11月13日のことだった。「2位ノルウェーがホームでラトビアと00で引き分けて、勝ち点を落とした」という知らせを受けて…

 11月13日のことだった。「2位ノルウェーがホームでラトビアと0−0で引き分けて、勝ち点を落とした」という知らせを受けて、オランダは敵地でモンテネグロ戦に挑んだ。

「これは大きなプレゼントだ」

 ルイ・ファン・ハール監督はほくそ笑んだ。モンテネグロに勝てば、オランダは2大会ぶりにワールドカップ出場権を得ることができるのだ。



オランダ代表をカタールW杯出場へと導いたファン・ハール監督

 決して試合内容はよくなかったものの、オランダは25分と54分にFWメンフィス・デパイ(バルセロナ)がゴールを決めて2−0とリードした。モンテネグロとの実力差を考えれば、「オランダの勝利=カタール・ワールドカップ行き」は堅いものと思われた。

 インサイドMFジョルジニオ・ワイナルドゥム(パリ・サンジェルマン)が風邪を引いて不調だったこともあり、ファン・ハール監督は66分、MFトゥーン・コープマイナース(アタランタ)を投入。中盤の底をMFフレンキー・デ・ヨング(バルセロナ)と2枚にして、「このまま試合を終わらせろ」というメッセージを送ったつもりだった。

 しかし、ピッチのなかでは「3点目をとって止めを刺したい」という攻撃陣と、「このままのスコアで終わらせたい」という守備陣の間で意志の分断が起こっていた。さらに、デ・ヨングが負傷して78分にMFライアン・フラーフェンベルフ(アヤックス)と交代せざるを得ない事態に陥った。

 82分、モンテネグロが1点を返して息を吹き返した。この時、世界的CBフィルジル・ファン・ダイク(リバプール)がもう少し鋭くボールホルダーに詰めて、相手のカウンターを限定すべきように見えた。だが、本人の弁によると「味方のセントラルMFがいるべき場所にいなかった」ということで、敵へのチェックが緩慢になってしまった。

 さらに86分、ベテランDFデイリー・ブリント(アヤックス)のお粗末な守備もあってオランダは失点。結果、モンテネグロに2−2で引き分けてしまった。オランダにとっては「魔の10分間」だった。

 モンテネグロに引き分けたとはいえ、まだオランダはワールドカップ欧州予選F組の首位。それでも、まずい試合運びで勝ち点を失ったことに、選手たちは大きなショックを受けた。

 また、ファン・ハール自身も交代策が裏目に出たことや、遠征に帯同させたMFマルテン・デ・ローン(アタランタ)をメンバーに入れなかったために中盤の守備固めで起用できなかったことなどによって批判を受けた。

 11月16日に行なわれたF組最終節は、首位オランダと2位ノルウェーの直接対決が組まれていた。首位オランダにとっては、ノルウェーに引き分ければいい。

 しかし、ノルウェーは3日前、オランダがモンテネグロに2−0とした時点で一度死んだ身である。それが突如、「オランダに勝てばワールドカップ出場」というところまで蘇った。「流れはノルウェーにあり」というネガティブな見立てがオランダ国内に漂った。

 ファン・ハールにとって、今回が3期目のオランダ代表監督だ。1期目は2002年ワールドカップ予選で敗退した。

 ポルトガル相手に2点リードしながら、さらに3点目を狙う攻撃策をとった挙げ句、2−2の引き分けに終わってしまったこと。アイルランド相手に先発のパトリック・クライファルト、ルート・ファン・ニステルローイに加え、ピエール・ファン・ホーイドンクとジミー・フロイド・ハッセルバインクを入れて4人ものセンターFWを並べたものの0−1で負けたこと。このふたつの試合は今もなお、オランダで語り草である。

 攻撃策こそとらなかったものの、モンテネグロに2点のリードを守りきれず2−2に終わったことは、20年前のポルトガル対オランダを想起させた。

「もしかしたら、今度のオランダ対ノルウェーは20年前のアイルランド対オランダのような結果に終わるのでは!?」

 現地では不吉な声もあった。何よりファン・ハール自身、当時のことが頭をよぎったという。

「とはいえ、今回は同じようなことにはならないだろう」(ノルウェー戦前日のファン・ハール監督)

 この自信はハッタリではなく、根拠があった。ファン・ハールはモンテネグロ戦後のネガティブな雰囲気を、翌日のミーティングと練習でポジティブなものに変えていた。ミーティングではモンテネグロ戦のラスト10分に絞って分析した。

「我々の目指すサッカーは『トータル・プレッシング(試合を通じてハイプレッシングをかける戦術)』だが、モンテネグロ戦のようにチームの調子が悪い時には『相手を挑発するプレッシング(カウンターのスペースを予め作っておくプレッシング戦術)』を用いないといけない。今度の試合は、ノルウェーは勝つためにゴールをどうしてもとらないといけない。ならば『相手を挑発するプレッシング』も使い分けないといけない」

