長野五輪金メダリスト里谷多英インタビュー(後編)大学卒業後、里谷多英さんが就職したのはフジテレビだった。その前年、1998年長野五輪のフリースタイル・スキーモーグルで金メダルを獲得。本来、そういった選手であれば、競技環境のいい北海道や長野な…

長野五輪金メダリスト
里谷多英インタビュー(後編)

大学卒業後、里谷多英さんが就職したのはフジテレビだった。その前年、1998年長野五輪のフリースタイル・スキーモーグルで金メダルを獲得。本来、そういった選手であれば、競技環境のいい北海道や長野などの企業に就職するケースが多いが、彼女はテレビ局、しかも当時はスキー部のない企業を選んだ。それはなぜか? そして今、彼女はどんな仕事をしているのだろうか――。



現在の状況について語る里谷多英さん

――長野五輪で金メダルを獲得したあと、より競技に集中するためには就職先として他の選択肢もあったと思うのですが、フジテレビを選んだのはどうしてですか。

「当時の私にとって、長野五輪が最大の目標でした。その後は(競技生活を)やめようと思っていたんです。練習がきつかったのもあって、『もう自由になりたい』『練習に縛られない生活をしたい』と思っていたので、就職する際には(就職後も)スキーをすることを考えていませんでした。

 ちょうどその頃、フジテレビのドラマをよく見ていて、単純に(ドラマが)好きでした。就職するなら、自分が好きなものを作っているところに行きたいと思っていたし、好きなドラマ作りにも興味があって、そうした仕事に携われたらいいなと思いまして」

――入社時、志望の部署はあったのですか。

「ドラマ制作の部署を志望していました。実際、新人研修では制作現場にも行って、(現場の)緊張感がすごかったことを覚えています。特に印象的だったのは、ドラマ作りには多くの人たちが関わっていて、ちょっとした失敗でもそのすべての人たちに迷惑がかかってしまうということ。個人競技をやってきた私は、失敗しても自分だけがつらい思いをすればよかったのですが、それだけでは済まされない厳しさを知ったというか。

 それで、私に務まるか不安も感じたのですが、それでもドラマ制作の一部に関わった仕事をしたいと思っていました。でも結局、競技生活を続けていくことになって、そうした部署で働くのは難しく、人事部に配属されました」

――現役を引退したあとは新たな部署を志望したのでしょうか。

「現在の事業局で、イベントを行なう部署を志望しました。私に何ができるんだろうと考えた時、以前にスキーの大会やイベントに携わったことがあって、そうしたイベント関係の仕事がいいというか、やってみたいと思ったんです。でも実際は、スポーツ系よりも文化系のイベントがメインで、それまでとはまったく違う世界の仕事だったので、(配属された)当初はわからないことばかりでしたね。

 それでもやってこられたのは、周囲の方々が本当に優しくて。私はわからないことがあれば何でも聞いてしまうのですが、それに対して、先輩、後輩かかわらず、優しく丁寧に教えてくれました。仕事上必要なことがあれば、外部の知り合いにも躊躇なくお願いして、手助けしてもらってきました。それは、現役時代も同様で、ずっと人に頼ってきたような気がします(笑)」

――アスリートから本格的に会社員となって、社会生活ではいろいろと大変なことがあったと思うのですが、すぐに慣れることができたのでしょうか。

「やっぱり最初は大変でした。練習がつらいとか、成績が出ないと苦しかったり、アスリートにはアスリートなりの苦労がありますが、個人的にはそのほうがラクだったなと思いました。4年に一度の五輪を目指して、自らの技術や体のことだけを考えて、まさに自分本位でしたからね。すべて自分の責任で、ある意味では好き勝手に行動できたんですけど、会社員となれば、そうはいかないじゃないですか。多くの人と関わることになって、アスリート時代とは正反対の状況に置かれたので、慣れるまでは結構時間がかかりました」

――それでも、取引先や営業先などに赴いた際には、里谷さんの知名度が武器になったりしたのではないですか。

「営業先に訪問する際、最初に先輩の方と同行してご挨拶させていただくと、名刺を交換する時に『あれ?』と反応されることは確かに多いです。たとえば、相手方が何人かいて、年配の方が若い方に『おい、おまえ、知っているか?』みたいなことを言われたりすると、なんか恥ずかしくて......(苦笑)。

 でも、そうやってすぐに顔と名前を覚えてもらえるのは、すごくありがたいです。もちろん、最初にご挨拶をさせてもらって以降は、仕事の関係になっていくので、そこからは名前だけでは通用しませんが......。自分の力が試されるというか、きちんと仕事をしないと『フジテレビの里谷が』と言われてしまうので、そこは気をつけていかないといけないなと思っています」

