競泳・瀬戸大也(TEAM DAIYA)への風向きが変わりつつある。東京五輪後初の国内大会では3冠奪取など強さを見せつけた。24年パリ五輪でのメダル獲得が期待され応援風潮も生まれつつある。幼少期から瀬戸の身体をメンテナンスし成長を見てきた石岡…
競泳・瀬戸大也(TEAM DAIYA)への風向きが変わりつつある。
東京五輪後初の国内大会では3冠奪取など強さを見せつけた。24年パリ五輪でのメダル獲得が期待され応援風潮も生まれつつある。
幼少期から瀬戸の身体をメンテナンスし成長を見てきた石岡知治氏が率直な思いを語ってくれた。
「海外の練習レベルの高さを感じた。いろんなことを吸収したい」(瀬戸/10月17日付・日刊スポーツ)
10月16日からの日本短水路選手権、瀬戸は五輪後初の国内大会に臨み100M、世界記録(3分54秒81)を持つ400M、そして200Mの個人メドレー3冠を達成した。他を寄せ付けない強さと存在感を発揮した大会後、練習拠点を米国に置く可能性を語った。
「しばらく海外でやるのも良いかもしれない。国内は東京五輪前後のことをまだ言う人もいるから雑音も多い。オンとオフの切り替えによって競技への集中度合いが高まるタイプ。水泳に一番、集中できる環境でやるべき」(石岡氏/10月13日)
瀬戸が公の場でコメントする前に石岡氏は私見を述べてくれていた。事前に瀬戸本人から聞いていたわけではない。予言のようだったので驚いたが、自身がアイスホッケー選手として世界で戦った経験があり瀬戸の置かれた状況を熟知しているからこその発言だったのだろう。
~栃木の怪物スイマー(萩野公介)に勝てるように必死にやっていた。
北海道出身、アイスホッケーではU-18、U-20 等の日本代表でプレーし名門・西武鉄道(現在は廃部)入団。引退後は柔道整復師の国家資格を習得する傍らインラインホッケー日本代表監督兼プレーヤーとして世界大会出場を果たしている。97年に瀬戸の地元である埼玉県入間郡毛呂山町で、いしおか整骨院を開院。国家資格を取得して施術を行う元アスリートのパイオニア的存在として知られている。瀬戸家とも家族ぐるみの付き合いが生まれ子供の頃から成長を見守ってきた。
「小学校3年くらいの時から知っている。『栃木には怪物(萩野公介)がいて、そいつにはまだ勝てない』と必死にやっていた。身体のメンテナンスを通して知り合ったが、僕自身がアイスホッケーをやっていたこともあって気持ちが通じるものを感じた。当時からいろいろと質問してきた。とにかく練習熱心な部分は昔から変わらない。アイスホッケー関連の人たちも五輪前のダイヤが追い込んでいる練習映像を見て『うちの選手もあれくらいやれば変わるのに』と言ってくれたほどです」
『栃木の萩野、埼玉の瀬戸』として幼いころから競ってきた。東京五輪の200M個人メドレーではともに決勝進出を果たし瀬戸4位、萩野6位。9歳の初対決から18年に渡った戦いの終わりだった。東京五輪において世間が瀬戸を美談的に扱ったのは、この時だけだった。
~ダイヤを悪者にし過ぎている風潮には疑問がある。
石岡氏は世間の瀬戸バッシングに利用された1人だった。
「健闘した瀬戸選手の知られざるエピソード、人間味あるおもしろい話がありますか?」
五輪中の水泳競技終了直後、某女性誌の取材を受けた。世間的には瀬戸の女性問題がワイドショー等で報道されている時期だったが、1人のアスリートとして接してきた瀬戸大也について語った。しかし衝撃的な表現部分のみ切り取られ女性問題を連想させるような文章構成がされた。スキャンダラスな内容が誌面を飾り、知人などから心配や問い合わせが多数寄せられる騒ぎとなった。
「ダイヤは天真爛漫で好奇心旺盛。水泳が伸びたのもそういった部分が大きな要因でもある。また他競技にも興味を持つので野球で侍ジャパンがWBC世界一になった時は『野球をやりたい』と言う。冬季五輪のスノーボードに感動して『俺もボードやる』と口にする。純粋な子供のような奴なんです。そのエピソードが『他の競技に目移りするような性格が水泳に集中できず結果が出せなかった原因。他の女性に目移りするのも同様』との趣旨に書き換えられた」
