ぜながらピッチトンネルを形成するという手も増えているが、谷繁氏の現役時代は手もとで動くファストボールを投げる投手はそれほどおらず、配球にも工夫が必要だったと振り返る。
「ここは打ちにきそうだなという時に、左ピッチャーが普通なら真っすぐで入りそうなところで、スライダーで引っかけさせる。1ボールからカウントを取りに来る球を打ちにきた時に、スライダーを投げさせて引っかけさせる。右ピッチャーだったら、セオリーではストレートという状況の時、シュートを投げさせてゴロを打たせる。いろんな方法を使っていましたね」
「横浜史上最高の外国人選手」とも評されたローズは1993年に来日し、日本での8年間で打率.325を記録。1999年には首位打者、打点王の二冠に輝いた。谷繁氏にとって心強いチームメイトだった一方、その打棒を捕手目線で見ながら、「穴が少ない」と感じていた。
「チャンスでは詰まってもヒット、バットの先っちょで打っても野手の間を抜けるヒットを打てる。いい当たりではなくてもヒットにできる技術を持っていました」
弱点が少なく、少しでも甘い球になれば長打の危険性が高まる。谷繁氏が名前を挙げた5人は、いずれも打率を残せて本塁打も狙えるスラッガーだ。捕手にとって厄介だったのは、一発長打があるからだろうか。
「いや、彼らはチャンスの場面で、高い確率でヒットゾーンに飛ばす技術を持っていたのが一番嫌でした。別にホームランではないんです。彼らは高い確率でヒットを打てるように、配球を読んでくる。
余計な球には手を出してきません。ボール球で誘っても、その球には見向きもしない。それでも、こっちとしては手を出させるように仕向けていかないといけない。そういうしのぎ合いでしたね」
メットライフドームで推定飛距離180メートル弾を放ったカブレラは、2002年に当時の日本タイ記録となる55本塁打をマークするなど怪力を発揮した。見逃せないのは、日本での12年間で357本塁打をマークした一方、打率.303を残していることだ。
「カブレラはどの方向にもホームランを打てて、軽打もできる。めちゃくちゃ振っているように見えるかもしれないけど、バットコントロールもできるところにすごさがありましたね」
来日1年目から3年連続本塁打王に輝いたバレンティンにも、カブレラと同じ特徴があった。
「日本に来て最初の頃は低めのボール球をよく振ってくれたり、インサイドを詰まってくれたりしていたけど、1、2年経って、配球もかなり読んで打つようになりました。もともとスイングが速かったところに、軽打もやり始めてから打率も上がってきて、厄介なバッターになってきました」
年間60本塁打で日本新記録を樹立した来日3年目にはリーグ2位の打率.330で、いずれも同トップの出塁率.455、OPS1.234を残した。2018年には打点王を獲得するなど、勝負強さも光る打者だった。
谷繁氏が名前を挙げた5人には、配球を読む力に加え、「バットが内から出てきて、広角に打てる技術持っていた」という共通項がある。頭と技を併せ持つから、捕手として苦労させられた。
たとえば打者を「上・中・下」にランク分けした場合、「中」なら3通りの考えで抑えられるのが、「上」の打者には「5も6も7通りもいる」。どうやって抑えようかと頭を悩まされた一方、それこそがマスクをかぶる醍醐味だったと言う。
「キャッチャーが考えるということは、イコール、成長につながります。この5人のほかにも元広島のアンディ・シーツや元ドラゴンズのアロンゾ・パウエルなど、手強かったバッターはいっぱいいます。トップクラスのバッターを抑えるためにいろんなことを考えて、僕も彼らに成長させてもらいました」
蓄積されたデータと独自の感性をもとに、瞬時に判断力、決断力を発揮する。そのうちに洞察力が磨かれ、たとえ打たれても次の打席ではなんとか打ち取ろうと、再び勝負に臨む。何度も対戦を繰り返すプロ野球だからこそ、打者対バッテリーによる駆け引きの妙も生まれていく。
そうした配球論にはプロ野球の醍醐味が凝縮されているからこそ、ファンは魅了されるのだろう。