GⅠレースが連続する秋競馬は、これまで数々の名ストーリーを作ってきた。スマホゲームとして人気の「ウマ娘 プリティダービ…
GⅠレースが連続する秋競馬は、これまで数々の名ストーリーを作ってきた。スマホゲームとして人気の「ウマ娘 プリティダービー」で活躍するキャラクターたちも、この季節に活躍した名馬をモデルにしたケースが多く見られる。

1989年の天皇賞・秋を制したのは
「平成三強」の1頭であるスーパークリーク(中央)
そんな秋競馬の盛り上がりを担うレースのひとつが、GⅠ天皇賞・秋(東京・芝2000m)。3歳馬と4歳以上の古馬が初対決することも多く、名勝負が生まれてきた。今年もGⅠ皐月賞を勝ち、GⅠ日本ダービーで2着となった3歳馬エフフォーリアが古馬と初めてぶつかるということで注目を集めている。
では、過去の天皇賞・秋ではどんな名勝負が繰り広げられてきたのだろうか。ウマ娘のキャラクターと比較しながら、いくつかのレースを振り返ってみたい。
まず取り上げたいのが1989年、スーパークリークが制した天皇賞・秋である。
1980年代後半は、まさにスターホースがひしめいていた時期。スーパークリークのライバルには、オグリキャップ、タマモクロス、イナリワンといった名馬がいた。これらの盟友たちは、ウマ娘でもスーパークリークのライバルかつ親友として描かれている。
1989年の天皇賞・秋は、スーパークリーク、オグリキャップ、イナリワンの3頭が揃ったレース。平成元年という節目だったことから、3頭は当時「平成三強」と呼ばれていた。ウマ娘好きなら知っているとおり、スーパークリークは豊富なスタミナを武器とするステイヤーだったが、どちらかというとスピードが問われる中距離戦の天皇賞・秋で力を見せたのだった。
当時、東京競馬場の芝2000mはそのコース形態から外枠が"絶対的不利"。最初のコーナーまでが遠く、ロスが発生するためだ。スーパークリークは運悪く大外14番枠で出走。前半の位置取りに苦労するかと思われたが、そこはこの馬で初GⅠを取った武豊の手腕。スタートからスッと前に行くと、いつの間にか3番手をキープ。ベストポジションを奪っていた。
4コーナーで先頭に並んだスーパークリークに、オグリキャップやメジロアルダンといったライバル勢が襲いかかる。武豊の勝負服は直線入口で一瞬沈みそうになるが、ここからが本領発揮だった。ジョッキーのアクションに着実に反応しながら、ジワジワと内から伸び続ける。ゴールまで押し切ったのだった。
次に思い出すのは、1997年の「女帝」エアグルーヴだ。ウマ娘では、美しく頭もいい、まさに完璧な存在として描かれており、作中でも「女帝」と呼ばれている。
現役時代を知る人なら、そのキャラクター像も納得だろう。競走馬のエアグルーヴは、GⅠ馬の母ダイナカールから生まれた良血として、デビューからすばらしい成績を積み上げてきた。
そんな女帝が快挙を成し遂げたのが、1997年の天皇賞・秋だ。今でこそ牝馬が一線級の牡馬にGⅠで勝つことは珍しくないが、当時、天皇賞のような牡牝混合GⅠで牝馬が勝利することはめったになかった。
それを打ち破ったのがこの年。レースでは、前年の勝ち馬で1番人気のバブルガムフェローが先に抜け出すと、外から武豊とエアグルーヴが襲いかかる。馬体を並べた2頭は、ゴールまでの200mでデッドヒートを演じた。
熱狂に沸くゴール前、実況アナウンサーの叫びが聞こえた。「バブルかエアか、バブルかエアか、エアグルーヴ!」ゴール前、エアグルーヴがねじ伏せるように前に出たのである。3着馬は、2頭からはるか5馬身も離れていた。
牝馬の優勝は1980年以来17年ぶり。この事実が、成し遂げた快挙の大きさを物語っていた。
エアグルーヴは、その後GⅠを勝つことはできなかったが、つねに牡馬一線級と互角の勝負を演じた。牡馬が圧倒的に強かったあの時代、エアグルーヴの走りはまさに「女帝」にふさわしかったのだ。
その2年後、1999年のこの舞台でもドラマが生まれた。主役はスペシャルウィーク。武豊に初めてのダービータイトルをプレゼントした名馬である。
ウマ娘のアニメ第1期でも主人公を務めるなど、まさに絵になるキャラクター。前髪だけ白いのが印象的だが、それは競走馬スペシャルウィークの額に大きく入った、父サンデーサイレンス譲りの白い流星がモチーフとなっている。
