柔道・高藤直寿は従来のスタイルを変えて東京五輪で金メダルを獲得した 東京五輪で柔道の先陣をきって登場し、男子60キロ級で金メダルを獲得した高藤直寿。 リオ五輪で銅メダルの悔しさをぶつけた勝利は、あとに続く日本柔道陣に勢いをつけ、東京五輪を盛…



柔道・高藤直寿は従来のスタイルを変えて東京五輪で金メダルを獲得した

 東京五輪で柔道の先陣をきって登場し、男子60キロ級で金メダルを獲得した高藤直寿。

 リオ五輪で銅メダルの悔しさをぶつけた勝利は、あとに続く日本柔道陣に勢いをつけ、東京五輪を盛り上げる導火線にもなった。あれから数か月、スーツ姿の高藤は一回り大きくなったように見える。

「体が太ってしまって、この数か月で脂肪をつけてしまいました(笑)」

 東京五輪の時は、60キロだったが、その後、休養をしながらメディアの露出や自分の時間を大切にするなかで9キロほど体重が増えた。

「もう、そろそろ体を戻したいなって思っています(苦笑)」

 そう言いながらもその表情はとても充実しているように見えた。

「リオ五輪の時は金メダルを獲ると言って獲れずに終わって、ただの嘘つきとして5年間生きてきたので、今回、有言実行で獲れてよかったです」

 そう笑顔を見せるが、東京五輪では、過去の高藤とはまったく異なる柔道のスタイルで勝ち上がり、金メダルを獲得した。一般的に柔道の選手は自分の得意技で勝負し、一本勝ちにこだわる傾向が強い。高藤も、以前はそのイメージが強く、実際に投げて勝ち、多彩な技を持つことから「天才」とも呼ばれた。だが、東京五輪では、そのスタイルを封印した。

「リオ五輪の時は、投げる技をいくつも持っていて、全方向に1本とれる選手だと言われていました。1本をとる柔道はすばらしいですし、みんなが目指すところですが、五輪では勝つことが一番大切なんです。リオでそれがよくわかったので、東京五輪では勝つために指導のとり方とか、試合時間の使い方とか、何もしないで勝つ方法を磨いてきました」

 何もしないで勝つ──。

 まるで「孫子の兵法」のようだが、ある意味、それは最強だ。だが、「高藤は豪快な技で勝つ」「高藤は見たことがない技で勝つ」と言われ、技のデパートのような選手だ。そういう選手が技を出さずに勝つというのだ。子どもの頃から磨いてきた独自のスタイルを変えることについて、抵抗はなかったのだろうか。

「トップ選手はこだわりがあるので、スタイルを変えるのは簡単ではないですけど、僕は以前、(ルールで)足取りが禁止になって、そこで一度、自分の柔道を大きく変えた経験があるので抵抗はなかったです。技を出さないで勝つためには、トレーニングはもちろん、我慢するというメンタル面から強化していく必要があるんですけど、それは1年や2年ではできない。4年間で考えて、プラス1年で磨き上げてきましたが、僕はこのスタイルに変えたことで勝率が上がってきたので変化を楽しめました」

 得意技は相手も当然研究してきている。それでも強引にいけば返されたり、隙を狙われたりして負けてしまう場合もある。高藤は、五輪で勝つためにリスクを排除し、「勝利の方程式」のようなものを作り上げてきた。

「投げて勝つのは気持ちいいですし、ゴールデンスコアになれば早く終わらせたいから投げたくなるんですよ。でも、そこで我慢する。自分で考えて攻略本を作り、そのとおりに機械的に動かすというのを意識していました。ゲームの攻略本と同じで、手順を間違えなければ勝てるんです」

 金メダルの攻略本は、東海大相模中時代からの先輩で、現在の付き人と一緒に考えた。その柔道を東京五輪の本番の舞台で貫きとおした。ツイッターでは、「高藤、投げろよ」「おい、もう終わったのか」等々の声が上がった。

「今回は、指導の累積とか、柔道をあまり見ない人からすると、なんかよくわからない勝ち方のように見えたと思います。だから、いろんな声が上がったのだと思いますが、僕のなかでは計算どおりに進んだ1日だったんです。これがリオ五輪から磨いてきたものだったんです」

 決勝戦のあと、高藤は「これが僕の柔道です」と語ったが、それが5年かけて作り上げきた「何もしないで勝つ」というスタイルであり、攻略本の手順を踏んだ勝利だった。

 テレビでは、泣きながら井上康生・男子日本代表監督と抱き合うシーンが非常に印象的だった。後日、井上監督に、こう言われたという。

「今まで見てきたなかで、あの日の直寿が一番強かった」

 高藤はこの言葉の意味を、自分なりに解釈した。

「井上先生は、負けないという戦いができていたことを評価してくださったんです。改めて僕の柔道をよく見てくれていたんだなって思いました」

 高校時代からよく知り、大学時代は井上ゼミを受講していた。7年前には遅刻のしすぎで井上監督を坊主にさせてしまったが、それ以降、心を入れ替えた。寝る時間は思いつきで、食べるものも気にしなかったが、徐々に規則正しい生活をおくるようになり、心身共に成長した高藤を最後まで見守ってくれた。

