連載「元世界王者のボクシング解体新書」: 競技の性質上、バッティングはよくある ボクシングの元WBC世界ライトフライ級チャンピオンである木村悠氏が、ボクサー視点から競技の魅力や奥深さを伝える連載をスタート。2回目となる今回は、9月に行われた…

連載「元世界王者のボクシング解体新書」: 競技の性質上、バッティングはよくある

 ボクシングの元WBC世界ライトフライ級チャンピオンである木村悠氏が、ボクサー視点から競技の魅力や奥深さを伝える連載をスタート。2回目となる今回は、9月に行われたWBC世界ライトフライ級タイトルマッチで起こった“バッティング騒動”について、元ボクサーとしての自身の経験と見解を示している。

   ◇   ◇   ◇

 ボクシングの前WBC世界ライトフライ級王者・寺地拳四朗(BMB)陣営は8日、王座陥落となった9月22日の矢吹正道(緑)との世界戦の裁定を巡り、日本ボクシングコミッション(JBC)に質問状を送ったものの、その回答に不満を表明した。陣営側は9ラウンドで拳四朗が右目上を切って流血したが、直前に故意のバッティング(頭での相手への打撃)があったのではないかとして、JBCの見解を求めていた。

 9月に行われたこの試合は、絶対王者として君臨する拳四朗に、矢吹が挑戦者として初の世界戦に臨む注目の一戦だった。矢吹はこの階級では破格のパンチャーで、91%のKO率を誇る。

 前半は拳四朗も手数が少なく、矢吹が拳四朗の打ち終わりにパンチを合わせてペースを握り、途中採点は2-0で矢吹がリードした。ポイントを取られ焦りを見せた拳四朗は、距離を詰めてポイントを取りに行った。

 これまでの世界戦ではリードすることが多く、8戦全勝5KOと抜群の安定感を見せていた拳四朗。しかし、この日はリードを許し、追っていく展開となった。距離も詰まり、打ち合いが強い矢吹の間合いに引き込まれていく。8ラウンドではさらに点差が開き、3-0と矢吹にリードを許した。

 焦った拳四朗は、勝負をかけて前に出た。9ラウンド、問題とされるシーンが起きた。矢吹が飛び込みながら前に出た時、ヘッドバットのような形となり拳四朗がカット。レフェリーはパンチによるヒッティングの傷だと判断した。

 ヒッティングとしてのカットの場合、途中で試合が止まると拳四朗のTKO負けとなる。そのため拳四朗は次の10ラウンドに勝負をかけ、激しい打ち合いを仕掛けたが、逆に矢吹の返り討ちにあいTKO負けを喫した。

 ボクシングでは競技の性質上、バッティングはよくある。特に近い距離での打ち合い時では、前に出ようとすると両者の頭が当たってしまう。

 両者の頭が当たっても当てた方より当たった方がカットしやすく、特に目の上や額はカットしやすい。私も経験があるが、顎を引いた状態では切りにくく、逆に顎が上がった状態の時に頭が当たると切りやすい。ボクシングでのカットはパンチでのヒッティングもあるが、ほとんどの原因はバッティングだ。

拳四朗の絶妙な距離感を狂わせた矢吹の覚悟

 今回の試合では、ヒッティングとしてのカットと判断されたため、途中で試合が止まると拳四朗のTKO負けとなる。そのため、10ラウンドに勝負をかけたが、打ち合いではパンチ力のある矢吹が強い。普段の拳四朗であれば、この距離での打ち合いは選択しなかった。

 距離感が良い普段の拳四朗だったら、バッティングももらわなかっただろう。前に出ざるをえなくなったのは、ポイントをリードされていたからだ。

 試合後に矢吹に話を聞くことができたが、「頭が当たったのは分からなかった。飛び込まないと当たらないし、そこにいるとは思わなかった」と話していた。

 私は両者を取材したが、今回の試合は2人の覚悟の違いがあったように思う。8度の防衛を果たしてきた王者の拳四朗は、これまでの世界戦の経験から少なからず油断はあった。それに対して矢吹はこの一戦に人生を懸けており、拳四朗の動きを分析してプランを立てて戦略的に戦った。

 世界戦は選手にとって特別な舞台だ。その状況下では想定外のことも起こる。今回の試合では、矢吹の覚悟が拳四朗の絶妙な距離感を狂わせ、想定外の結果に繋がった。

 今後については、まだ正式には何も決まっていない。通常であれば矢吹は選択試合を行うことになる。しかし今回、拳四朗陣営の抗議が認められWBCからの再戦指令が出れば、ダイレクトリマッチもあり得る。矢吹は「条件次第で別に全然やってもいいかなということはあります。でも勝負は1回、負けたからもう1回やろうということはあまりないと思う」と話していた。

 進退を保留している拳四朗だが、試合から2か月近くが経ち、そろそろ発表もあるだろう。これまで8度の防衛を果たした王者が、ここで終わってしまうのは惜しい。拳四朗次第になるが、本人が望めば両者の再戦は必然だ。

 王者として戦うのとチャレンジャーとして戦うのでは大きく変わってくるため、もう一度戦えばまた違った展開になるだろう。

 試合前には拳四朗のコロナ感染で延期になる事態もあった。そしてバッティング騒動により、王者となった矢吹に批判も集まっている。皆が納得できるよう完全決着が見たい。(木村 悠 / Yu Kimura)