デビューから鳴り物入りだったスペシャルウィークは、一度も3着以内を外さない強さを見せていた。しかし、唯一7着と大敗したレースがある。この天皇賞・秋の前に出たGⅡ京都大賞典(京都・芝2400m)。直線でまったく伸びない姿はショッキングであり、この年での引退も決まっていたからか「スペシャルは終わった」という声も聞かれた。実際、今まで1〜2番人気しか経験したことのなかったスターホースが、天皇賞・秋では4番人気に甘んじたのである。
しかし、その舞台で「逆襲のラン」を見事に決めた。この日の馬体重は、前走からマイナス16kgの470kg。管理する白井寿昭調教師が「ダービーの時の馬体重(468kg)に近づければ目覚めてくれるかもしれない」と考えた結果だった。
さらにスタート後、武豊は17頭中14番手まで大胆にポジションを下げる。最近のレースではかなり後方の位置取りであり、場内からはどよめきが起こった。
スペシャルウィークは復活できるのか――。不安と疑念が入り混じった直線。そんなファンの思いに対し、まるで答え合わせをするかのように、はるか後方にいた白と紫の鮮やかな勝負服が伸びてきた。大外から一歩一歩詰め寄ると、計ったようにゴール前で差し切ったのである。すばらしい復活劇だった。
そしてこのレースには、もうひとつの物語がある。前年の天皇賞・秋、武豊は5連勝中で断然の1番人気、サイレンススズカに騎乗。しかし4コーナーで故障発生し競走中止に。帰らぬ馬となってしまった。
その悲しみから1年後、スペシャルウィークが劇的な勝利を飾った。武豊はレース後、「ゴールの瞬間、まるでサイレンススズカが後押しをしてくれたようでした」と語っている。1年前の思いも含んだ、渾身の騎乗だった。
最後に紹介するのは、2001年の天皇賞・秋。アグネスデジタルが制した年だ。
ウマ娘では、芝・ダート問わないオールラウンダーとして描かれるアグネスデジタル。もちろんこれは、競走馬アグネスデジタルの走りに重ねている。アグネスデジタルは、競馬界を席巻した"二刀流"だった。
ただ、それが物議を醸したのが2001年の天皇賞・秋だった。
アグネスデジタルは、4歳で芝・ダートの両方でGⅠを勝つ快挙を達成。そうして挑んだのが2001年の天皇賞・秋だった。
当時、日本では外国産馬(海外で生産され日本に輸入した馬)が全盛の時代。国内産馬の保護のため、いくつかのGⅠでは外国産馬の出走枠が制限されていた。天皇賞・秋もそのひとつ。枠は2つだった。
この2つの枠を使うのは、メイショウドトウとクロフネになると思われていた。メイショウドトウは春からGⅠで活躍していた古馬の看板馬。一方、クロフネはまだ3歳で、春に初GⅠを制した素質馬。新たなスターホースとして注目を集めていた。
ここに急きょ割って入ったのがアグネスデジタル。こちらも外国産馬であり、当初は出走を予定していなかったが、陣営は参戦を決断。煽りを食らったのがクロフネだった。
出走枠はこれまでの獲得賞金で決まるため、3歳でまだ賞金の少ないクロフネは天皇賞に出走できず。この新星と古馬の初対決を見たかったファンは紛糾。アグネスデジタルへの批判が相次いだ。
だが、その批判をかき消すように、アグネスデジタルは勝利をもぎ取った。絶対的王者として君臨したテイエムオペラオーが先に抜け出したところ、離れた大外からアグネスデジタルが鋭伸。ゴールの瞬間にきっちり捉えた。
この後、アグネスデジタルは香港で行なわれた芝の国際GⅠを勝ち、翌年2月にはダートのGⅠを制覇。芝・ダートでGⅠ4連勝を達成したのである。
おもしろいのが、天皇賞に出られなかったクロフネのその後だ。まるでアグネスデジタルと入れ替わるように、こちらは初となるダート重賞に出走。その結果、砂の上で規格外の走りを見せたのである。
出走したGIII武蔵野S(東京・ダート1600m)では、ダートの猛者を相手に9馬身差の圧勝。レコードも大幅に更新した。
続くGⅠジャパンカップダート(東京・ダート2100m)でも、7馬身差で大勝し、レコードも2戦連続で更新。海外のダートトップホースも参戦したが、クロフネに太刀打ちできなかったのである。
これにより、クロフネも芝・ダート両方のGⅠを勝ったことに。アグネスデジタルの決断が、もう1頭の二刀流を生んだのだった。
数々のドラマが生まれてきた天皇賞・秋。およそ2分弱、2000mの間に生まれるストーリーは、今までもこれからも、きっと多くの人を魅了していくだろう。今年はどんな物語が生まれるのか。新しいドラマを楽しみに、日曜日の発走を待ちたい。