「取材は電話取材で15-20分くらい話しただけ。僕も甘かったかもしれないですが、あんな形で書かれるなんて信じられない。話の前後を省いて好きなように書いている。僕の実名はもちろんネット上から探してきた写真まで無断掲載した。すぐにダイヤに事情説明のメールをしたら『僕より先生は大丈夫?』と逆に気遣ってくれた。申し訳ない気持ちと共に、そういうことを平気でする出版社に怒りしかない」
掲載出版社に対して厳重抗議をした。丁重な謝罪と事後対応の提案はあったが石岡氏は固辞する。ネット上掲載分の記事は削除されたが、雑誌として市場に出回っているものに関しては手の打ちようがない。瀬戸を貶めた形になり整骨院としての信用にも傷がついた。石岡氏本人までネット上でバッシングに晒された。直後はパニックになり、その後は抑えようのない怒りが湧いてきた。
「女性問題に関して言えば良くないし、身内的な感覚として『何やってんだよ』と思う。『日本代表は公人だから謝罪しろ』という人の気持ちもわかる。でも一方では最も迷惑、心配をかけた奥さんや家族に謝れば良い話だとも思う。またサポートしている人やスポンサーに対しての謝罪は当然、必要。とにかく練習環境も含めダイヤが水泳に集中できるようになって欲しい」
「五輪の時も400m個人メドレー後のインタビューで『ニヤニヤしている』と批判が集まった。国を背負った戦い、最も自信があった種目で痛恨のミスを犯した。誰よりも重く受け止めていたのはダイヤ自身。あの時は頭が真っ白で取材者の言葉も頭に入ってなかったはず。苦笑いを浮かべてしまう状況になるのは心理学的にも自分を守るための反射的反応として実証されていること。メディアにはそういう状況ということまで伝えて欲しかった。すべてにおいてダイヤへの風当たりが強過ぎると感じる部分もあった」
大事な時期に女性問題を起こしてしまったのは軽率だった。しかし世間に報道されている中には脚色されたものも多かったという。東京五輪という日本中が注目する大イベントを迎えるにあたってマイナス要素がすべて揃ってしまった形だった。
~競泳選手としての実力は高く五輪でのメダル獲得の可能性は大きい。
瀬戸は歩みを止めない。9月30日からイタリア・ナポリで開催された短水路のチーム対抗戦ISLでは200Mバタフライと400M個人メドレーを制し2度のMVP獲得。所属「東京フロッグキングス」(北島康介GM)が敗退した中での獲得だったことも大きな価値がある。また同大会でのMVP獲得者は過去の五輪メダリストのみで複数回獲得は瀬戸だけだった。それでも「(400M個人メドレーは)3分58秒台を目指していた」とコメントするなど目指すべき場所はもっと先だ。
「競泳選手としての評価が世界的に高いのは変わらない。海外からのオファーが止まないのは、ダイヤが参加することで大会自体のレベルが上がるから。例えば東京五輪後に参加したISL(国際リーグ)は新しい大会なので、ダイヤにはぜひ参加して欲しいと熱心なオファーがあった。東京五輪はマイナス要素ばかりが揃ってしまい結果は出せなかった。でもスイマーとしては可能性を十二分に秘めていると思います」
「パリ五輪でメダル獲得の可能性はあると信じます。リオに続き東京でも金メダルを逃した。絶望感もあっただろうが、それでも前を向き泳いでいる。メダル獲得への思いは今まで以上に熱く、今度こそ叶うはずです。(瀬戸がメダルを獲って同じ雑誌が取材を申し込んできたら?)絶対に受けません。何を書かれるかわからないですから」
東京での雪辱をパリで晴らす。24年には今度は国中が瀬戸を称えている光景が目に浮かぶ。石岡氏の強い口ぶりから瀬戸は本当にやるんじゃないかと感じさせられる。
日本短水路選手権を挟み、10月21日からのワールドカップ(カタール・ドーハ)ではFINA(国際水連)招待で日本から唯一参加。200M平泳ぎ、200Mバタフライ、100Mと400Mの個人メドレーの4冠達成を果たした。12月には400M個人メドレーでの大会5連覇がかかる世界短水路選手権(UAE・アブダビ)が控える。
どん底のさらに下から這い上がり頂点に辿り着く。今どき映画でもないようなベタな『ヒーロー物語』がリアルな競泳競技の世界で見られるかもしれない。同じ過ちを繰り返さない。瀬戸が水の中だけに集中して本来のパフォーマンスを出せることを願っている。
(取材/文・山岡則夫、写真提供・石岡知治氏)