都内の会見で村田諒太VSゴロフキンを正式発表 ボクシングのWBA世界ミドル級スーパー王者・村田諒太(帝拳)が12日、都内で会見し、日本時間12月29日にさいたまスーパーアリーナでIBF世界同級王者ゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)と王座…

都内の会見で村田諒太VSゴロフキンを正式発表

 ボクシングのWBA世界ミドル級スーパー王者・村田諒太(帝拳)が12日、都内で会見し、日本時間12月29日にさいたまスーパーアリーナでIBF世界同級王者ゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)と王座統一戦を行うと正式発表した。2014年7月にスパーリングで対峙した両者。過去、村田は最強王者のパンチ力について「すね毛が逆立つような気持ち」と表現し、当時のエピソードを語っていた。衝撃を吹き飛ばし、ずっと対戦を熱望していた最強ボクサーを倒しにかかる。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

 18年5月。2週間ほど前にミドル級日本人初の防衛成功を果たした村田は、当時世界3団体統一王者だったゴロフキンについて語っていた。プロ1年目の14年7月に米国合宿でスパーを経験。大振りのフックを後頭部付近に受けた。その衝撃は忘れられない。

「すね毛が逆立つような気持ちになるくらい効いたんです。痺れるんですよ。“ザッ”と来て“ウォ”って。すね毛が逆立つ。ボクサーならわかるんじゃないですかね。足が痺れるというか。実際には逆立ってないですよ? でも、ザー!!って感じるんです。威力がありましたね」

「世界最強」の称号を欲しいままにしてきたゴロフキン。10年8月に初めて世界タイトルを獲得すると、19回も連続防衛(うち17戦連続KO)を果たした。数々の強敵を葬り去った獰猛なスタイルだけでなく、人柄やクリーンなファイトでも人気を博す。当時、まだ世界戦はほど遠かった村田は「こんな日本から来た自分にも真摯に接してくれた」と感激。同行した報道陣やスタッフにも気を使ってくれたという。

 スパーで拳を交えた時、王者としての器の大きさを感じていた。

「本当に彼は真摯。僕はプロデビューして1年目だったので、向こうからしたら倒してもしょうがない相手。打つ時もフックを腕とかに打ってくるんですよ。バーンって打ってきて。顔面に打ってパートナーを壊してもダメ。『練習はお互いのためにあるんだから』って。その打たれた腕がビックリするくらいの衝撃だった。あんな“肩パン”は受けたことがなかった(笑)。やっぱり衝撃的でしたね。強いし、かつクリーンな選手。だから彼とやりたい」

あれから7年、会見で最も語気を強めた瞬間とは「彼は事実上…」

 あれから7年。自身は2度世界王者になり、初防衛戦も2回クリアした。互いに変化があるのは当然だが、対峙したイメージについて「(当時を)アテにしているところもある。タイミングとか」と説明。これまでの試合もチェックしており「ジャブはやっぱり強いですし、その後のオーバーハンド気味に打ってくる右がある。そこから左フックの返しとか、最近は右アッパーも多用する。顔を下げてそのアッパーをもらわないとか、そういうことはしっかり対策しています」と明かした。

 39歳のゴロフキンは41勝(36KO)1敗1分け。最大のライバルとされていたのが、現在の世界4階級制覇王者で、スーパーミドル級の4団体統一を果たした「カネロ」ことサウル・アルバレス(メキシコ)だ。2人は2017年9月に引き分け、18年9月の再戦はゴロフキンの判定負けだった。プロ初黒星で長く君臨した世界王座から陥落したが、この2試合の間にカネロのドーピング疑惑が浮上したり、判定結果について「不可解」とする識者や海外メディアも多くいたりした。

 この日の会見。村田が最も語気を強めた瞬間がある。それは「戦績は1敗1分けとありますが、僕の中では勝っていた試合だと思う。事実上、負けたことのない選手だと思っている」という言葉だった。常々、「クリーンな選手とやりたい」と強調してきた日本人王者。「彼を倒して僕が最強だと証明したい」。ついに実現したビッグマッチ。過去の衝撃を吹き飛ばし、ベルトを奪いに行く。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)