「これまでずっと一緒に戦ってくれましたし、金メダルでお返しできたのはよかったです」 

 高藤は、安堵した表情で、そう言った。

 自宅の居間には、リオ五輪の銅メダルとともに東京五輪の金メダルが並べて飾られている。この金メダルを一番喜んだのは、息子だった。いつもは試合会場に来ても試合は見ずに走り回っていたが、東京五輪の時はテレビの前でじっと見ていたという。

「家に帰って、実際に見せると『おーテレビで見たやつだ』って、すごく喜んでいました(笑)。生まれた時から家にはいろんなメダルがある環境だったので、ふだんはメダルを獲ってきても『すごい』ということはなかったんですけど、東京五輪の時は、僕が大切に持っているところを見て、五輪のメダルはいつもと違うなというのを感じたんでしょうね」

 妻に対しては、感謝の気持ちが大きかった。

「妻がほぼワンオペ(育児を)してくれていたおかげで僕は柔道に集中できていたので、本当に頭が上がりません。僕が大学生の時に結婚し、若かったこともあり当時は迷惑をかけました。それでも妻は、柔道経験者なのでプレッシャーがかかるところは理解してくれるし、背中を押してくれる。一緒に柔道の試合を見て、審判のジャッジや技など技術的な話も理解できるので、妻といると本当にリラックスできるんです。なので、今度こそ金メダルを獲りたいと思いましたし、実際に獲ることができて妻もすごく喜んでくれました」

 高藤はちょっと照れ臭そうに、そう言った。

 通常の五輪のあとは、柔道の選手は1年ほどゆっくりしながら柔道とつき合っていくが、次のパリ五輪までは3年しかない。東京五輪後は、テレビのバラエティー番組を始め多くのメディアに露出し、個人の自由な時間は「フォートナイト」というゲームを楽しみ、ゲーム実況をYouTubeで配信するなど活動の場を広げた。短いバケーションはそろそろ終わりを迎え、これから徐々に体重を絞りつつ、本格的な練習に入っていく。

「まだ、もうちょっと余韻に浸りたいですけどね。でも、今回はパリまで3年しかないので、もう練習しないとなという感じです(笑)」

 たぶん、数か月後には、ぴちぴちしたスーツにも余裕が出てくるだろう。

 パリ五輪では、欧州の選手が強みを発揮してくると予想される。とりわけ開催国のフランスは柔道が人気で、非常に強く、東京五輪の混合団体決勝では日本を破って金メダルを獲得した。

「僕は混合団体に出ていなかったんですけど、すごく悔しかった。次はパリなので、フランスをぼっこぼこにしてやろうという気持ちになりました(笑)。フランスは強いですけど、僕はグランドスラム・パリで4回優勝しているほどパリとの相性がよく、むしろやりやすい。盛り上がりも他国とは全然違って熱いので、それを五輪の舞台で味わえたら最高ですね」

 フランスは柔道を含め、格闘技を見る目が肥えている。自国の選手の応援はもちろん、海外の選手が自国の選手を倒してもいい技が出ると盛り上がり、賞賛してくれる。

 そのパリを熱くさせるためには、高藤らしい勝利が求められる。

「東京五輪までのスタイルを変えて進化していかないと、すぐに分析されて対応されるのでパリまで生き残れない。3年後の完成形を目指すと周囲がその先にいく可能性があるので、その都度、自分の柔道を変えていって出来上がったものが完成形になると思います。ただ、パリでは投げて勝ちたいという気持ちがあるので、攻略本に少し投げをとり入れていきたいですね」

 東京五輪では勝つことに徹し、「何もしないで勝つ」というスタイルで金メダルを勝ち獲った。同じことを繰り返して勝てるほど世界は甘くなく、柔道家としての矜持もある。

 高藤といえば、「豪快に投げて勝つ」なのだ。

 次のパリ五輪では自分本来の投げの要素を取り入れて進化させていく。その取り組みは、メダル獲得同様に価値のあるトライになる。

「3年間、無敗で連覇したいですね。その権利があるのが今回の金メダリストだけなので」

 パリでは、どんな新しい柔道のスタイルを見せてくれるだろうか。世界は間違いなく注目するだろうし、SNSをまたざわつかせそうだ。「高藤、また変わった!」と──。