 試合翌日の練習は、モンテネグロ戦の控え選手と途中出場選手による紅白戦だった。現地の報道では、ファン・ハールが「ファンタスティック、マタイス(デ・リヒト)!」「いいぞ、よくやったスティーブン・ベルフワイン!」「やあああ、すばらしいぃぃ!」といった掛け声が飛んだという。

 私には、その声が脳内で再生できる。というのも、ファン・ハールの大げさに選手を褒める声がけは、彼の指導法の真骨頂だからだ。一方、猛烈に雷を落とすことも、彼はすることができたはずだ。

「ハードなアプローチをするか、ソフトなアプローチをするか、私は考えた。モンテネグロ戦のショックが選手にとって大きすぎたこと。そして、ノルウェー戦まで時間がないことから、私はソフトなアプローチを選んだ」

 この練習によって、チーム全体にエネルギーがみなぎったという。

 ところが、練習場からホテルまで自転車で戻った時、ファン・ハールは転がってしまい、腰にある小転子という骨を折ってしまった。試合前日の練習はカートに乗って行ない、試合当日はベンチに入らず車椅子に乗って、スタンドから携帯電話でフレーザーコーチに指示を授けることになった。

 ノルウェー戦を中継するNOS局との試合前日インタビューで、ファン・ハールは珍しく眼に涙をためてこう語った。

「折れた骨が筋肉とつながっていて、ちょっとした動きをするだけ本当に痛いんだ。だけど、選手やスタッフたちが私に残って指揮をとってほしいというんだ。だから、私は指揮をとる。ポジティブさが戻った。私は感傷的になっている」

 11月16日、いよいよノルウェーとの決戦の時が来た。勝たなければいけないノルウェーだったが、全員が自陣に引いてしまって攻めてこない。なんと、ノルウェーのシュートは前半ゼロだった。

 しかし、これがオランダへの罠の可能性は大きい。オランダがトルコを6−1で葬り去った時(9月7日)のような「トータル・プレッシング」を実行し、フィールドプレーヤーが全員ノルウェー陣内に入ったら手痛い目にあうだろう。オランダはボール保持率を高めながらも、あらかじめボールを失った時のことを勘案して守備に人を余らせていた。

 こうして試合はオランダとノルウェーがにらみ合うような展開となる。SNSでは「眠くなりそうだ」という声があがり、テレビ解説の元オランダ代表MFラファエル・ファン・デル・ファールトはハーフタイムに「奇妙なゲーム」と不満げに話していた。

 だが、組織が機能不全に陥ったモンテネグロ戦と比べると、間違いなくオランダはひとりひとりの選手がチームのために戦っていた。たとえばCBのデ・リヒトが敵陣深くまで相手のセンターFWを追いかけたら、MFのデ・ヨングとワイナルドゥムが最終ラインに降りて5バックを形成していた。

 後半もノルウェーは攻めあぐみ、ロングスローから一度チャンスを作っただけだった。我慢を重ねたオランダは84分、モンテネグロ戦で批判を浴びたプリントのボール奪取からショートカウンターを仕掛け、右ウイングのベルフワインが強烈なシュートを突き刺して先制した。

 さらにアディショナルタイムには、ベルフワインが長駆ドリブルからゴールキーパーと1対1になり、最後はフリーのデパイにシュートを譲って2−0。カタール行きを決定づけた。

「モンテネグロ戦と比べると、今日のオランダはずっとコンパクトだった」と満足そうにファン・ハール監督は語った。

「それにしても、ゴールが決まっても今日のあなたはクールでしたね?」と、オランダ人記者が訊いた。試合中、鉄仮面のようだったファン・ハールは「ほんのちょっと動くだけで、私は痛いんだ」と弱ったような顔をして答えた。

「終わりよければ、すべてよし」

 それが試合翌朝の全国紙『アルヘメーン・ダッハブラット』の見出しだった。

 3月の予選初戦ではトルコに2−4で惨敗した。ユーロではベスト16で不甲斐なく敗退し、フランク・デ・ブール監督が代表を去った。それから国民の総意を受けて、ファン・ハールの3期目が始まった。

 トルコとのリターンマッチを6−1で勝利したことで潮の流れが変わったと思いきや、モンテネグロ戦の「魔の10分」があった。しかし、70歳のファン・ハールには、孫のような選手たちに鋭気を取り戻すパワーとカリスマがまだ備わっている。こうして迎えたノルウェー戦で、オランダは「歓喜の10分」を迎えて2点を奪った。

 来年11月の本大会ではどうだろう。ファン・ハールの代表1期目は失敗した。しかし、2期目のブラジルワールドカップでは5バックと4バックを併用して3位になった。3期目の今回、予選ではオランダ伝統の4−3−3を採用したが、本番では5バック採用の可能性をファン・ハールはほのめかしている。