――仕事がうまくいった時と競技で結果を出した時、達成感に違いなどはありますか。

「そこは少し似ているような気がします。営業でイベントのチケットを売る、協賛社を獲得する、というのは結果としてしっかり数字が出るので、いい数字が出た時はやっぱりうれしいですし、達成感があります。スキーでも結果が出たり、父に褒められたりするとすごくうれしかったんですが、今も仕事がうまくいって上司に褒められたりすると、本当に気分がいいです。それで、すぐに調子に乗ってしまうというか、もっと大きな仕事を決めたいと思ったりしますね(笑)」

――現在は、11月12日から開催される『アンチエイジングフェア2021バーチャル』に向けて、お忙しいとうかがいました。プロデューサーとして、さまざまな企業に出向き、協賛などをお願いして、フェア開催の仕事を先頭に立って推し進めてきた、と。こちらは、どういったイベントなのでしょうか。

「人生100年時代、見た目よりも体の内側から健康になって元気に生きていきましょう、というのがイベントの軸にあります。そこでは、機能性表示食品(科学的根拠に基づいた機能性を表示した食品)の効能や、お肌のケア、美容レシピなど、年齢を感じさせずイキイキと活動される方に向けた『美』『健康』『食』に関連する商品やサービスを紹介していきます。

 また、著名な料理研究家をはじめ、さまざまな講師の方々にアンチエイジングの秘訣を伝授していただく、『アンチエイジングセミナー』なども開催予定です。今年で6回目になりますが、40代、50代の女性に人気のあるイベントです。

 本当はイベント会場で、来場された方々がいろいろなブースを実際に回っていただけるとよかったのですが、今回もコロナ禍にあって、昨年同様、オンラインでの開催となります。早く以前のように、お客さんの喜ぶ顔や楽しむ顔が直に見られるようになったらいいな、と思っています」

――プロデューサーはチームのトップ。部下をもって仕事をする、というのはどんな感じですか。

「そこはまだ、課題が多いですね。うまく部下を使えていないです。みんな、仲はいいのですが、部下のみなさんのほうが私より社歴やこの仕事にかかわっている期間が長くて、私よりも知っていることが多いんです。それで、教えるとか、指示するというより、つい何でも聞いてしまって......。その結果、役職とか関係なくなってしまうので、もう少し自分がしっかりしないといけないな、と。頭のなかをきちんと整理して、チームをうまく回していけるようにならないといけないな、と思っています」

――忙しい日々のなか、息抜きも大切だと思います。お休みの日には何かしら趣味を楽しんだりしていますか。

「私、趣味がないんですよ。ランニングとかも嫌いですし、ゴルフもダメで、釣りもあまり楽しめず......(苦笑)。たまにジムに行って、ウエイトトレーニングをするくらいです。コロナ禍でテレワークが中心だった頃は、家にいて料理もするようになったんですが、最近はまた、そういう時間もなくなってしまって。

 あっ、でも、旅行は好きです。特にスキーをしない旅行がいいですね(笑)。海外にもよく母親と行っていました。本当は来年、休みをとって北京五輪を見に行きたかったんですけど、無観客開催で行けなくなってしまって。それは、すごく残念です」

――その北京五輪ですが、フリースタイル・スキーモーグルで気になる選手、注目している選手などはいますか。

「男子は、堀島(行真)選手。メダルに最も近い存在だと思いますね。女子は、川村(あんり)選手、冨高(日向子)選手、住吉(輝紗良)選手とか、みんなすごくて、表彰台独占というのも夢ではないんじゃないかと」

――今の選手たちを見て、何か思うことはありますか。

「私たちの頃とは、エアのレベルがまったく違いますね。最初からエア中心に練習しているのもあると思うのですが、今の選手たちはすごくレベルが高いです。でも、滑りは昔の選手のほうがうまかったかな(笑)。(上村)愛子のほうがうまいと思います」

――上村さんは東京五輪でテレビのコメンテーターをされていましたけど、里谷さんがそういった仕事をされることはないのでしょうか。

「自局のスポーツ番組には出たりしています。新聞などにも記事を掲載させていただいたりしています。オファーがあれば、という感じですね」

――今後こんなことをやってみたいとか、将来の目標とか夢などはありますか。

「特に......(苦笑)。このまま何も悪いことが起こらず、平和に過ごしていければいいかな、と。本当に今が一番いいんですよ。周囲にはいい人ばかりいて、たまに異動していなくなってしまうのは寂しいんですけど、私は今、このままがいいです」

(おわり)



里谷多英(さとや・たえ)
1976年6月12日生まれ。北海道出身。フリースタイル・スキーモーグルの選手として活躍したオリンピアン。17歳で1994年リレハンメル大会に出場し、以降5大会連続で五輪出場を果たす。1998年長野大会で金メダル、2002年ソルトレークシティー大会で銅メダルを獲得した。フジテレビ所属。